1967年の第4回日本グランプリ(日本GP)に出場したポルシェ・カレラ6(906)です。
ドライバーは滝進太郎さん、当時29歳でした。
※ポルシェ906というのはシャシー名、市販されている車名はポルシェ・カレラ6です。
この年、ポルシェカレラ6は3台エントリーされ、カーナンバー6のポルシェは予選4位、決勝レースでは5位でした。
同じポルシェカレラ6に乗る生沢徹選手(#8)が、ニッサンR380を抑えて優勝しています。
実はこのクルマ、前年の第3回日本GPでも滝さんのドライブで走っています。
このときはプリンスR380というグループ6のプロトタイプカー4台を相手に、一時は首位を走ったものの、43周目にコースアウトしてその後リタイヤしています。
シャシーナンバー120のこのカレラ6、1966年に日本に輸入されるとその年に優勝2回、1967年は優勝5回、1968年は優勝4回、さらに1969年になっても優勝3回を記録しています。
さすがに70年以降は優勝からは遠ざかりますが、73年4月の西日本オールスター(結果はリタイヤ)まで足掛け8年間現役でいたことになります(全50戦で何と14勝!)。
上記の写真は、1968年の日本GPに出場したタキ・レーシングのポルシェ・カレラ6(決勝7位)ですが、実はこのマシンも同じシャシーナンバー120なのです。
その後このマシンは海外に流出しましたが、現在は大阪在住の某コレクターさんの手元にあるそうです(檜垣和夫著「ポルシェ」より)。
モデルはエブロ製、1/43スケール。
ドライバーは滝進太郎さん、当時29歳でした。
※ポルシェ906というのはシャシー名、市販されている車名はポルシェ・カレラ6です。
この年、ポルシェカレラ6は3台エントリーされ、カーナンバー6のポルシェは予選4位、決勝レースでは5位でした。
同じポルシェカレラ6に乗る生沢徹選手(#8)が、ニッサンR380を抑えて優勝しています。
実はこのクルマ、前年の第3回日本GPでも滝さんのドライブで走っています。
このときはプリンスR380というグループ6のプロトタイプカー4台を相手に、一時は首位を走ったものの、43周目にコースアウトしてその後リタイヤしています。
シャシーナンバー120のこのカレラ6、1966年に日本に輸入されるとその年に優勝2回、1967年は優勝5回、1968年は優勝4回、さらに1969年になっても優勝3回を記録しています。
さすがに70年以降は優勝からは遠ざかりますが、73年4月の西日本オールスター(結果はリタイヤ)まで足掛け8年間現役でいたことになります(全50戦で何と14勝!)。
上記の写真は、1968年の日本GPに出場したタキ・レーシングのポルシェ・カレラ6(決勝7位)ですが、実はこのマシンも同じシャシーナンバー120なのです。
その後このマシンは海外に流出しましたが、現在は大阪在住の某コレクターさんの手元にあるそうです(檜垣和夫著「ポルシェ」より)。
モデルはエブロ製、1/43スケール。