交流競技会のことを意識した自主練を開始した。
先週ようやく全動作がでそろい、
38式套路として練習できるようにはなったものの、
まだ流れを完全につかんだとは言い切れない。
まずは流れを覚え込むこと。
その上で緊張しない、力に頼らないことを
意識するのが個人的課題。
最近になって先生からいただく指摘が、
より具体的になってきているような気がする。
どこへ、何に対する意識が足りないのか、
具体的な部位なり動作で指摘されることで
改めて気づくことが多くなっている。
絶対に緊張しない。力で動かない。
そのためにはどこをチェックし、
どのように調整すれば改善できるのかを探る。
このところの練習で、ひとつ自分なりの仮説が
できつつあるのかもしれない。
自分なりの間合いというか
リズムみたいなものが少しわかってきたような…。
いままで自分が考えていた
絶えず流れている状態のイメージと、
いま何となく感じている感覚とは、
少し違ったのかもしれないという気がしている。
というかイメージが具体的な感覚へと
少しずつ変わってきたのかもしれない。
それは違和感というよりも
ずっと自然で納得しやすい感覚
という気がしているのだけれども、
はたしてそれが正解かどうかはまだわからない。
先生の言われる
(自分の)状態に適した動きに徹することが
大きなヒントとなっていることは
確かなのだけれど、
そういう臨機応変に対応できる体勢を
備えるだけの力が、
自分にはまだまだ足りない。
状態を作っているのは
あらゆる要素が連動しているのだから、
個別に調整することは難しい。
それでもひとつの変化が
全体に影響を及ぼすと思えば、
たとえ些細なものであっても
意識を働きかけることで
変化は起こるということだ。
いきなり目に見えるような変化を
狙うのではなく、
こつこつと積み上げていけば
いいのではないか。
これは何も交流競技会のため
というわけではなく、
あくまで日頃の練習の延長線上のこと。
交流競技会は教室の仲間達とともに参加する
楽しいイベントのひとつ。
普段の導引練習にはない
“見せる”ための意識を使ったりするのも
ちょっと新鮮で楽しかったりする。
先週ようやく全動作がでそろい、
38式套路として練習できるようにはなったものの、
まだ流れを完全につかんだとは言い切れない。
まずは流れを覚え込むこと。
その上で緊張しない、力に頼らないことを
意識するのが個人的課題。
最近になって先生からいただく指摘が、
より具体的になってきているような気がする。
どこへ、何に対する意識が足りないのか、
具体的な部位なり動作で指摘されることで
改めて気づくことが多くなっている。
絶対に緊張しない。力で動かない。
そのためにはどこをチェックし、
どのように調整すれば改善できるのかを探る。
このところの練習で、ひとつ自分なりの仮説が
できつつあるのかもしれない。
自分なりの間合いというか
リズムみたいなものが少しわかってきたような…。
いままで自分が考えていた
絶えず流れている状態のイメージと、
いま何となく感じている感覚とは、
少し違ったのかもしれないという気がしている。
というかイメージが具体的な感覚へと
少しずつ変わってきたのかもしれない。
それは違和感というよりも
ずっと自然で納得しやすい感覚
という気がしているのだけれども、
はたしてそれが正解かどうかはまだわからない。
先生の言われる
(自分の)状態に適した動きに徹することが
大きなヒントとなっていることは
確かなのだけれど、
そういう臨機応変に対応できる体勢を
備えるだけの力が、
自分にはまだまだ足りない。
状態を作っているのは
あらゆる要素が連動しているのだから、
個別に調整することは難しい。
それでもひとつの変化が
全体に影響を及ぼすと思えば、
たとえ些細なものであっても
意識を働きかけることで
変化は起こるということだ。
いきなり目に見えるような変化を
狙うのではなく、
こつこつと積み上げていけば
いいのではないか。
これは何も交流競技会のため
というわけではなく、
あくまで日頃の練習の延長線上のこと。
交流競技会は教室の仲間達とともに参加する
楽しいイベントのひとつ。
普段の導引練習にはない
“見せる”ための意識を使ったりするのも
ちょっと新鮮で楽しかったりする。