松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

練習メモ 部位03

2012-04-24 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
蹴りの要素は歩行に含まれています。
歩を進めるにあたり
必ず独立する瞬間があります。
片足で体重を支えるには
重心を意識することになります。
蹴りは歩であり、
歩はいつでも蹴りになります。
そうなんじゃないかなと思ってます。




擦脚で交差させる足を運ぶ時も独立になる。
膝から持ち上がるように意識することで
大転子が回転する(股関節が動いている)。
もし股関節の意識が薄かったりすれば
たぶん大腿骨の骨盤側(大転子)と骨盤が
癒着しているかのような動き方、
たとえば脚を上げると
骨盤ごと持ち上がったりするのだろうな。


股関節を意識して練習し始めてほどなく
上体が沈み込むときに
股関節まわりが苦しくなることが気になった。

ひとつずつチェックしていく。
交差する前足の置き位置も
とくに問題はなさそう。
腕は頭上に持ち上げるというよりは
体が沈むから頭の上にくる
というような意識でいるので
高からず低からずの位置にあるかと思う。
となると、股関節の回転の問題か?
左旋回と右旋回で感じ方も違うな。
右の方がやりやすい気がする、などなど。

で、結局よくわからなくなり
先生に尋ねてみることに。


動きには流れがある。
ある動きの状況の一部を取り上げて
窮屈に感じるのならば
その先の動きを想定してみる。
いま感じている窮屈さが
次の動きに流れていく上で
必要なものであるのか、
そうではないものなのか。
流れの中で見きわめることを忘れないで。

そのような答えだったように思う。


チェックする際の視点の置き所
とでもいうのかな。
動きを細かく分割していっても
それは静止状態ではないこと。
たとえ止まってるかのような状態になろうとも
動きのなかの1コマとしてとらえること。
つまりは見かけやその感覚に惑わされるなと。
チェックすべきは深層部の状態。
深層まで意識が届いていれば
たぶん微かな動きでも
感じ取れるようになるのだろう。

次の動きへ無理なく流れていけるようなら
その直前の窮屈な感じには
それなりの意味(必然?)があるということか。

この件に関しては
まだ理解したとは思っていない。
間違った解釈をしてるかもしれない。
とりあえず今回は
動の視点でチェックするとメモしておこう。