「人間は自然の一部だから」という言葉をよく聞きます。
だから環境を守らなければとか、自然を破壊してはいけない、というようなことばにつながるのですが...。
本当にそうなのでしょうか?
確かに人間は地球に存在する生物であり、地球を構成する一員であることは認めます。
しかし有史この方、人類は自然とは対極の方向に進んで来たのではなかったでしょうか?
化石燃料を採掘してのエネルギーの獲得とそれによる環境汚染、フロンを始めとする不活性ガスの発明とそれによるオゾンホールの拡大(原因のすべてかと問われると自信がない)、原子力エネルギーの開発による核の不安等を引き起こした人類は、“決して”自然の一部というような存在ではないと思います。
思い上がってはいけない。
45億年以上と言われる地球の歩んできた年月の中で、人類が存在したのはたかだか百万年程度であること。
地球の表面(7割以上は海洋)のごく一部に生息しているだけの存在なのです。
人間は地球上で唯一の“不自然な”生物なのです。
だからこそ人間は自然を畏れ、自然を敬い、自然と調和する存在でなければならない。
そのことを忘れてはならないと、私は思います。
だから環境を守らなければとか、自然を破壊してはいけない、というようなことばにつながるのですが...。
本当にそうなのでしょうか?
確かに人間は地球に存在する生物であり、地球を構成する一員であることは認めます。
しかし有史この方、人類は自然とは対極の方向に進んで来たのではなかったでしょうか?
化石燃料を採掘してのエネルギーの獲得とそれによる環境汚染、フロンを始めとする不活性ガスの発明とそれによるオゾンホールの拡大(原因のすべてかと問われると自信がない)、原子力エネルギーの開発による核の不安等を引き起こした人類は、“決して”自然の一部というような存在ではないと思います。
思い上がってはいけない。
45億年以上と言われる地球の歩んできた年月の中で、人類が存在したのはたかだか百万年程度であること。
地球の表面(7割以上は海洋)のごく一部に生息しているだけの存在なのです。
人間は地球上で唯一の“不自然な”生物なのです。
だからこそ人間は自然を畏れ、自然を敬い、自然と調和する存在でなければならない。
そのことを忘れてはならないと、私は思います。