松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

【介護メモ】9月_介護認定の更新 他

2010-10-13 | 花熟帯落-玄冬・老いの風景-
5月下旬に認定審査で要介護3の認定を受けたものの
そこから先が一向に進まず停滞していたのですが
9月になってようやく動きが出始めました。



■9月13日

内科診療予約日。
担当医師からも
日中は体を起こしているように
家に閉じこもらずに
外の空気に触れるなどして
活動時間と休養時間のメリハリを
つけていくことが大切と指導される。
そのためにもデイサービスなどの利用を
強くすすめられる。



■9月15日

ケアマネさんと正式に契約を結び、
デイサービスで生活機能訓練や入浴、
介護ベッド、車イスのレンタルなどといった
具体的な介護保険利用プランの提案をうけました。
こちらからの希望は以前から話していたので
プランの中に盛り込み済み。
来週にはデイサービスの見学に出向くことに。


ここへ来て、ようやく本人も
このままではいけないんじゃないかと
思いはじめたらしく
今のところは前向きに自らの意志で了解し
ケアマネさんとの契約書にも
自らサインしました。

自分の老いは自分で受けとめてほしい。
現実は現実として受けとめて
自分の人生の終盤を自分でデザインしてほしい。
そのバックアップを家族でしたいと思っているのであって
父の人生を父に代わって背負うことを求められても、
それはできないと思います。
ひとりひとりが自らの人生を背負うことが前提です。


■9月22日

デイサービスの見学。
時間は1時間弱くらいのものでしたが
疲れたといって横になってしまう。
ケアマネさんのプランでは
歩行困難以外は何も問題ない状態なので
とにかく歩けるようになってもらいたいと。
デイサービスも週3回の通所枠を確保したとのこと。
いきなり週3回で大丈夫なのかと案ずる母に
ケアマネさんは「減らすのは簡単だが
回数を増やすには定員の空き状況しだい。
取れるときに確保しておくべきと」のアドバイス。
見学に同行した母も
とにかくやってみないことには
わからないということで本人も納得。

次は事業所と利用契約をすることになります。


■9月23日

デイサービス利用契約を結ぶために事業所へ。
契約の他にも諸手続きがあって
小一時間ほどかかりました。

デイ通所初日は10月2日から。
いよいよ動き始めます。
ここまで来るのに半年以上かかりました。
ひとまずはホッとしました。



■9月28日

介護認定の更新結果の通知が届く。
初年度に限り半年後に見直しがあるのです。
父の場合は要介護3→要介護4でした。
より介護の必要度が高く判定されたということです。
つまりそれを半年間家族だけで(実質的には母メインで)
介護してきたことになります。

歩けないだけの寝たきり状態は
珍しいのではないかと。
たいていの場合は病的症状をかかえ
衰弱した結果の寝たきり状態かと。

逆に言えばそのくらい父は
徹底して動かなかったんです。
体の感覚すらわからなくなるほど
運動神経が機能しなくなっているんです。
さて、これからどこまで機能回復できるのか。

介護認定度の変更により
ケアマネさんのプランにも若干の手直しがあるようです。


■9月29日

車椅子での出入りのための住宅改修。
ケアマネさんと業者さんが下見に来ることに。
公道に面している玄関口は段差が急で
スロープを使うのは難しい。
裏木戸から出る方がよかろうということに。
でも本人は部屋の入り口に近い玄関の方を利用したい
と思っている(なるべく動きたくない心根が見え見え)。
とりあえず二通りの見積もりをだしてくださることに。

また、デイ通所が始まるので
車椅子や介護ベッド等のレンタル発注も同時進行。
通所開始の前日までには納品の予定とのこと。



介護保険で利用できる限度ギリギリまでを
有効利用しようと工面しているケアマネさん。
父の場合は歩ければ他には支障がないというだけに
このままの状態ではもったいないと言う。
だが当の本人は自分の一生の過ごし方のことなのに無関心。
しかし彼女も甘やかしはしません。
やれることはやってもらいますとピシッ。

そしてその姿勢は家族にも容赦なく向けられます。
この数日の急展開に母は追いつくのがやっとで
少々ペースを落としたくなってきていて
「もう少し時間を…」と言うと
「そんな時間はありません」とキッパリ。

家族とくに母にはややきついかとも思いますが、
援助を受けるというのは
自・他との協調なくしては成立しません。
制度に依存するのではなく
主体性をもって自らも汗するのが前提です。
自立とはそういう姿勢でもあるかと。
ここでもまた導引練習で培っているものに似た
協調性、バランス感覚が問われているような気がします。



8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
介護 (イーグル)
2010-10-15 11:11:23
こんにちは。

大変ですけれど、気持ちが通じ合えた時は嬉しいものですね(父の時の経験から)。

頑張ってくださいね!

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ありがとうございます (yuehua(月華))
2010-10-15 11:50:03
こんにちは

どうもありがとうございます。

じつは弟も私も父との相性は
お世辞にもよいとはいえないのです。
葛藤を抱えながらの介護生活です(^^;

イーグルさんの日記にはいつも励まされています。
避けることができない以上
自分も成長していけるように
この経験もまた太極拳にいきてくるであろうと
なるべく思うようにしてます。
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誤作動 (イーグル)
2010-10-18 13:18:38
振り子のように父に対する想いが行ったり来たりしています。恋慕と憎しみとの間を..一回忌を迎える今でも葛藤の日々に変わりはなく、末っ子の自分が家を継がず、普通に家を出ていたならこれ程心の誤作動を起こさなくも済んだのではないか、、、とも考えるこの頃です(T_T)
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心の誤動作というよりも (yuehua(月華))
2010-10-19 19:33:21
もしかしたら
心のさざ波みたいなものなのではないかしらと
ふっと思いました。

うまくは言えないのですが
そういう心の波風は
あってもいいのではないかと。
必ずしも否定的にとらえなくても
いいのかもしれないと
最近になって思ったりしているのですが。

なんといえばよいのか…
命の、感情の呼吸みたいなものかもって
思えてきたというか。

呼吸が吐いたり吸ったり
交互に繰り返すものであるように、
感情もある特定の感情だけに
長いこと浸ってしまうような状態さえ
避けられれば、
振り子のように行ったり来たりすることは
べつにいいのではなかろうかと。

息だってどちらかに偏り続ければ
苦しくなりますしょう。
それと同じなんじゃないのかなって。

とはいっても、葛藤の理由や背景も
人によりさまざまですし、
一括りにはできないことではありますが。

私の個人的経験からみても
苦しかったりせつなかったり、
当事者にとってはつらいものですよね。
答えはたぶんわかってるんですけど
自分がまだ受け入れられない
ということなのでしょうか。
人の心ほどやっかいなものもない…?


生意気なこと書き連ねてしまい
申し訳ございません。
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Unknown (イーグル)
2010-10-20 09:48:09
今ようやく葛藤の中で父と親孝行らしきことを一度も実現できなかったけれど、心の旅をしている そんな気もしています。

いつか恋慕と憎しみの揺れ幅が小さくなることを信じて生きていきます。
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心の旅 (yuehua(月華))
2010-10-20 15:26:05
《いつか恋慕と憎しみの揺れ幅が小さくなることを信じて…》

イーグルさんの心の旅、
私もまた辿っていくことになるんですね。
どんなに想像力を働かせてみても
実体験には及びません。

私にはまだ少し猶予時間が残されている。
その事実を前に
イーグルさんからいただいたコメントを
何度も読み返しています。

物わかりのいい娘にはなりませんし
母に対する八つ当たりには
厳しく非難することもやめないと思います。
だけどそのひとつひとつが
記憶として自分の心に刻まれていくことも
なるべく意識してみようと思います。

でも、何をしてもしなくても
悔いは残るような気がしています。
それを引き受けていくものなのでしょうね。
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とても勉強になります (あんこくじ)
2010-11-03 12:47:57
うちも、同様の準備を始めています。

大変ですが、なるようにしかならんだろうと、
家族みんなで今からスタミナ付けてます。

とほほ。

ブログのお話、参考になります。
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恐縮です (yuehua(月華))
2010-11-05 16:11:55
コメントありがとうございました。
お返事遅れてすみません。

多少の差はあるものの、
みな同じような状況になりつつあることを感じますね。

避けては通れぬ道なれど
介護する側される側双方にとって
なるべく負担の少なくなるようにと
願わずにはいられません。

当たり前なんですけれど
実際に体験してみると想像とは違います。
良くも悪くも、リアルってこういうことなのねと。

なるようになるってことが
いざとなると、なかなか受け入れられないものなんですよ。
欲目が邪魔をするんです。

そういうときに“ちょっと待て”と
センサーが働く。
ご承知のように、太極拳って体術だけではないでしょう。
考え方の感覚(センス?)も一緒に
磨かれてくるじゃないですか。
これがけっこう活きてくるような気がします。

太極拳を練ることで
少しずつ落ち着いて冷静に判断できたり
体もゆるまってきたり。
自己調整というか
常に自分をととのえておこうという
意志と意識が支えになってるのかなぁ。

太極拳と出会っていてよかったと思いますね。
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