最近気になっているもののひとつがこれ。
たとえば意識を働かせるだけで
何かを発するというか、
ある勢い(のようなもの)を生じるような気がする。
意識の力とは自分が想像している以上に
強いものなのかもしれない。
自然のままにあることが難しく感じられるのは
そのようにあろうとしてしまうからだと思う。
あろうとするのはありたいと願う気持ちがあるわけで
それは“仕業(しわざ)”となってしまうのだろう。
意識的に仕向けることになる。
つまり意識を働かせるというのは
「有る」ことなのか、「在る」ことなのか。
ちなみに有るとは所有、持っている意味で、
在るとは存在の意味となる。
意識が在るというのは感覚的なことかも。
意識を持つ、有するというのは
頭脳が主導しているかのような印象があるかな。
先生に形(姿勢)や動きを直されるとき
外見だけに気をとられていると
内面の変化に気づくチャンスを逃すこともある。
意識もまたバランスなんじゃないかな。
たとえば意識を働かせるだけで
何かを発するというか、
ある勢い(のようなもの)を生じるような気がする。
意識の力とは自分が想像している以上に
強いものなのかもしれない。
自然のままにあることが難しく感じられるのは
そのようにあろうとしてしまうからだと思う。
あろうとするのはありたいと願う気持ちがあるわけで
それは“仕業(しわざ)”となってしまうのだろう。
意識的に仕向けることになる。
つまり意識を働かせるというのは
「有る」ことなのか、「在る」ことなのか。
ちなみに有るとは所有、持っている意味で、
在るとは存在の意味となる。
意識が在るというのは感覚的なことかも。
意識を持つ、有するというのは
頭脳が主導しているかのような印象があるかな。
先生に形(姿勢)や動きを直されるとき
外見だけに気をとられていると
内面の変化に気づくチャンスを逃すこともある。
意識もまたバランスなんじゃないかな。