基本科では毎回、一動作を集中して練習する。
套路練習とは違い、一つの動作を
基本から練習していくのだが、
これがものすごく良く効く。
いわゆる単練になるわけだが、
太極導引で要求される
体松、心静、自然はもちろん、
動作の微妙な協調のズレまでチェックできる。
一時、いつまでも基本科で練習していては
邪魔になるかなと思ったことも
あったのだけれど、
やはりまだ自分には必要だと思うから
やめられない。
つくづく基本ほど難しいものはないと思う。
練習内容はほんとに基本的な動作なのだ。
だが前進ひとつ、後退ひとつとっても
完璧に協調して動くことはできないでいる。
まだまだ粗いし要求すら満たせずにいる。
たとえば自主練習を繰り返していても、
知らず知らずのうちに
基本からズレて独りよがりの動き方が
身についてしまったものもある。
基本動作がしっかり身につけば
土台ができるのだから、
たとえはじめての動作に出会ったとしても
ゼロから始めるわけではない。
土台があるから
自分で考えることもできるし、
その考えを動きに反映させることも
できるだろう。
でも、そういうことがわかるのは
後になってからなのだ。
動き方の基本を覚えながら体をつくり、
意識の仕方や練習方法などを
身につけていく過程にある初心者のうちは、
なかなかそれがわからない。
また、わからなくて当然なのだとも思う。
少しずつ気づくことだからだ。
もしその時に土台があれば前に進めるし、
ちょっと不足と思えば引き返すこともできる。
そのための基本科でもあってほしいと思う。
始めたからには
少しでもはやく動けるようになりたいだろうし、
先を思えば焦るかもしれないけれど、
ここをじっくり繰り返し練習しておくと、
ほんとに後が違ってくるんだと思う。
套路練習とは違い、一つの動作を
基本から練習していくのだが、
これがものすごく良く効く。
いわゆる単練になるわけだが、
太極導引で要求される
体松、心静、自然はもちろん、
動作の微妙な協調のズレまでチェックできる。
一時、いつまでも基本科で練習していては
邪魔になるかなと思ったことも
あったのだけれど、
やはりまだ自分には必要だと思うから
やめられない。
つくづく基本ほど難しいものはないと思う。
練習内容はほんとに基本的な動作なのだ。
だが前進ひとつ、後退ひとつとっても
完璧に協調して動くことはできないでいる。
まだまだ粗いし要求すら満たせずにいる。
たとえば自主練習を繰り返していても、
知らず知らずのうちに
基本からズレて独りよがりの動き方が
身についてしまったものもある。
基本動作がしっかり身につけば
土台ができるのだから、
たとえはじめての動作に出会ったとしても
ゼロから始めるわけではない。
土台があるから
自分で考えることもできるし、
その考えを動きに反映させることも
できるだろう。
でも、そういうことがわかるのは
後になってからなのだ。
動き方の基本を覚えながら体をつくり、
意識の仕方や練習方法などを
身につけていく過程にある初心者のうちは、
なかなかそれがわからない。
また、わからなくて当然なのだとも思う。
少しずつ気づくことだからだ。
もしその時に土台があれば前に進めるし、
ちょっと不足と思えば引き返すこともできる。
そのための基本科でもあってほしいと思う。
始めたからには
少しでもはやく動けるようになりたいだろうし、
先を思えば焦るかもしれないけれど、
ここをじっくり繰り返し練習しておくと、
ほんとに後が違ってくるんだと思う。
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