毎月最終週は推手をやっています。
推手をやり始めた当初は
さっぱりわかりませんでした。
いまだ何となく程度の理解ですが、
意と動きの連動のしかたや
鬆と静の状態など“いまどきの自分”が
いくらか感じ取れるようになってきました。
が、いまもって相手の存在に気をとられ
集中できてないなと思います。
・重心は主体の証でもある?
推手は主導する立場が入れ替わる。
始まる前から相手を意識していることに
改めて気づく。
ひとりで動くときとは明らかに違う。
確かに他者と組んでいるのだから
それは自然なことなのかもしれないが、
目指していること(練習目的)は
ひとり練習でも推手練習でも変わらないはずなのに
微妙に変わってくるんだな、これが。
そのことを感じてしまうと
次から次へと気にかかることが出てきてしまう。
だから一つだけに絞る。
今回は重心。重心に集中してみる。
そうすると相手のことも
前ほどには気にならなくなってきてるような
気がした(気休め程度か)。
そうか、相手が気になるときは
自分の内へと意識が向かえばいいのかな。
一点に集中することが
むしろ全体の状態を良好にする。
いまのレベルでは
一点に集中して気を散らさないことも
大切なのだろうな。
重心も同じ。中心の「心」だもの。
重心の位置が体の中心から外れると
重心を追いかけるように体は動く。
体が動くのは
重心と中心が一体であろうとするからか。
重心は体の内にあり、その主体は私。
ということは
重心は私ってことでもあるわけか。
推手をやり始めた当初は
さっぱりわかりませんでした。
いまだ何となく程度の理解ですが、
意と動きの連動のしかたや
鬆と静の状態など“いまどきの自分”が
いくらか感じ取れるようになってきました。
が、いまもって相手の存在に気をとられ
集中できてないなと思います。
・重心は主体の証でもある?
推手は主導する立場が入れ替わる。
始まる前から相手を意識していることに
改めて気づく。
ひとりで動くときとは明らかに違う。
確かに他者と組んでいるのだから
それは自然なことなのかもしれないが、
目指していること(練習目的)は
ひとり練習でも推手練習でも変わらないはずなのに
微妙に変わってくるんだな、これが。
そのことを感じてしまうと
次から次へと気にかかることが出てきてしまう。
だから一つだけに絞る。
今回は重心。重心に集中してみる。
そうすると相手のことも
前ほどには気にならなくなってきてるような
気がした(気休め程度か)。
そうか、相手が気になるときは
自分の内へと意識が向かえばいいのかな。
一点に集中することが
むしろ全体の状態を良好にする。
いまのレベルでは
一点に集中して気を散らさないことも
大切なのだろうな。
重心も同じ。中心の「心」だもの。
重心の位置が体の中心から外れると
重心を追いかけるように体は動く。
体が動くのは
重心と中心が一体であろうとするからか。
重心は体の内にあり、その主体は私。
ということは
重心は私ってことでもあるわけか。