驚愕の3.11から一年が経ちました。まったくもって思いもよらない未曾有の事態に揺れに揺れた一年でありました。
改めて不幸にしてお亡くなりになられた方のご冥福と被害にあわれた方へのお見舞いをもうしあげます。
我が家はカミさんも僕も実家が仙台で、新浦安の自宅とダブルで被災し、逃げ場のない状態に陥りました。
カミさんの義父母や父、僕の弟をはじめ、親戚とは全く連絡がとれず、僕も会社で足止め。
聞けば、子どもたちは二人でリビングのテーブルの下で必死に踏ん張っていたという。義父母は止まらない余震に加え電気もガスもとまり、マンションの立体駐車場の車内で寝たという。
どこかわからない炎上する海の画を見つめ、仙台は沈んでしまったのだろうかという暗澹たる思いを抱えて夜を明かし、漸く新浦安に辿り着いたら、街は液状化で大変なことになっていた。
プールに、公園に、水を求めてくるまで彷徨い。風呂や洗濯のために、あちこちへ車で走った日々。
自衛隊の方々、そしてプールで水汲みの支援をしてくれたボランティアの方々、皆さんほんとうにお世話になりました。
そして勿論仙台で父の介護を続けてくれた施設のスタッフの方々、そして通りすがりに義父母に野菜を分けてくれた方。
本当にありがとうございました。
これほど大変な事態は人生ではじめての経験でありました。一方で見ず知らずの人たちと手を取り合って行動することで、こんなにいろいろなことが出来るのだということが眼に見えてわかったというのは何より今回最も学んだことでありました。
みんながその気になればとてつもなく大きなことができるのだと。
東北を襲ったのは千年に一度の地震だったらしい。しかし、世界に眼を向ければ、大きな地震はあちこちで起こっている。
不幸な事故や紛争も。こうしたことに我々が心をあわせて立ち向かえば、もっと改善することができるのではないだろうか。
この地震で学んだことをこんなふうに生かすことができるとしたら、すばらしいのではないか思う。