■10月2日
デイサービス利用初日。
教室を遅刻することにして
無事出発を見届ける。
初日を前に準備をしていたのに
当日になって先方の予定が変わったりと
さっそく行き違いがあったり。
帰宅時間には間に合わなかったけれど
母ひとりでもなんとかなった。
出かけるときは足下がふらついていたのに
戻ってきたときには見違えるほど
足下がしっかりしていたとのこと。
送迎の係の方達もビックリしていたほど。
もちろん本人の緊張もあったのだろうけど
家から外に出て他人とともに過ごすだけでも
これだけ刺激を受けてくるということ。
■10月9日
きょうでちょうど一週間となるはずだったが
はじめてデイをお休みした。
さすがに疲れてしまったらしい。
何しろ外面がいい人だから
あちらでは何でもハイハイとやってるらしく
連絡帳に貼られた写真をみても
家では見せた事のない笑顔で玉入れなんぞしている。
こういう刺激を受けることで
皮膚までハリが出てきているのだから驚きだ。
車いすとはいえ、半日上体を起こして過ごすだけで
肛門周辺の筋肉に締まりが出てきている。
人間は動物。動いてなんぼのものなのであるなぁ。
■10月18日
病院の定期診察を受けるために
弟がクルマで迎えにきて
父がひとりで伝い立ちして玄関にいることに
とても驚いていた。
それで、ちょっといいところを見せようとして
調子に乗って階段をおりようとして
腰砕けをおこして尻餅をついてしまった。
頭は打たなかったし臀部も打撲ですんだ模様。
骨にも異常はなさそうでひと安心。
定期診察はとくに問題もないとのこと。
処方されていた下剤も
服用しなくてもよくなった。
■10月19日
居宅改修の見積り案から発注を決める。
結局介護保険の居宅改修援助制度を利用するものと
自費で行うものと2カ所。
必要な申請書類を作成することに。
また工事担当者が下見をかねて
後日来訪するとのこと。
デイ通所を始めてから
顔つきや肌のハリなどに変化が現れ
出かけるときは足下がおぼつかなくても
帰宅の際にはしっかりと足に意識が伝わっている。
外出して一定時間車イスにすわって過ごすだけで
外からの刺激と緊張が体の機能を呼び戻すことになっている。
いまはまだデイサービスの内容にも雰囲気にも
慣れていないから素直に通っているけれど、
そのうちさぼり出すのだろうな。
そのときにどのように対処するか、
ケアマネさんにも相談しつつ考えておかねば。
とにかく自分を周囲に合わすことが大嫌いな性格。
決まった時間に迎えがくることがわかっていても
それまでに支度することができない。
今のところはかつかつで間に合わせているけれど
それも家族に急かされてのこと。
いずれ迎えのクルマを待たせたりして
ヘルパーさん達の心証を損なっていくことだって
じゅうぶん考えられる。
介護制度は公的制度だから
利用の際には義務だってあるのだけど
その意識は薄そうだなぁ。
何しろ母に対しては
デイに行ってやってるみたいな態度が
すでに見え隠れしている。
思い違いをしてはいないかと言いたくもなるが、
この歳までこういう考え方で生きてきた人が
聞く耳をもっているとも思えない。
いずれ自分も人の手を借りて生活をするようになる
(たぶん他人、公的介助を受けるわけだけど)ことだろう。
卑屈になる必要はないけれど
気持ちのどこかに持ち合わせていたいものはあるなと。
何となくだけれど親の介護を通して
自分の老齢期をシミュレーションしてることになるのかなぁ。
状況はけっして同じではないのだけれども
それでも考えずにはいられないこともあるというか…
デイサービス利用初日。
教室を遅刻することにして
無事出発を見届ける。
初日を前に準備をしていたのに
当日になって先方の予定が変わったりと
さっそく行き違いがあったり。
帰宅時間には間に合わなかったけれど
母ひとりでもなんとかなった。
出かけるときは足下がふらついていたのに
戻ってきたときには見違えるほど
足下がしっかりしていたとのこと。
送迎の係の方達もビックリしていたほど。
もちろん本人の緊張もあったのだろうけど
家から外に出て他人とともに過ごすだけでも
これだけ刺激を受けてくるということ。
■10月9日
きょうでちょうど一週間となるはずだったが
はじめてデイをお休みした。
さすがに疲れてしまったらしい。
何しろ外面がいい人だから
あちらでは何でもハイハイとやってるらしく
連絡帳に貼られた写真をみても
家では見せた事のない笑顔で玉入れなんぞしている。
こういう刺激を受けることで
皮膚までハリが出てきているのだから驚きだ。
車いすとはいえ、半日上体を起こして過ごすだけで
肛門周辺の筋肉に締まりが出てきている。
人間は動物。動いてなんぼのものなのであるなぁ。
■10月18日
病院の定期診察を受けるために
弟がクルマで迎えにきて
父がひとりで伝い立ちして玄関にいることに
とても驚いていた。
それで、ちょっといいところを見せようとして
調子に乗って階段をおりようとして
腰砕けをおこして尻餅をついてしまった。
頭は打たなかったし臀部も打撲ですんだ模様。
骨にも異常はなさそうでひと安心。
定期診察はとくに問題もないとのこと。
処方されていた下剤も
服用しなくてもよくなった。
■10月19日
居宅改修の見積り案から発注を決める。
結局介護保険の居宅改修援助制度を利用するものと
自費で行うものと2カ所。
必要な申請書類を作成することに。
また工事担当者が下見をかねて
後日来訪するとのこと。
デイ通所を始めてから
顔つきや肌のハリなどに変化が現れ
出かけるときは足下がおぼつかなくても
帰宅の際にはしっかりと足に意識が伝わっている。
外出して一定時間車イスにすわって過ごすだけで
外からの刺激と緊張が体の機能を呼び戻すことになっている。
いまはまだデイサービスの内容にも雰囲気にも
慣れていないから素直に通っているけれど、
そのうちさぼり出すのだろうな。
そのときにどのように対処するか、
ケアマネさんにも相談しつつ考えておかねば。
とにかく自分を周囲に合わすことが大嫌いな性格。
決まった時間に迎えがくることがわかっていても
それまでに支度することができない。
今のところはかつかつで間に合わせているけれど
それも家族に急かされてのこと。
いずれ迎えのクルマを待たせたりして
ヘルパーさん達の心証を損なっていくことだって
じゅうぶん考えられる。
介護制度は公的制度だから
利用の際には義務だってあるのだけど
その意識は薄そうだなぁ。
何しろ母に対しては
デイに行ってやってるみたいな態度が
すでに見え隠れしている。
思い違いをしてはいないかと言いたくもなるが、
この歳までこういう考え方で生きてきた人が
聞く耳をもっているとも思えない。
いずれ自分も人の手を借りて生活をするようになる
(たぶん他人、公的介助を受けるわけだけど)ことだろう。
卑屈になる必要はないけれど
気持ちのどこかに持ち合わせていたいものはあるなと。
何となくだけれど親の介護を通して
自分の老齢期をシミュレーションしてることになるのかなぁ。
状況はけっして同じではないのだけれども
それでも考えずにはいられないこともあるというか…
昨年春父が最初の危篤状態になった日の朝、私は胸騒ぎがしていつもより早く部屋へ行きました。そこにはベッドから半分身体が落ちかけ、口から泡を吹いた父がいました。救急車を呼び、病院へ。呼吸は一時止まったと後ほど救急隊員の方から..幸いに一週間程で危篤状況は脱しました。
でも実際は。昨夜から本当は容態がおかしいことに気付いていたのです、、、父は私と母に「もういい、あっちへ行け!ほっておいてくれ!」と梗塞で話せなくなった口でやっと訴えていたのです、、、、、そんな父を私は放置してしまったのです。見て見ぬ振りをしてしまったのです...そして翌朝。。。あの時の父の気持ちは...死にたかったのです...だから、あっちへ行け、、、と。
振り子は何もしてくれない兄姉への憎しみとともに振れ切っていました。。。
それからです、書くつもりのない日記を書き始めたのは。生きてて良かった!とその時神に感謝しました。
イーグルさんが放置したとおっしゃったこと、
たぶん私も同じことしたかもしれません。
病苦に苛まれている本人が
苦しさのさなかに死にたいと口にすること、
私はこれまでも何度となく聞いてきてます(うちの場合は母です)。
ただ私の場合は、本人に遂行する力がないことがわかっていたから
手を貸さない限りは現実には起こらない確信がありました。
だからイーグルさんのおっしゃるような
放置とは少し違うとは思いますが。
冷静な客観的な判断は第三者におまかせますが、
ただ当事者の家族の心情としては
当事者の苦しむ様を目の当たりにし続けて
あるいは死にたいと言われて
それでもなお頑張れとは言いがたいときが
たしかにあります。
生きていてほしい、生きていてよかったと思うときがあるのも事実
いっそ…と思うときがあるのも事実。
本人も見守る側も
どちらの振り子も揺れ続けています。
どっちに転ぶかわからない、危うい綱渡り状態。
見て見ぬ振り、聞こえないふりをすることが
しだいに増えてきますね。
家族だからこそ伝わることがあり
見透かせることがあり
許せないこともあり
厳しくなることもある
矛盾の固まりのような家族という代物。
ハリネズミ理論そのままに
つかずはなれずが一番なのかも。
でも現実がそれを許さない…
家族って何?
楽しいことが苦手です。
だから楽しい内に失礼しました。
m(__)m
いただいていたメッセージ、
いろいろ考えることがあって
少しずつお返事書いていたのですが、
もしかしたらお届けすること、
かなわなくなったのでしょうか。残念です。
いろいろお世話になりました。
太極拳や音楽のお話など、楽しかったです。
どこかでまたお会いできると
ご縁を信じています。
それまでどうぞお元気で