夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

齢ばかり重ねた私は、季節のうつろいを友とし、限りなく愛読させられる本は・・。

2011-06-17 10:34:49 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市に住む66歳の高齢者の身であり、
東京郊外で農家の児として生を受けて、
中小業のサラリーマンを35年ばかり勤め、卒業した年金生活の7年生である。

古びた一戸建てに住み、小庭の雑木、草花を眺めたり、
周辺の遊歩道、公園を散策をしたりして、日々季節のうつろいを何よりも教示されている。

ときおり、家内との共通趣味の国内旅行などをして、
各地の四季折々の限りない美に心を留め、齢を重ねるたび愛惜が深まっている。

このように感じ受け止めて日々を過ごしたりしているが、
つたない無知な私は何かと書物で、改めて日本の歳時などを謙虚に学んでいる。

例えば、藤野邦夫・著の『幸せ暮らしの歳時記』(講談社文庫)、
飯倉春武・著の『日本人のしきたり』(青春出版社)、
朝日新聞社・編の『色の彩時記~目で遊ぶ日本の色』(朝日新聞社)、
講談社・編の『茶花歳時記』(講談社)、
野呂希一、荒井和生・共著の『言葉の風景』(青菁社)、
長谷川 櫂・著の『四季のうた』(中公新書)、
松田 修・著の『古今・新古今集の花』(国際情報社)、
道行めく・著の『美しい日本語帳』(永岡書店)、
山下景子・著の『美人の日本語』(幻冬舎文庫)
などが私の机の横にある小さな本箱にあり、
定年後に幾たびか読み返したり、或いは初めて精読した本もある。

そして齢ばかり重ねた無学な私は、ときおり国語の辞書を置き、
そおっと開いたりしている・・。
久松潜一・監修の『新潮国語辞典 ~現代語・古語~』(新潮社)であるが、
二十歳以来から何かと教示を受け、私の秘かな言霊(ことだま)の恩師となっている。


私は定年退職後に自宅にインターネットを開設した遅れた身であるが、
Webの世界の進化に驚き、ため息をしたひとりである。

そして、まもなく『日本文化いろは事典 ~胸はって、ニッポン人!~』を知り、
ときおり開き、学んでいる。

http://iroha-japan.net/
☆【 日本文化いろは事典 ~胸はって、ニッポン人!~ 】

このサイトを開き、知りたいことを検索し、
こうだったの、と赤面したりしながら学んだりしている。


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三浦朱門・著作『老年のぜいたく』、この人生の確かな教科書のひとつである、と確信を深めて・・。

2011-06-15 23:38:07 | 読書、小説・随筆
作家・三浦朱門の最新作のエッセイ『老年のぜいたく』(青萠堂)を、
昨日、本屋で偶然に見かけ、購読した。

http://www.seihoudo.com/zeitaku.html
☆【青萠堂ホームページ】<== 三浦朱門(みうら・しゅもん)氏の著作『老年のぜいたく』☆

私は三浦朱門氏の作品は殆ど読んでいなく、
ただ『第三の新人』グループの作家のひとりであることぐらいは知っている。

もとより1953年から1955年頃にかけて文壇に登場した純文学の新人小説家を、
第一次戦後派作家・第二次戦後派作家に続く世代として、『第三の新人』と評論家・山本健吉が命名された。
そして小島信夫(1915年、生まれ)、島尾敏雄(1917年)、小沼丹(1918年)、近藤啓太郎(1920年)、
安岡章太郎(1920年)、阿川弘之(1920年)、庄野潤三(1921年)、遠藤周作(1923年)、
吉行淳之介(1924年)、三浦朱門(1926年)、曽野綾子(1931年)等の作家がいる。

私は東京オリンピックが開催された1964年に、大学を中退し、
映画・文学青年の真似事を4年ばかりした時、
『第三の新人』の作家としては、特に阿川弘之、庄野潤三、遠藤周作、各氏の作品に圧倒的に魅了させられ、
精読したひとりである。
映画・文学青年の真似事を挫折し、これ以降サラリーマンを35年ばかり務めている間も、
この3氏などの作品は愛読者として読んだりしてきた。

三浦朱門氏の作品に関しては、筑摩書房が日本文学のシリーズとして、
『筑摩現代文学大系』の81巻で三浦朱門、三浦哲郎、立原正秋の三氏が収録され、
確か1980年に読んだ記憶がある。

そして三浦朱門、曽野綾子、遠藤周作の三氏に寄る『まず微笑』(PHP文庫、1988年)を最近読んだりしたが、
この作品集の原題は『愛のあけぼの』(読売新聞社、1976年)と記載されている。

ここ10年ぐらいは、氏のエッセイを月刊総合雑誌の『文藝春秋』、
季刊雑誌『文藝春秋SPECIAL』などで読んだりしている。

このように私は、三浦朱門氏の小説、エッセイは、わずかに読んだ程度である。


本書は氏の優(すぐ)れたユーモアを根底に、氏のこれまでの人生の軌跡をくまなく発露され、
そして今日の85歳の心情を綴られたエッセイである。

タイトルに掲げられた『老年のぜいたく』は、
《・・
ゼイタクというのは、物と人を思うさまに使える、といったことでなく、
日常生活の生き方、つまり一切の行動の行き方、つまり一切の行動が自由であり、
一瞬、一瞬を充足して生きることができる、といったことであろう。

老人にはそんな生活が期待できるであろうか。

できる。
・・》
注)本書の11ページ。
  原文にあえて改行を多くした。

このような命題を掲げて、具体的な言動を余すところなく発露される。


私は圧倒的に魅せられた箇所は、
《・・
結婚生活を主とする第二の人生の領域が、第一の人生のそれを圧倒するに及んで、
結婚は第二の人生の中心になる。
その意味で配偶者は生涯の伴侶なのである。

結婚相手の容姿や性愛は、結婚生活の包み紙でしかなく、すぐに棄てられるのだ。
包み紙を問題にして離婚する人は気の毒というより仕方がない。
・・》

注)本書の21ページ。
  原文にあえて改行を多くした。

特にこの中のたった一行、
《 結婚相手の容姿や性愛は、結婚生活の包み紙でしかなく、すぐに棄てられるのだ。》
私は66歳の身であるが、5分ばかり心の中でどよめき、うなった人生のまぎれない哲学である。

こうしたことを初めとして、数多く紹介したいが、後は本書をお読み願いたい。

尚、本書は大人の諸兄諸姉にお読み頂きたく、
特に40歳以上の方たちには、たとえ睡眠時間を削ってでも、
これからの確かな人生の教科書のひとつ、と私は確信を深めている。



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『暮らしの年表/流行語100年』の本、齢ばかり重ねた私でも、思わず読んでみたい一冊・・。

2011-05-31 10:07:25 | 読書、小説・随筆
私は今朝、いつものように読売新聞の朝刊を読んでいたら、
3面の最下段に出版広告のひとつに、しばらく目を留めた・・。

《 1911(明治44)年から2010(平成22)年まで
             この100年を日本人はどう暮らしてきたか

    『暮らしの年表/流行語 100年』
     
 身近な出来事を豊富に盛り込んだ年表と、
 時代を映す流行語の辞典を組み合わせたユニークな近・現代日本クロニクル。
 ヒットした商品・曲・本・映画のデータも充実!

 読んでも面白い! 永久保存版 》
                

このように表示されていたので、私はこっそりとこの本をネットで調べたのである。

http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=216745X
☆【講談社ホームページ】<==編者:『暮らしの年表/流行語 100年』☆


私は東京郊外の調布市に住む年金生活の身であるが、
私たち夫婦は子どもに恵まれなかったので、たった2人だけの家庭で、
古惚けた一軒屋に住んでいる。

日常の私は、定年後から自発的に買物の専任者となり、
殆ど毎日スーパー、専門店に行き、責務を終えた後は散策をしたりし、
季節のうつろいを享受し、心を寄せたりしている。

こうした中で、大半の時間は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
或いは音楽も聴いたりして過ごしている。

そして、ときたま小庭を手入れをしたり、
家内との共通趣味の国内旅行をして、その地の風土、文化などを学んだりしている。


このような生活をしているが、私は高校生の時代から、
歴史年表をこよなく魅了されて、読んだりしている。
古今東西、人々の営みを凝縮した出来事のひとつでも、その時代に思いを馳せ、
私なりに享受させられることが好きなのである。

昨今、何かと私が愛用している本のひとつには、
神田文人・小林英夫の両氏に寄る編集『戦後史 1945~2005 年表』(小学館)を、
机の脇にある小さな本箱に置いて、
時折この本を開いたりしている。

『政治・経済』、『世界』、『社会』、『文化・芸術』、『世相』の区分で、
それぞれの年の出来事を一覧できて、
つたない私は、あの年にあのようなことがあったのだ、
と恥ずかしながら学んだりすることもある。

或いは興味のある出来事を知り、喚起されて、
原因、関連を学ぶために、単行本・新書・文庫本も買い求めることもある。


今回、この本は、この100年の日本の社会の出来事を主軸に、
日常生活のみじかな変貌した出来事を整理され、羅列した本と理解し、
私なりに読んでみたい本の一冊となったのである。


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定年退職後、毎月10日の予定日は、『文藝春秋』の発売日、と私は家内に応(こた)えて・・。

2011-05-10 08:00:22 | 読書、小説・随筆
は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
2004(平成16)年の秋に定年退職し、年金生活をし始めると、
カレンダーに記入している予定事項の空白が多いのである。

冠婚葬祭、家内と国内旅行、家内と都心のデパート、専門店で買物、友人との居酒屋での懇親会、
そして歯の治療の伴い、歯科医院に通院する日・・このくらいしか予定がなく、
サラリーマンの多忙だった現役時代に比べ、愕然としたこともあった。

平素の年金生活は、買物の専任者となった私は、独りで殆ど毎日スーパー、専門店で買物をしたり、
散策をしたりして、季節のうつろいの情景に心を寄せたり、
このサイトに、その時に思ったこと、思索したことなどを心の発露として、
投稿したりしている。

そして大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
或いは音楽も聴いたりしている。

そして、ときたま小庭を手入れをしている程度である。


昨日も家内から、明日の予定は何かあるかしら、
と私は問われて、
『明日の10日は・・『文藝春秋』の発売日よ・・』
と明るく大きな声で家内に言ったりし、家内から笑われたりした。

総合月刊誌のひとつである『文藝春秋』のことであり、
毎月10日に発売日となり、私は定期購読しているひとつである。


私が『文藝春秋』を定期的に読み始めたのが、
1970(昭和45)年の25歳の時であった・・。

私の雑誌に関しては、これまでの簡略暦を恥ずかしながら綴る。

私は1944(昭和19)年に東京の郊外の農家の三男坊として生を受けた。
祖父、叔母、両親、兄2人などの7人の家族であり、
小作人の方たちの協力を受けて、程ほど広い田畑を耕していた。
そして多忙期の時などは、農業大学の研修を目的とした実習生なども受け入れていた。
このような家庭環境であったが、
本にしても雑誌に関しては、農協の発刊する『家の光』しか記憶がなかったのである。

私が小学4年生を過ぎた頃、
都会から引越しされた同級生のサラリーマンの家に遊びに行った時、
居間にある書物を見て、余り多くあるので驚いて、
子供心に衝撃を受けたのである。

この頃の私は、月刊の漫画雑誌のひとつの『少年画報』などを下校の時、
本屋で買い求め、読みながらとぼとぼ帰宅したりした。


私が読書に目覚めたのは、高校生になってからである。
人並みに文学の文庫本、単行本を買い求めたりしていたが、
授業の時事に魅了されたので、週刊誌の『朝日ジャーナル』を購入し、
海の彼方のケネディなどの政治家に心酔していた。

大学に入学する前後から、映画専門雑誌の『キネマ旬報』に熱中し、
小学4年生の頃から独りでたびたび映画館に通ったりしてきた体験も加わり、
これが原因で大学を中退し、映画青年の真似事の期間を過ごしたりしていた。

その後、文学に移り、純文学の月刊誌『文学界』、『新潮』、『群像』、
中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を精読したり、
総合雑誌の『文藝春秋』を不定期に購読していた。


1970(昭和45)年の25歳の時、映画・文学青年の真似事も挫折し、
遅ればせながら企業に中途入社をして、社会人のひとりとなった。
この時、私は余りにも一般的な常識の政治、外交、軍事、経済、社会などに欠けていたことに気付かされ、
劣等感も抱きながら、総合月刊雑誌の『世界』、『中央公論』、『文藝春秋』を毎月読むようになったのである。

この頃は、血気盛んな私は独身青年であったので、娯楽週刊誌の『平凡パンチ』まで読んでいたので、
私は秘かに『世界』から『平凡パンチ』まで雑誌を読んでいるのは、
日本広しといえども私ぐらい、と自惚(うぬぼ)れしてもいた時期であった。

しかしながら、たまたま音楽業界のレコード会社に勤めて情報畑で奮闘していると、
数多くのサラリーマンと同様に多忙となり、
やがて結婚をしたり、住宅ローンの返済に苦労したりすると、
次第に格調高い『世界』の知識についていけず、
『中央公論』だけは時折、特集記事により購読するようになった。

そして結果的には、毎月に愛読している総合月刊雑誌としては『文藝春秋』だけとなり、
定年退職後の今でも、このようになっている。
高齢者2年生の66歳の私にとっては、毎月秘かに逢える友のひとりとなっている。


私はそれぞれの寄稿文を読みながら、私と同じような思いに安堵し微笑んだり、
記載されていることの内容が程度の低いことと感じられ、綴られた著者に失望したり、
或いは私が無知だったことを知り、謙虚にご教示頂いたりしている。

ここ数年の楽しみのひとつとしては、毎月10日に発売されているが、
その日の朝、読売新聞に広告として掲載されている・・。
この時に特集記事が明記されているので、私は読みながら、やはりこの記事だった、
と私なりに予測していたことと同一の場合は、独り微笑んでしまうのである。

尚、私は『文藝春秋』の数多くの寄稿文で、読みながら理解出来なくなった時は、
ボケた時と確信し、やむなく、この世とおさらばし、自裁する時と思ったりしている。


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この世で一番怖い本は、佐高信(さたか・まこと)・著の『タレント文化人100人斬り』・・!?

2011-04-26 19:05:32 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳であるが、
本日も日中の大半、家内に手伝って貰いながら、本の整理をしていた。

文庫本、新書本の1000冊ぐらいの中から、一冊の本のタイトルに少し気になり、
片隅に置いたのである。
そして半分ぐらいは、やむえなく捨てることにした。

この後、夕方の4時過ぎに、本の整理につかれたので、
本日は終了しょう、と私は家内に言ったりした。

そして、片隅に置いていた一冊の文庫本を庭のテラスに下り立ち、
読みはじめて、動顚させられた・・。

佐高信(さたか・まこと)・著の『タレント文化人100人斬り』(現代教養文庫)であり、
1998年7月30日に発刊された文庫本である。

本の帯には、
《 実名をあげて筆力を振り下ろす--
    『噂の真相』に連載中の人気コラム100回分を一冊に収録 》
と明記されていた。

そして本のカバーの中には、
《 奢る昂ぶるタレント・作家・政治家・財界人などに
                 筆力を振り下ろされる。》
と明示されていた。

私が少し読んだ限りであるが、
ビートたけし、盛田昭夫、渡辺淳一、阿川弘之、田原総一郎、堺屋太一・・各氏の論評を読んだりしたが、
10数年前に読んでいたのであるが、殆ど忘却してしまい、
改めて読み、動顚させられたのである。

佐高信(さたか・まこと)氏は評論家であり、私は確か数冊は読んだ記憶があるが、
確かに反骨精神の旺盛なお方と心の片隅に、印象が残っていた程度であった。


本書は著名なタレント・作家・政治家・財界人などに論評をされた内容であるが、
確固たる信条に基づいて、著名人の言動、著作物を根底に、豪速球のような綴るのである。

論評された著名人たちは、徹底的に無視するが、或いは反論するにしても体力も知力も要求される、
と私は思ったりした。

私は、高校生に突然に読書に目覚めて、数多くの本を50年間に読んだりしてきたが、
私の知る限り、この世で一番怖い論評集の一冊である、と確信させられたりした・・。

もとより評論家は、紙面で論評するのは、いい加減な論評は反論されやすいし、
誤った批評は、名誉毀損で告訴されるので、評論家の生命をかけて、論評されるのである。
こうしたことから、特に著名人たち関しては、やんわりと変化球のような形で、
論評されることが多いが、
佐高信(さたか・まこと)氏の論評は、たとえ反論されても、
戦国時代に見られた豪太刀のような筆力で論破している。

これは怖いお方である、と深く感じたのである。


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定年退職後、何かと読書する時間は多く、私なりに愛読している作家は・・。

2011-04-25 19:01:52 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳であるが、
日常は買物、散策などの折、季節のうつろいを享受し、
その時に思ったこと、思索したことなどを心の発露として、
このサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。

日常の大半は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
そして音楽も聴いたりしているので、一日が終るのが早い、と溜息をついたりしているのが多い。

そして、ときたま小庭を手入れをしたり、
家内との共通趣味の国内旅行をして、その地の風土、文化などを学んだりしている。


本日も日中、本の整理を家内に手伝って頂き、やむなく捨てる本などを整理した。

先ほど、庭のテラスに下り立ち、煙草を喫いながら、
退職後に愛読している作家は・・と思ったりした。
特に読んだ作家は、阿川弘之、嵐山光三郎、藤原正彦、佐野眞一、塩野七生・・各氏かしら、
と思ったりしている。

私は若き日に映画・文学青年の真似事をして、敗退した身であるが、
この当時は圧倒的に読んだのは、日本の数多くの作家の小説であった。
その後は、民間のサラリーマンを35年ばかりし、定年を迎えたのであるが、
この間は、小説の読書は減少し、随筆、ノンフィクションが増えたりした。

退職後は、殆ど小説は読まなくなり、随筆、ノンフィクション、現代史が多くなっている。

そして特例として、総合月刊雑誌の『文藝春秋』だけは、
少なくとも1970(昭和45)年以来、定期購読している。

このように時代の変貌と共に、つたない私の心もうつろっている。


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過ぎ去り日の時代の小説、評論の単行本、私は整理をして、処分をめぐらしても、やむなく・・。

2011-04-24 22:01:43 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
午後のひととき、家内に手伝って頂き、本の整理をし、処分する本などした。

こうした思いは、過日の21日に、このサイトに於いて、
【 本の整理を私なりに、大幅に見直して、日中のひととき行えば・・。】
と題して投稿している。

http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/e121fb2fcc0438df3e9625d264c3db3e
☆【年金青年たわむれ記 ~かりそめ草紙~ 】
     4月21日【 本の整理を私なりに、大幅に見直して、日中のひととき行えば・・。】☆


押入れに収納していた単行本を整理をし始めたのであるが、
主に私が東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年前後の5年間ぐらいで購入した
小説・文学評論が圧倒的に多かったのである。

石川達三、丹羽文雄、三島由紀夫、安部公房、大江健三郎などの各氏が多く、
そして福永武彦氏の本は、殆ど所有していたのには、微苦笑させられたりした。

この方たち作家の作品は、今後は読むこともないだろう、
市の資源ゴミにだすことに決めたのである。


数年前、自宅から徒歩10分ばかりのある古本屋のチェーンの支店長と私は話し込んでいた時、
私は思いついたように、自宅の本を思い浮かべて、
もしも古本屋に売却したら、と小説、文藝評論の数々の名を上げたら、
『信じられいような廉(やす)さと思いますよ・・
ご愛読された本と思いますので、ご自宅で保管された方がよろしいかと思います・・』
と私は支店長から言われてしまったのである。

その後、やむなく市の図書館に寄贈しょうと思ったりしたが、
友人にこのようなことを話したら、
昨今は図書館でも過剰で困り果てているのが多い、と教えられた。


私が保有している小説、随筆、評論などは、市の図書館の本館に、八割方ぐらいあるが、
今現在としては、全ての本を処分する気にはなれないので、
結果として、図書館に寄贈は断念したのである。


本日の押入れにあった本は、3冊だけ保存することにして、
500冊ぐらい処分としたのである。

そして石川達三、丹羽文雄、三島由紀夫、安部公房、大江健三郎、福永武彦などの各氏、
さよならを告げたのである。


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『蒼穹(そうきゅう)』という言霊、私は心の深淵まで魅了され・・。

2011-01-05 00:09:40 | 読書、小説・随筆
私が蒼穹(そうきゅう)という言葉を遅ればせながら知ったのは、
昭和55年(1980年)10月の初旬で、私が30代のなかばであった。

敬愛していた作家・立原正秋氏が亡くなり、
遺稿エッセイ集として立原正秋・著の『冬の花』(新潮社)から発刊されて、
私は発刊日を待ち焦がれて、買い求めた一冊である。

この中の随筆のひとつとして、
『旅から帰って』と題された随筆があり、私は初めて『蒼穹』という言葉を知り、学んだのである。

【・・
1日、思いたって浦上蒼穹堂を訪ねた。
有名な店ではない。蒼穹堂は私がつけた店である。
浦上満くんは繭山龍泉堂に五年間勤め、
日本橋の仲通りに独立して小さな美術店を開いた。
・・
たのまれて蒼穹堂の扁額を認めたが、
日が経つにつれて字が不安になってきたので、
それをたしかめるためでもあった。

・・』
立原正秋・著の随筆集『冬の花』から、『旅から帰って』よりP45の一部を引用

注)著作者の原文より、あえて改行を多くした。


私は読みながら、蒼穹という言葉は、
作者が朝鮮半島で生を受けたのであるから、
大陸性の風土で、澄み切った蒼い空が空一面に果てしなく拡がった冬晴れるの光景を
思い浮かべたのである。

このような想像をしながら、私は亡くなわれて数が月の作家に愛惜を深めたりした・・。


この後は、平成8年(1996年)の4月に、本屋で『蒼穹の昴』と題された背文字に魅了されて、
本棚から取り出したのは作家・浅田次郎の小説の上・下巻(講談社)であり、
まもなく私はこの小説に夢中になった後、この作家の過去の作品を探し求め、
読んだりしたのである。


そして、平成11年の晩秋の頃、大型書店で偶然に、
金子 昌夫・著の『 蒼穹と共生~立原正秋・山川方夫・開高健の文学 ~』
という評論集を見かけたが、
殆どの作者の作品を読んだりしていたので、購入しなかったのである。
ただ、《透きとおった蒼空の動かしがたい美しさ》と本の帯に書かれていたのが、
心に残ったのである。


そして、一昨年の平成21年(2009)年の1月15日、
偶然に、あるサイトの投稿文の詩を読んでいたら、
私は詩の世界は余り読んだことがないが、
私の知る限り、桁外れに才能を秘めた詩を読んだのである。

  『バラード』と題された詩で

【・・

市営グランドの柵を乗り越えたら
そこは満天の星々
ぼくだけの舞台に
またひとつ流れ星が堕ちてゆく
なにひとつ
歌の聞こえてこない市営グランド

寝そべって見上げれば
空も 
地球も
人間も
すべての生き物も
蒼穹の夢の欠片のような輝き

・・


私は、《寝そべって見上げれば・・》からはじまる一節、
何より《蒼穹の夢の欠片のような輝き》一節・・
この一節だけでも、私が感じ、感銘を受けた度合いは、詩人・宮沢賢治氏を遙かに凌駕している。


先ほど、隠れた才能のある方の詩を再読し、
動顚するほどに感銘を受けたので、
改めて《蒼穹》に関して、このような形で私なりに綴ることができたのである。

尚、この作者の表現された詩は、このサイトにある。

http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/pikkipikki


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ときには、駅前の本屋で文庫本を選べば・・。

2010-08-18 18:26:50 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市に住む65歳の高齢者の身であり、
東京の郊外で農家の児として生を受けて、
中小業のサラリーマンを35年ばかり勤め、卒業した年金生活の6年生である。

古びた一戸建てに住み、小庭の雑木、草花を眺めたり、
周辺の遊歩道、公園を散策をしたりして、日々季節のうつろいを何よりも教示されている。

ときおり、家内との共通趣味の国内旅行などをして、
各地の四季折々の限りない美に心を留め、齢を重ねるたび愛惜が深まっている。

こうした私であるが、高校時代の初め、突然に読書に目覚め、
本を読むことに深く魅せられている。


昼前に駅前の旅行代理店に予約した交通・宿泊券を受け取るために寄った後、
何気なしに本屋に寄った。

私は自宅に未読の本があったが、最新の本を眺めるのも好きであり、
こうした悪い癖は、45年ばかりの習性となっている。

教養・文藝関係の雑誌コーナーを眺め、新刊本の書棚を見たり、文庫新書の書棚、そして文庫本の書棚、
このような順番で眺めることが多い。

本日もこのような順番で見たりしたのであるが、
たまたま最後の文庫本で魅せられた2冊があり、購入した。

車谷長吉・著の『文士の魂・文士の生魑魅』(新潮文庫)であり、
新刊本の発売時に見逃した本である。

http://www.shinchosha.co.jp/book/138515/
☆新潮社ホームページ 車谷長吉・著の『文士の魂・文士の生魑魅』(新潮文庫)☆


この後の一冊は、若き日に映画青年の真似事をした私は、
映画を数多く観てきたので、瞬時に魅せられた本である。
貴田 庄・著の『原節子 あるがままに生きて』(朝日新聞出版)であり、
本書は書き下ろし、明記されている。

http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=11607
☆朝日新聞出版ホームページ 貴田 庄・著の『原節子 あるがままに生きて』(朝日新聞出版)☆

私はたった二冊の文庫本であるが、この文庫本にめぐり逢えたことに感謝し、
帰宅したのであった。


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ときには、総合月刊雑誌の『中央公論』の特集に注視させられ・・。

2010-07-14 10:14:27 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であり、
総合月刊誌に関しては、『文藝春秋』は40年ばかり定期愛読しているが、
『中央公論』は特集記事に読みたいと思った場合は、購読している。

毎月、読売新聞の朝刊に殆ど10日に於いて、
この両誌が広告として掲載されているので、過日の10日で見たのである。
そして『中央公論』』(八月号)の当月の特集記事を見て、
私は買い求めることにした。

http://www.chuokoron.jp/newest_issue/index.html
☆ 中央公論新社ホームページ 『中央公論』(八月号)☆

この後、10日は、いつものように買物に行った後、
最寄のコンビニに寄り総合月刊誌の『文藝春秋』(八月号)を購入したが、
無念ながら、『中央公論』は駅前の本屋にしか置いていないので、
12日の午前中に歯科医院の治療で駅前に出かけた私は、
本屋の開店時間に合わせて、念願の『中央公論』を買い求めることが出来たのである。

そして歯科医院の待合室で、この総合月刊雑誌を読み始めたのである。
まもなく歯科医師の清楚な女性のアシスタントの方から、
私は治療の時間を告げられても、熱読したので、聴こえなかったのである。

そして、私は二度目に呼ばれて気付いたらしい、
と微笑みを浮かべられながら女性のアシスタントの方から云われた。


そして、帰宅後も読み、昨日の梅雨寒いの日中も読んだりした・・。

最初に読んだのは、
特集の【「超」増税時代を生きる】であり、
次は【この夏、旬のテーマを読む50冊】、
そして【日本に二大政党制は無理
     〈また昭和の繰り返し─世論調査は平成の「統帥権」〉
         座談会 半藤一利 保阪正康 松本健一 】

このような順序で読み、この他の寄稿文も多々教示された。

私は齢ばかり重ね、体力も衰えた身であるが、
ときには朝食時間も忘れ、熱読することもある。


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たかが『文藝春秋』、されど『文藝春秋』・・。

2010-07-10 20:27:14 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
梅雨の間の快晴の中、いつものように買物に行った後、
コンビニに寄り総合月刊誌の『文藝春秋』(八月号)を買い求めた。

http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/index.htm
☆ 文藝春秋ホームページ 総合月刊誌の『文藝春秋』(八月号) ☆

帰宅後、昼食を家内と共に頂いた後、
昼下がりの頃に、居間のはずれのエアゴンの冷風の中、
簡易ベットに横たわりながら、私は購入した『文藝春秋』を読みはじめた・・。

三時間ばかり読んだりすると、
体力の衰えた私は無念ながら眠くなり、一時間ぐらい夕寝をしてしまった。
目覚めた後、着替えて、洗面所で顔を洗い、
そして玄関の軒下で煙草を喫ったりし、夕暮れの情景をぼんやりと観た後、
ソフアーに座り、再び『文藝春秋』を開いたりした。

毎月のことであるが、私はこよなく『文藝春秋』を愛読しているひとりである。


私はこの総合月刊誌の『文藝春秋』に関しては、
このサイトに幾度も綴っているが、この中のひとつを再掲載する。

【 私の友のひとりは、月刊総合雑誌の『文藝春秋』となり・・。 】
と題し、今年の2010年4月11日に投稿している。

【・・
昨日、月刊総合雑誌のひとつの『文藝春秋』(5月号)を買い求めて、
日中から深夜までの大半は読みふけっていた・・。

私が『文藝春秋』を定期的に読み始めたのが、1970(昭和45)年の25歳の時であった。

それまでの私のつたない雑誌に関しては、恥ずかしながら告白めいたことを綴る。

私は1944(昭和19)年に東京の郊外の農家の三男坊として生を受けた。
祖父、叔母、両親、兄2人などの7人の家族であり、
小作人の方たちの協力を受けて、程ほど広い田畑を耕していた。
そして多忙期の折などは、農業大学の実習生なども受け入れていた。
このような家庭環境であったが、
本にしても雑誌に関しては、農協の発刊する『家の光』しか記憶がなかったのである。

私が小学4年生を過ぎた頃、
都会から引越しされた同級生のサラリーマンの家に遊びに行った時、
居間にある書物を見て、余り多くあるので驚いて、
子供心に衝撃を受けたのである。

この頃の私は、月刊の漫画雑誌のひとつの『少年画報』などを下校の時、
本屋で買い求め、読みながらとぼとぼ帰宅したりした。


私が読書に目覚めたのは、高校生になってからである。
人並みに文学の文庫本、単行本を買い求めたりしていたが、
授業の時事に魅了されたので、週刊誌の『朝日ジャーナル』を購入し、
海の彼方のケネディなどの政治家に心酔していた。

大学に入学する前後から、映画専門雑誌の『キネマ旬報』に熱中し、
小学4年生の頃から独りでたびたび映画館に通ったりしてきた体験も加わり、
これが原因で大学を中退し、映画青年の真似事の期間を過ごしたりしていた。

その後、文学に移り、純文学の月刊誌『文学界』、『新潮』、『群像』、
中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を精読したり、
総合雑誌の『文藝春秋』を不定期に購読していた。


1970(昭和45)年の25歳の時、映画・文学青年の真似事も挫折し、
遅ればせながら企業に中途入社をして、社会人のひとりとなった。
この時、私は余りにも一般的な常識の政治、外交、軍事、経済、社会などに欠けていたことに気付かされ、
劣等感も抱きながら、総合月刊雑誌の『世界』、『中央公論』、『文藝春秋』を毎月読むようになったのである。

この頃は、血気盛んな私は独身青年であったので、娯楽週刊誌の『平凡パンチ』まで読んでいたので、
私は秘かに『世界』から『平凡パンチ』まで雑誌を読んでいるのは、
日本広しといえども私ぐらい、と自惚(うぬぼ)れしてもいた時期であった。

しかしながら、たまたまレコード会社に勤めて情報畑で奮闘していると、
数多くのサラリーマンと同様に多忙となり、
やがて結婚をしたり、住宅ローンの返済に苦労したりすると、
『世界』の知識についていけず、
『中央公論』だけは時折、特集記事により購読するようになった。

そして結果的には、毎月に愛読している総合月刊雑誌としては『文藝春秋』だけとなり、
定年退職後の今でも、このようになっている。
年金生活で高齢者の入門の65歳の私にとっては、毎月逢える友のひとりとなっている。


私はそれぞれの寄稿文を読みながら、私と同じような思いに安堵し微笑んだり、
記載されていることの内容が程度の低いことと感じられ、綴られた著者に失望したり、
或いは私が無知だったことを知り、謙虚にご教示頂いたりしている。

ここ数年の楽しみのひとつとしては、毎月10日に発売されているが、
その日の朝、読売新聞に広告として掲載されている・・。
この時に特集記事が明記されているので、私は読みながら、やはりこの記事だった、
と私なりに予測していたことと同一の場合は、独り微笑んでしまうのである。

尚、私は『文藝春秋』の数多くの寄稿文で、読みながら理解出来なくなった時は、
ボケるの避けたいので、この世とおさらばし、自裁する時と思っている。


・・】

このように綴って折、まぎれなく私にとっては一番長く継続し、
愛読している総合月刊雑誌である。



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丸山健二・著の『田舎暮らしに殺されない法』・・。

2010-07-05 12:12:34 | 読書、小説・随筆
丸山健二・著の『田舎暮らしに殺されない法』(朝日新聞出版)を読み、
私なりに考えさせられたのである・・。

http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=9397
☆朝日新聞出版 丸山健二・著の『田舎暮らしに殺されない法』 ☆

この解説文をお借りすれば、
《・・
団塊の世代が定年を迎え、「第二の人生」を「夢の田舎暮らし」に託す人々が増えた。
ところが……。
安易に田舎暮らしを決めて、本当にいいのか? 
厳しい自然環境、共同体の閉鎖的な人間関係、やがて襲ってくる強烈な孤独など、
田舎に暮らすことの幻想を暴きつつ、
それでも田舎暮らしを志向する人に向けて、自立し、目的意識を持つことの大切さを説く。
田舎暮らし歴40年の著者が、豊富な体験から田舎暮らしに潜む危険を説く書き下ろしエッセイ。
・・》
注)原文にあえて改行を多くした。


私は東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年に大学を中退し、
映画・文学青年の真似事していたが、
まもなく純文学月刊誌の「文学界」で、丸山健二氏のテビュー作品の『夏の流れ』を読み、
衝撃を受けたひとりである。

私よりひとつ齢上で、このような静謐な表現ができるのに、
今、思い浮かべても、打ちのめされた、と記憶している。

その後、氏の小説、随筆は10数冊ばかり買い求めて読んだりしてきたが、
愛読者の範疇には入らないが、
このお方の人生の過ごされる状況に、何かと注視してきた。

今回の田舎暮らしを安易に決める方たちの警告書であり、
私も若き頃の30代の頃、田舎暮らしを夢みたひとりであった。

サラリーマンをしながら、人生の後半になれば、と夢想してきたが、
50代の頃には都会の利便性に何かと享受して身に沁み、
体力の衰えた定年後を想像し、断念した。

このような私の心の奥底には、幼年期まで農家の児として育ったので、
成人する頃まで地元の状況には愛憎を重ねたりし、
ここ10数年にわだかまりが消え去った、というのが本心である。


本書で丸山健二氏の提言された中で、
《田舎は「犯罪」の巣である》
《「付き合わずに嫌われる」ほうが底が浅く、
「付き合ってから嫌われる」ほうが数倍も根が深い》
少なくともこの章だけでも、
自治体の田舎に住む斡旋活動はもとより、テレビの放送、新聞、雑誌なとの大手メディアなどでは、
言動されることがない。

このことは丸山健二氏が作家としてデビュー後まもなく都会生活を打ち切り、
生地の周辺の村営住宅に住まわれた後、
亡き父の遺(のこ)された荒地を独力で開墾し、
独創性ある住居を建て、自力ですべて庭を作り40数年の苦楽を体験されことを根底にあり、
氏のうわべでない優しい真情で田舎を余すところなく表現された哲学書のひとつである。

昨今、幼年期より都会に住まわれ、田舎の生活も体験したことのない諸兄諸姉で、
旅先の地方の情景に魅せられ、田舎暮らしを思案されている方、
この一冊の本を精読された上で、決断されるのがよい、と私は確信を深めている。



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喫煙文化研究会・編集の『愛煙家通信 No.1』、時代のうつろいを学び・・。

2010-07-05 02:02:31 | 読書、小説・随筆
ひとつの喫煙文化研究会・編集の『愛煙家通信 No.1』に関しては、
私は愛煙家のひとりとして、あるサイトに2005年の頃、
【煙草は日本の文化のひとつである】と題し、昨今の嫌煙ブームの風潮に憂いを綴ったりした身でもある。

この程度のことは、この本の特集のひとつで、
《喫煙は日本の文化だ》と題され、数多くの著名人が綴られていたが、
私なりに学んだが、何よりも驚嘆したのは、
評論家の井尻千男(いじり・かずお)・著の『集団が生き残るための知恵』の寄稿文であった。

この中で氏は、宮澤政権の当時、
宮澤総理の辞令を受けて厚生省の審議委員になり、
毎月一回、禁煙派の医学関係者と論戦をたたかわせた、と述べられていた・・。

《・・
このときの同士は医事評論家の水野肇氏だった。

氏は当時人口に膾炙(かいしゃ)するようになったアルツハイマー病患者が
非喫煙者に多いという統計を挙げて、
自分は脳を病んで人さまに迷惑をかけて死ぬより、
肺ガンで死ぬことを選ぶと勇ましく宣言した。

(略)

その審議会で面白かったのは、
初回こそ10人ほどいた禁煙派が厳しい口調で愛煙家を非難したが、
毎回同じ非難をすることの愚を悟ったのか、
次第に愛煙家の弁に耳を傾けるようになった。

水野委員はもっぱら、
痴呆症になって人さまに迷惑をかけながら、
そのことすら認識できず一日でも長く永生きようとするのか
(タバコの煙の中のなんとかという成分がアルツハイマー病に予防効果のあることを繰り返し)、
それとも肺ガンになっても最期まで明瞭な意識をもって生(せい)をまっとうしょうとするのか。

要は死生観の問題であり、徒(いたずら)に永生きすること自体に意味があるわけではない、
と毎回熱弁をふるった。
・・》
注)原文にあえて改行を多くした。

この後、井尻千男氏は、
《・・
今日のように禁煙派の差配する文明は、
清潔だけを大事にする衰弱せる文明だと批判しつづけた。

(略)

私は一人でも多くの人に聞いてほしいから審議会の議論を公表してくれと
厚生省側に申し入れたが拒否された。
委員の身を守る(当然愛煙家の命)ためという理由だった。
・・》


私はこうした審議会の禁煙派、喫煙派の真摯な諸兄の討議内容を封印したのは、
時の厚生省が喫煙の風潮を更に増長させた諸因のひとつと確信したのである。


そして禁煙の風潮のはじまりをこの本から、学んだのである。
解剖学者の養老孟司、劇作家の山崎正和の両氏に寄る対談、
『変な国・日本の禁煙原理主義』と題され、初出は『文藝春秋』2007年10月号である。

《・・
山崎正和氏の発言
ベトナム戦争の後、アメリカをまとめていた愛国心やピューリタン的な道徳が根本から揺らぎ、
社会秩序も変った。

同性愛も妊娠中絶も、キリスト教以外の信仰も認めなければならない。
そのことに対して、皆、喉に何か引っかかったままだった。
そこで、誰もが一致して反対できる都合のよい”敵”を探し始めたのです。

あの当時、選択肢は二つありました。
たばこかエイズか。
ちょうどエイズが広まった時期でもありました。
しかし、結局はたばこが選択されました。

なぜなら当時エイズの原因とされていた同性愛を好むのは、
ハリウッドスターとか芸術家とか社会の上流層だけれども、
たばこを吸うのは社会の中流以下が多かったからです。

アメリカ人が大麻に寛容なのもまったく同じ理由です。

・・》
注)原文にあえて改行を多くした。


こうした禁煙の始まりがアメリカで発生し、何かとアメリカの属国の日本に飛び火し、
厚生省の音頭で学界の一部の論を拡大させ、日本の禁煙風潮をあおり、
終局的には世界保健機関の採択した『たばこ規制に関する枠組条約』に基づき、
2004年に日本の国会で可決され、
決定的な嫌煙ブームとなったと私は思いめぐらしたりした。

しかし、大麻、エイズの原因とされる同性愛などは険悪する私は、
ひと様の前では煙草を避けて、玄関の軒下、テラスなどで紫煙を楽しんでいる・・。
そして、あと何年か生きられるか判らないが、痴呆症だけは勘弁してほしいと思ったりしている。



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嵐山光三郎・著の『よろしく』・・。

2010-06-16 14:32:28 | 読書、小説・随筆
私は作家・嵐山光三郎氏の作品に関しては、料理、温泉の随筆を読み、
ここ10数年は思い浮かべれば確か『西行と清盛』、『文人悪食』、『追悼の達人』、
『悪党芭蕉』、『死ぬための教養』、『人妻魂』、『編集者諸君!』、
『おはよう! ヨシ子さん』、『不良定年』の順で読んできた。

特に『追悼の達人』を読んでいた時は、深く感銘させら、
これ以降は店頭で見かけた時は、無条件で購入し、読むことにしている。

こういた意味合いから、このサイトに於いても、
嵐山光三郎氏に関しても数多く綴ったりしているが、
過日、遅ればせながら駅前の本屋で、氏の『よろしく』(集英社文庫)を見かけ、
ここ数日読んだりしていた。

http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=978-4-08-746537-2&mode=1
☆ 集英社文庫  嵐山光三郎・著の『よろしく』 ☆

このサイトの内容紹介には、

コロコロと死んでゆくのが人生だ。
人は「よろしく」と現れ「よろしく」と去っていく――
介護・死・老いらくの恋といった深刻で厄介なテーマを、ユーモラスに描く小説。

物語を追いながら自分自身の死に方について、考えさせられる。

と明記されている。

あとがきに明記されているが、
本書の初出は2006年10月、集英社より刊行された本であり、
著作者は2001年前後の60歳前後の当時、創作を精力的に専念し、
体力の衰えも感じながらも、自身の学生時代の学友や知人が突然に亡くなったり、
街中の隣人や知人の死去を知り、驚きとため息の中で過ごされている。

こうした中で、父親が高齢者85歳となり、ボケはじめて、
母親は80歳の体力の衰えた身であるので、
やむえず老人介護施設に父親は入居し、その後まもなく悪化し、
病院で親族一同の涙ぐましい介護に関わらず、
死去され、葬儀などを得て、新盆を迎えるまでの著作者の自伝でもある。


私は読了後、身につまされたひとりである。

私達夫婦は子供に恵まれず、たったふたりだけの家族であり、
私は昨年に65歳の高齢者となり、家内も60歳の年金受給者となっている。
私の父親は私が小学2年の時に病死され、
母親は私がサラリーマン現役の54歳の時に死去された。

そして家内の父親は、私が定年退職時の直前に病死され、
家内の母親は80歳なり、独り住まいをしている。

こうした私の背景もあり、私達夫婦の今後の更なる老後の生活を思いながらも、
この本を読みながられ、多々教示をされたりしていたのである・・。


たとえば、男性の後期高齢者80歳となれば、
《・・
(父親)ノブちゃんは85歳である。

ノブちゃんはT美術大学教授をしていた。
グラフィック・デザイン科科長をつとめて、70歳でやめた。
ぼくより背が高く、筋肉隆々としていたが、
80歳をすぎたころより痩せて、すすきの穂のようになった。

昔からおしゃれな人で、服の着こなしがダンディーであった。
(略)
それが、ここ一、二年というもの、洋服にかまわなくなった。
・・》
注)本書のページ16の一部を引用し、あえて改行も多くした。


或いは、著作者の母親は句会などに参加し、日常は俳句を詠んだりする方が、
80歳となれば、
《・・
トシ子さんが、
「歩くと雲の上を歩くようにフラフラする」
と言う。

T川厚生年金病院のめまい科へ受診に行くと、
女医に、
「あんたぐらいのローバなら、みんなフラフラしていますよ」
と叱られたらしい。
・・》
注)本書のページ31の一部を引用し、あえて改行も多くした。


そして父親がボケはじめ高齢の母親に手が終えなくなり、
父親が老人介護施設に入った初めの頃、
《・・
施設庁長が、
「福祉の精神より、まず接客技術をモットーとしております」
 と言った。

すべてを高齢者本人の身になって考えることが基本であるという。

たとえば、痴呆の高齢者の夫が妻の顔を忘れてしまうケースがある。
「その場合、つぎの三つのうちどれが正しいでしょう」
と質問された。

(1)妻であることを根気よく説得する。

(2)結婚式の写真などを見せて納得させる。

(3)あきらめてニコニコする。

このうち(1)や(2)は、高齢者本人がかかえる問題の解決とはなりません。

夫に顔を忘れられても、ニコニコと笑って
「どこかの親切な人」としてふるまうのがいいのです、と教えられた。

「三つの選択肢のなかで一番いけないのは(2)です。
こんなことされたら、夫は逃げ道を失って、屈辱感を味わうだけですから。
失望した顔をすると、本人は傷つきます」

ノブちゃんは、まだそこまではぼけていない。
話す内容は理路整然としている。でありながら思考のネジがはずれている。
・・》
注)本書のページ95の一部を引用し、あえて改行も多くした。

このようなことを多々、私は教示されたりしたが、
何よりの驚きは老人介護施設に入居されている人たちの日常の言動であった。
それぞれのお方の晩年のふるまい、しぐさ、そして突然の死去など、
多々綴られているが、
私は、たとえ現役時代に立派な人と敬(うや)まれる方でも、老後は、
とため息を重ねながら、ここでは書けないのである。
このことは、購読者の特権と思い、ご配慮を願いたい。


昨今、高齢者に関しての実用書がブームときいたりしているが、
この本書こそ、著作者が父親の介護に、生活を共にし、
父親の思い、母親の見つめる思い、著作者の死生観まで明確で、
くまなく綴られ、それぞれの方たちの人生の晩節の生きた哲学書ともいえる。



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五木寛之(いつき・ ひろゆき)・著の『わが人生の歌がたり』を遅ればせながら読みはじめ・・。

2010-05-12 10:17:31 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨日、雨の降る中、駅前の歯科医院で治療を受けた後、本屋に寄った。

これといって心に決めた本はなかったのであるが、
単行本のコーナーで、五木寛之氏の『わが人生の歌がたり』の

http://www.kadokawa.co.jp/book/bk_detail.php?pcd=200604000209
☆角川書店 五木寛之・著の『わが人生の歌がたり』~昭和の哀歓~ ☆
 
http://www.kadokawa.co.jp/book/bk_detail.php?pcd=200608000259
☆角川書店 五木寛之・著の『わが人生の歌がたり』~昭和の青春~ ☆

http://www.kadokawa.co.jp/book/bk_detail.php?pcd=200608000260
☆角川書店 五木寛之・著の『わが人生の歌がたり』~ 昭和の追憶~ ☆

このシリーズの三冊が並んでいた。


私は最初の第一集の【『わが人生の歌がたり』~昭和の哀歓~ 】に関しては、
二週間前に古本屋で偶然に目が止まり、購読した後、数日で読み終えた・・。

この本のシリーズの概要は、本の帯に解説されている通り、
《五木寛之の歌語り、NHKの「ラジオ深夜便」で話題のトークが本になりました!》
と明記されているが、
私はNHKの「ラジオ深夜便」を聴いたことがなく、無知であった。

読みはじめて感じたことは、作者の人生の歩みと共に、
その当時の流行(はや)った歌への思いを語る、と判ったが、
私がラジオから聴いて感じた思いと作者の思いの落差を感じ、微苦笑を重ねたり、
教示されることが多かったのである・・。

もとより作者は1932(昭和7)9月生まれのお方であり、
私は1944(昭和19)9月生まれであるので、世代も遥かに上のお方の上、
たとえ幼年期さえまったく環境の違う身であるので、
この歌はそのように思われたのでしたか、とページをめくりながら、
その時代の空気を学んだりしたのである。


本屋で未読の第二巻『~昭和の青春~』、最終巻の『~昭和の追憶~』の二冊を購入し、
雨降る中を帰宅したのである。


私は著作者の五木寛之氏に関しては、
少し複雑なこだわりのような気持ちが10数年前の頃まであったことを、
恥ずかしながら告白する。

東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年、
私は映画に熱愛して大学を中退し、映画青年の真似事した後、
文学青年の真似事した時期があった。

この当時の私の読み物は、小説の単行本はもとより、
月刊雑誌として、純文学の『文学界』、『新潮』、『群像』を読んだり、
中間小説としては『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を精読していた。

この中の『小説現代』に於いて、1966(昭和41)年の当時、
新人応募コンクールの『小説現代・新人賞』があり、五木寛之氏の『さらばモスクワ愚連隊』が選定された。

私は何より斬新な新しい時代の発想力、そして確かな筆力で、
読者を読まさせる力の秘めたお方、と瞬時に感じながら、圧倒される思いで、
ため息を重ねながら精読したのである、
新人賞の選考委員のひとりの中間小説の大家で柴田錬三郎氏は、
辛口の選評をされる方であるが、この『さらばモスクワ愚連隊』の作品を絶賛した言葉を重ねていたのである。

その後、五木寛之氏は、『蒼ざめた馬を見よ』を発表されて、
1967(昭和41)年に直木賞を受賞され、
まぎれなく中間小説界に新しい旋風をまきおこしたことは周知の通りである。

この当時の私は、純文学の新人募集に投稿をしていたが、最終選考に残れず、落胆していた時代である。

その後、五木寛之氏は、確か『新潮』だったと思われるが、
『黄金時代』という題名であったと記憶しているが、大学時代のご自身のことを綴られた内容であった、
とおぼろげながら記憶している。


私はアルバイトをしながら文学青年の真似事をし、明日の見えない状況に苦悶し、
結果として、30代になった頃に妻子を養なって家庭生活を思い浮かべると、
とても過ごす自信もなく、あえなく挫折した。

やむえず人生軌道を修正し、この当時も民間会社は新卒が最優先の時代であったので、
何とか大企業に中途入社する為に、
ひとつの手段としてコンピュータの専門学校に入学したのは、
1969(昭和44)年の24歳の時であった。

そして一年ばかりソフト学科を学び、
ある大手の音響・映像の会社に、知人の尽力も得て、何とか中途入社できたのは、
1970(昭和45)年の4月であった。

その後、この会社の一部がレコード会社として独立し、
私は転属させられて、その後35年ばかり勤めて、定年退職をした。


この間、本屋に寄ったりし、遥か雲の上のような存在となった五木寛之氏の作品は、
ときおりためらいながら買い求めてきたが、
私が熱愛している作家の作品のように漏れなく時系列で読むことはなかったのである。

遠い存在・・眩(まぶ)しいようなお方・・この人の前では敗残者のような思い・・
このようなわだかまりのあり、素直に受け止めるできなかった50歳の前後まで、
私にはあったのである。


このような少しばかり複雑な思いを五木寛之氏の作品に感じていたのであるが、
昨今のここ10年数年は、こだわりも霧のように立ち消え、
読みながら多々教示を受けたりしている。




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