1968年の日本グランプリ(GP)にタキ・レーシングからエントリーされた3台のローラT70です。
それぞれ赤や黄色のカラフルなマシンでレースに花を添えました。
この大会は「TNT対決」と呼ばれました。
ビッグ・マシンで参戦した2大メーカーのトヨタ・ニッサンとプライベートチームのタキ・レーシングの頭文字をとったのです。
カーナンバー25のローラT70MK3は当時22歳の長谷見昌弘選手がドライブし予選3位、決勝は22周目にクラッチを痛めてリタイヤしました。
カーナンバー26のローラT70MK3はベテランの田中健二郎選手がドライブし予選5位、決勝は先行する2台のR381を追いかけ3位を走行していましたが、28週目にスピンしてしまい、リアホイールを曲げてリタイヤしました。
カーナンバー27のローラT70MK2は酒井正選手がドライブし予選4位、決勝では6週目に路上でストップし最下位に転落、その後走り出したものの結局17週でリタイヤしてしまいました。
実は戦前、タキ・レーシングチームに新しいエンジンが2台届き、それぞれのマシンで積み替えを行ったことなどがあり、マシンの熟成の時間が取れなかったのではないかと思われます。
また、シヴォレー・エンジンは強力な反面、高回転を続けると信頼性が落ちるという弱点があり、レース序盤に無理をしたからではないかとも言われています。
ついでにいうとタキ・レーシングチームからは3台のローラの他にポルシェ・カレラ10とカレラ6も出場しています。
ちなみに優勝はニッサンR381の北野元選手、2位はポルシェカレラ10の生沢徹選手でした。
ミニカーはエブロ製、1/43スケール。
3台ともレジン製で他のミニカーに比べると高価ですが、ご覧のとおりのカラーですからコレクションの中でもひときわ目立ちます。
ネットで安いショップを探して購入しました。
3台そろったのは自分自身でも“奇跡”に近いです。
それぞれ赤や黄色のカラフルなマシンでレースに花を添えました。
この大会は「TNT対決」と呼ばれました。
ビッグ・マシンで参戦した2大メーカーのトヨタ・ニッサンとプライベートチームのタキ・レーシングの頭文字をとったのです。
カーナンバー25のローラT70MK3は当時22歳の長谷見昌弘選手がドライブし予選3位、決勝は22周目にクラッチを痛めてリタイヤしました。
カーナンバー26のローラT70MK3はベテランの田中健二郎選手がドライブし予選5位、決勝は先行する2台のR381を追いかけ3位を走行していましたが、28週目にスピンしてしまい、リアホイールを曲げてリタイヤしました。
カーナンバー27のローラT70MK2は酒井正選手がドライブし予選4位、決勝では6週目に路上でストップし最下位に転落、その後走り出したものの結局17週でリタイヤしてしまいました。
実は戦前、タキ・レーシングチームに新しいエンジンが2台届き、それぞれのマシンで積み替えを行ったことなどがあり、マシンの熟成の時間が取れなかったのではないかと思われます。
また、シヴォレー・エンジンは強力な反面、高回転を続けると信頼性が落ちるという弱点があり、レース序盤に無理をしたからではないかとも言われています。
ついでにいうとタキ・レーシングチームからは3台のローラの他にポルシェ・カレラ10とカレラ6も出場しています。
ちなみに優勝はニッサンR381の北野元選手、2位はポルシェカレラ10の生沢徹選手でした。
ミニカーはエブロ製、1/43スケール。
3台ともレジン製で他のミニカーに比べると高価ですが、ご覧のとおりのカラーですからコレクションの中でもひときわ目立ちます。
ネットで安いショップを探して購入しました。
3台そろったのは自分自身でも“奇跡”に近いです。