夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

松山善三さんの思考、そして表現力に私は圧倒され、小説家の達人も動揺される、と深め・・。

2012-04-07 12:18:27 | 読書、小説・随筆
私は音楽業界のあるレコード会社の管理畑など35年近く勤め、
2004〈平成16〉年の秋に定年退職となり、その後は年金生活をしている身である。

日常の大半は読書をすることが多く、退職後は特に塩野七生、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、
曽野綾子、阿川弘之、各氏の作品を中核に、単行本、新書本、文庫本を購読している。

こうした中で、女優、その後はエッセイを綴られた高峰秀子さんは、
一昨年の2010〈平成22〉の年末に高峰秀子さんの死去が公表されが、
私も生前の高峰秀子さんのエッセイを買い求めて、殆ど愛読しているひとりである。

私が二十歳の時は、東京オリンピックの開催された1964〈昭和39〉年の秋の時であったが、
大学を中退し、映画の脚本家になりたくて、映画青年の真似事をしていた時期で、
オリンピックには眼中なく、京橋の近代美術館に通っていた。

そして戦前の邦画名作特集が放映されていたので、
数多くの戦前の昭和20年までの名作を観ることが出来た。

この中の作品の中で、山本嘉次郎・監督の『綴方教室』(1938年)、
そして『馬』(1941年)も観て、天才子役、少女と称せられた高峰秀子さんの存在を実感させられた。

私はこの当時の1964年に於いては、
少なくとも木下恵介・監督の『二十四の瞳』(1954年)、
成瀬巳喜男・監督の『浮雲』(1955年)、
木下恵介・監督の『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年)、
松山善三・監督の『名もなく貧しく美しく』(1961年)等は当然のように鑑賞していた。

そして封切館で松山善三・監督の『われ一粒の麦なれど』(1964年)で観たばかりの年でもあった。

私は女優の高峰秀子さんの存在は、天上の女神のような存在であり、
『二十四の瞳』と『浮雲』がほぼ同時代に演じたこのお方には、ただ群を抜いた女優であった。

子役、少女、そして大人としての女優としての存在は、
私のつたない鑑賞歴に於いて、このお方以外は知らない。

その上、脚本家、ときには監督もされた松山善三さんには、
まぶしいようなあこがれの存在の人であり、秘かに敬意をしていた。

その後の私は映画青年の真似事、やがて文學青年の真似事もあえなく敗退し、
やむなく民間会社に中途入社し、サラリーマンの身となった。

私は松山善三さんと高峰秀子さんのご夫婦に関しては、
もとより知人でもなく、敬愛を重ねてきたひとりである。

たまたま2日前、高峰秀子、松山善三の両氏に寄る共作の『旅は道づれツタンカーメン』(中公文庫)を読み終わり、
私は松山善三さんの思考、そして表現力に私は圧倒され、
数多くの小説家の達人ても動顚される、と確信を深めたりしてきた。

本書は、おしどり夫婦として名高いご夫婦が、
50代の時にエジプトに旅行をされた時の紀行文であるが、
この中に時折、それぞれの人生の思い、ご夫婦の日常の思いを綴られていると思いにながら、
読んだりしてきたが、
松山善三さんの底知れぬ心の深淵までの思考力、そして表現力に私は圧倒され、
今でも虚(うつ)ろな心境である・・。

私は遅ればせながら高校に入学してまもなく、突然に読書に目覚めて、
この時から小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などを乱読してきた。

読書に魅せられるのは、創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時、感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
高校生の時からとりつかれ、数多くの本を読んできたので、50年は過ぎている。

今回、時代を超越した破格な文章を綴られた松山善三さんに、
私は改めて敬意を重ねると同時に、創作者をめざす人には、ぜひ学んで欲しいと思い、
引用させて頂く。

エジプトのアブ・シンベル神殿を観た時の中で、ひとつの思いを発露している。
《・・
ラムセス二世やネフェルタリ王妃を刻んだ名もなき石工たちは、
はじめ鞭や酷使に泣いたかも知れない。
しかし、やがて、彼らは自らが刻んだ美に酔いはじめる。
美は、美を生み、完結を求める。
歓びは深まり、その頂点で信仰と重なる。
その時、彼らが刻むのはラムセスやネフェルタリの像ではなく、
彼らの胸中に、形なくして存在した筈の神々である。
そこに現れた形はラムセス二世でありネフェルタリ王妃であっても、
刻まれたものは「永生」を願い、それを約束してくれる彼らの神々であった。
・・》
注)本書の122ページの一部より引用し、原文をあえて改行を多くした。

この後、しばらくしてアブ・シンベル神殿を観ながら、
新王朝時代に思いを馳せ、ひとつの時代の思いを発露している。
《・・
新王朝時代には、偉人、賢人、英雄が続出する。
ハトシュプストを、世界最古の女王であり、ウーマン・リブのはしりだとすれば、
あとに続くアメノフィス四世、アクナトンは、世界で最初に一神教を信奉した個人であり、
モーゼの一神教にも大きな影響を与えた人物だとも言われる。
アクナトンは、偶像を廃し、太陽神のみをあがめ、無知と迷信と我欲を捨てよと説いた。

アクナトンの説く太陽神は、鷹頭人身の偶像ではなく、姿も形もない。
それは、己れの心の中にあった。
仮に指させば、太陽の光そのものであって、
万物に生命を与える神の「意志」とでも言うべきものだった。

そのような教えが、何千年もの間、偶像を拝んできた人民に受け入れられる筈はなかった。
人民は、形なきものを信じない。
おまけに、社会の中枢にあった祭司たちの反抗にあい、アクナトンの宗教革命は一代で終った。
けれども、彼こそが、人類の歴史で「平等」を説いた最初の男である。

アクナトンの死後、国政も社会も大ゆれに揺れ、
一神教はもとの偶像崇拝へ逆もどりした。
(略)
・・》
注)本書の122、123ページの一部より引用し、原文をあえて改行を多くした。

このように私は圧倒的に感銘させられた代表的な部分を引用させて頂いた。

昨年の12月初旬に、私は久々に『芸術新潮』の12月号を買い求めた。
そして特集記事に《没後一周年特集》として、
《高峰秀子の旅と本棚》と題された記事を私は精読した。

この特集記事のひとつに、養女となられた作家・斎藤明美さんが、
『ハワイの攻守』と題した寄稿文の中で、松山善三さんの写真が掲載されていた。
お齢を召された表情で、私は驚いたりしたが、86歳のご高齢であるので、了解させられた。

この二葉の写真を私は思い浮かべ、今回たまたま引用させて頂いた本書は、
氏が当時50代で綴られ、この引用部分でも数多くの小説家の達人と称される人さえも震撼させられる、
と私は深く思い、改めて松山善三さんに敬意を重ねている。

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高峰秀子さんに関する数々の本、つたない私でも買い求めて、ときには涙を浮かべ・・。

2012-03-21 15:41:34 | 読書、小説・随筆
一週間前、駅前に買い物に行った時、本屋に立ち寄った。
これといった買い求める本が決まったわけでないので、単行本のコーナーを見たりした・・。
私は定年退職後も相変わらず読書が好きで、特に塩野七生、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、
曽野綾子の各氏の作品を中核に、単行本、新書本、文庫本を購読している。

しかしながら、この各氏の店頭に並んでいる本も読んできたので、
何かしら魅了される本はないかしら、探したりしていた。
まもなく作家・斎藤明美さんの著作『高峰秀子との仕事 1 ~初めての原稿依頼』(新潮社)、
『高峰秀子との仕事 2 ~忘れなれないインタビュー』(新潮社)を見かけて、
買い求めたりした。

私は確か8年前頃に、作家・斎藤明美さんの著作『高峰秀子の捨てられない荷物』(文春文庫)を読み、
感銘したりし、その後は松山善三、高峰秀子ご夫妻の養女になられたと知り、
今回の本もまぎれなく最適任者と感じ、購入したのであった。

ここ一週間は読書中の本があったので、本日の9時過ぎから、
『高峰秀子との仕事 1 ~初めての原稿依頼』を読みはじめた・・。

居間のソファーに座ったりして、作家・斎藤明美さんに導かれて亡き高峰秀子さんの心情に思い馳せたり、
庭に下り立ち、満開となっている白梅を眺めたりしていた。


私は高峰秀子さんが綴られた随筆は、
一昨年の2010〈平成22〉の年末に高峰秀子さんの死去が公表される前に、
大半は読んだりしてきたが、
昨年の12月初旬に、松山善三、高峰秀子ご夫妻の『旅は道づれアロハ・ハワイ』〈中公文庫〉を購読した。
そして同時に、久々に『芸術新潮』の12月号を買い求めた。
特集記事に《没後一周年特集》として、
《高峰秀子の旅と本棚》と題された記事を私は精読した。

この特集記事のひとつに、作家・斎藤明美さんが、
『まさに”食う”ように』と題された寄稿文があり、私は圧倒的に感銘を受けた寄稿文であった。

最終章の部分には、
高峰秀子さんは、ひたすら読書を重ねる根源は、
劣等感を克服するために、たえず本から学び、生きることだった、
とこのような意味合いの綴りを作家・斎藤明美さんが記載され、
私は読みながら、涙を浮かべた・・。

その後は、1月下旬に高峰秀子・松山善三・斎藤明美、共著による『高峰秀子 暮らしの流儀』(新潮社)を
購読したりしてきた。


私は高峰秀子さんに関しては、知人でもなく、敬愛を重ねてきたひとりであり、
たった一度だけ偶然にお逢いできたことがあった。

私が二十歳の時は、東京オリンピックの開催された1964〈昭和39〉年の秋の時であったが、
大学を中退し、映画の脚本家になりたくて、映画青年の真似事をしていた時期で、
オリンピックには眼中なく、京橋の近代美術館に通っていた。

戦前の邦画名作特集が放映されていたので、
数多くの戦前の昭和20年までの名作を観ることが出来た。

この中の作品の中で、山本嘉次郎・監督の『綴方教室』(1938年)、
そして『馬』(1941年)も観て、天才子役、少女と称せられた高峰秀子さんの存在を実感させられた。

私はこの当時の1964年に於いては、
少なくとも木下恵介・監督の『二十四の瞳』(1954年)、
成瀬巳喜男・監督の『浮雲』(1955年)、
木下恵介・監督の『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年)、
松山善三・監督の『名もなく貧しく美しく』(1961年)等は当然のように鑑賞していた。

そして封切館で松山善三・監督の『われ一粒の麦なれど』(1964年)で観たばかりの年でもあった。

私は女優の高峰秀子さんの存在は、天上の女神のような存在であり、
『二十四の瞳』と『浮雲』がほぼ同時代に演じたこのお方には、ただ群を抜いた女優であった。

子役、少女、そして大人としての女優としての存在は、
私のつたない鑑賞歴に於いて、このお方以外は知らない。

その上、脚本家、ときには監督もされた松山善三さんには、
まぶしいようなあこがれの存在の人であり、秘かに敬意をしていた。


このような過ごしていた間、確か冬の日だったと記憶しているが、
私は成城学園の近くの砧にある東宝の撮影所で、
宣伝部の方と話し合っていた時、
たまたま高峰秀子さんがこちらに向かって来た時があった。

宣伝部の方が飛び出て、
『この青年・・大学を中退し、この世界に・・』
と話されていた・・。

『こんにちは・・でも・・もったいないわ・・大学をお辞(や)めになるなんて・・
でもねぇ・・大変ょ・・この世界は・・』
と高峰秀子さんは私に言った。

私はこの当時も大女優であった高峰秀子さんとは、
これが出会いであったが、これ以降はお逢いしたことがない。

この後の私は、映画青年の真似事、その後に文学青年の真似事もあえなく敗退し、
やむなく私は中小企業のサラリーマンに身を投じ、35年近く勤めて、
2004〈平成16〉年の秋に定年退職となり、その直後から年金生活を始めた身である。

この間、サラリーマンの現役時代のいつの日が忘れてしまったが、本屋の店頭で、
高峰秀子さんの随筆の本にめぐり逢い、数冊の随筆集を読みはじめ、これ以降は本屋で見かけるたびに、
購読してきた・・。

そして一昨年の年末に高峰秀子さんの死去を知り、私も落胆したひとりであり、
もとより天上の花のひとつとなった高峰秀子さんにお逢いできるひとがないので、
せめて私は高峰秀子さんが上梓された数多くの随筆を読んだり、再読したり、
或いは出演された名画を鑑賞したりして、愛惜を重ねたりしている。


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東野圭吾(ひがしの・けいご)氏の作品、遅ればせながら初めて買い求めて・・。

2012-01-22 15:19:52 | 読書、小説・随筆
昨日の日中、私は駅前に買い物に行き、駅ビルの2階にある本屋に、私は立ち寄った・・。

店頭のひとつのコーナーに、見やすいように傾斜のある陳列棚で、
東野圭吾(ひがしの・けいご)氏の『歪笑小説』の文庫本がずらりと並び、
私は恥ずかしながら作家・東野圭吾氏の作品は読んだことはないが、
昨今、出版業界の不況の中、幾つかのベストセラーを続出させる稀な作家である、
とこの程度しか知っていなかった。

http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=978-4-08-746784-0&mode=1
☆【集英社公式ホームページ】<== 文庫本 <== 東野圭吾・著作『歪笑小説』☆

私は近寄り、思わず手にしたのは、表の帯に明記された文面であった。
《 だから作家になんて、なるもんじゅない!
東野圭吾、これが裏のライフワーク
       出版業界の内幕を暴露する連続 》
この文面に圧倒的に魅了されて、読んでみたくなり、買い求めたのである。


私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。


私は遅ればせながら高校に入学してまもなく、突然に読書に目覚めて、
この時から小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などを乱読し、かれこれ50年となっている。

読書に魅せられるのは、創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時、感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
高校生の時からとりつかれたのであった・・。

その後、20代の前半に、大学を中退し映画・文学青年の真似事をしたので、
小説・随筆系は文学全集のひとつ中央公論社の『日本の文学』90巻は基盤として精読した上、
純文学、中間小説の月刊雑誌を購読し、そして興味のある数多くの単行本、文庫本を乱読した。

こうした中で、魅了された作家は20名ぐらいあったが、
圧倒的に魅せられたのは、井上靖(いのうえ・やすし)、
そして立原正秋(たちはら・まさあき)の両氏であった。

この後、文学青年の真似事を敗退した後、やむなく民間会社に中途入社し、
音楽業界のあるレコード会社の管理畑に勤めながら、
水上勉(みなかみ・つとむ)、庄野潤三(しょうの・じゅんぞう)、
城山三郎(しろやま・さぶろう)、松本清張(まつもと・せいちょう)、山口瞳(やまぐち・ひとみ)、
向田邦子(むこうだ・くにこ)、宮脇俊三(みやわき・しゅんぞう)、倉本聡(くらもと・そう)、
浅田次郎(あさだ・じろう)の各氏の小説・随筆、シナリオを読むことが特に多かった。

そして2004(平成16)年の秋に35年近く勤務し定年退職した後、
塩野七生(しおの・ななお)、佐野真一(さの・しんいち)、藤原正彦(ふじわら・まさひこ)、
嵐山光三郎(あらしやま・こうざぶろう)、曽野綾子(その・あやこ)、各氏の作品に深く魅了され、精読している。

このように愛読した作家名を思いだしたりしたが、
もとより睡眠時間を削り、アルバイト、契約社員をしながら
明日の見えない映画・文学青年の真似事をした時代は、
各作家の作品を読み、読書量が多かったのは明記するまでもない。

昨今は丸66年の歳月が過ぎ、67歳を迎えた今、過ぎ去った人生を思い重ねて、
特に塩野七生、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、各氏の作品を購読して、
多々教示されたり、或いは、そうですよねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりしている。


このような拙(つたな)い身の私は、今回の東野圭吾・著作の『歪笑小説』を買い求めたのは、
ここ10数年の出版業界の不況を読書好きな私は憂いたりしているからである。

作家・瀬戸内寂聴さんが確か2009年の10月で読売新聞社・主催の講演会で、
発言されたことを思い重ねている。

《・・
私を見習って、もしもみなさんの中に小説を書こうと思っていらっしゃる方がいれば、
お勧めしかねますね。
非常に険しい道でございます。
そして人が認めようが認めまいが、芸術というのはその人に才能がなければ意味がないんですね。

一に才能、二に才能、三に才能なんです。
あとは運ですよ。
努力なんてしなくても才能があればモノになる。
これは芸術だけでございます。

作品がどれだけ読まれるか、残るかというところで勝負がつきます。
だいたい流行作家のよく売れてる本というのは死んだら3年と持ちませんよ。

わたしの先輩の円地文子さんが、女流作家では最高のところにいらっしゃった方で、
源氏物語も訳した方なんです。
その方が顔を見るたびに言ってらっしゃったんです。
「作家なんて生きている間だけよ、生きている間に稼ぎなさい」と。

私もその教えが身にしみていますから、本当に死ねば誰も読んでくれなくなるんですよ。
・・
文学というものは量ではなく質です。
私がなかなか文学賞をもらえないように、これも量ではなく質の問題で、
いくら量を書いても意味がないんですね。

しかしその中でも人は認めないけれども、私がよしとするものもあるんです。
それがないと作家なんてやってられませんからね。
小説家で通す、書くことだけで生活する、というのは、やはりとても難しいことです。

私は長く生きて、長くこの世界におりますけれど、今また最低の時代がやってきました。
本屋に行くと山ほど本がありますよ。
読みきれないほど新刊本が並んでおります。
その中でどれだけ残るかわからない。
目まぐるしく人の嗜好(しこう)が変わっておりますからどんどん読み捨てになっています。
出版社がだんだんもちきれなくなっている。
(2009年12月3日 読売新聞)一部を引用
・・》

こうした出版業界と創作者の作家の状況の中、電子書籍の時代の著作権が不明確のまま到来、
何よりも出版社と著作者に無断のまま、本を裁断してコピーし、販売する業種も出現し、
出版社などは大揺れの状況下となっている。

このように思っている私は、改めて出版業界と創作者の作家の関係を、
今回買い求めた東野圭吾・著作の『歪笑小説』を読んで学ぼうとしている。


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総合月刊雑誌の『文藝春秋』を読まなければ、社会人として失格と思い、早や40数年が過ぎ・・。

2012-01-11 17:45:40 | 読書、小説・随筆

私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
毎月10日になると、総合月刊誌のひとつである『文藝春秋』を買い求めて精読している。

私が『文藝春秋』を定期に購読を始めたのが、遅ればせながら、
確か1970(昭和45)年の春の頃からで、25歳の時であった・・。

私の雑誌に関しては、恥ずかしながらこれまでの簡略歴を綴る。

私は1944(昭和19)年に東京の郊外の農家の三男坊として生を受けた。
祖父、叔母、両親、兄2人などの7人の家族であり、
敗戦後も祖父、父が中心となり、小作人だった人たちの協力を受けて、程ほど広い田畑を耕していた。
そして多忙期の時などは、農業大学の研修を目的とした実習生なども受け入れていた。
このような家庭環境であったが、
本にしても雑誌に関しても、私は思い馳せても農協の発刊する月刊誌『家の光』しか記憶がなかった。

私が小学4年生を過ぎた頃、
都会から引越しされた同級生のサラリーマンの家に遊びに行った時、
居間にある書物を見て、余り多くあるので驚いて、
子供心に衝撃を受けたのである。

この頃の私は、月刊の漫画雑誌のひとつの『少年画報』などを下校の時、
本屋で買い求め、読みながらとぼとぼ帰宅したりした。


私が読書に目覚めたのは、遅ればせながら高校生になってからである。
創作者の綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
この時からとりつかれた。

人並みに文学の文庫本、単行本を買い求めたりしていたが、
授業の時事に魅了されたので、週刊誌の『朝日ジャーナル』を購入し、
海の彼方のケネディなどの政治家に心酔していた。

大学に入学する少し前から、映画専門雑誌の『キネマ旬報』に熱中し、
小学4年生の頃から独りでたびたび映画館に通ったりしてきた映画少年の体験も加わり、
これが原因で大学2年の時に中退し、映画青年の真似事の期間を過ごしたりしていた。

その後、文学に移り、純文学の月刊誌『文学界』、『新潮』、『群像』、
中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を精読したり、
総合雑誌の『文藝春秋』を不定期に購読していた。


1970(昭和45)年の25歳の時、映画・文学青年の真似事も挫折し、
やむなく企業に中途入社をして、社会人のひとりとなった。
この時、私は余りにも社会人として、
一般的な常識の政治、外交、軍事、経済、社会などに欠けていたことに気付かされ、
劣等感も抱きながら、総合月刊雑誌の『世界』、『中央公論』、『文藝春秋』を毎月読むようになった。

この頃は、血気盛んな私は独身青年であったので、娯楽週刊誌の『平凡パンチ』まで読んでいたので、
私は秘かに『世界』から『平凡パンチ』まで雑誌を読んでいるのは、
日本広しといえども私ぐらい、と自惚(うぬぼ)れしてもいた時期であった。

しかしながら、たまたま音楽業界のレコード会社に勤めて情報畑で奮闘していると、
数多くのサラリーマンと同様に多忙となり、
やがて結婚をしたり、住宅ローンの返済に苦労したりすると、
次第に格調高い『世界』の知識についていけず、
ときおり『中央公論』だけは特集に関心させられた時だけ購読するようになった。

そして結果的には、毎月に愛読している総合月刊雑誌としては『文藝春秋』だけとなり、
定年退職後の今でも、このようになっている。
高齢者3年生の67歳の私にとっては、毎月秘かに逢える友のひとりとなっている。


私はそれぞれの寄稿文を読みながら、私と同じような思いに安堵し微笑んだり、
記載されていることの内容が程度の低いことと感じられ、綴られた著者に失望したり、
或いは私が無知だったことを知り、謙虚にご教示頂いたりしている。

ここ数年の楽しみのひとつとしては、毎月10日に発売されているが、
その日の朝、読売新聞に広告として掲載されている・・。
この時に特集記事が明記されているので、私は読みながら、やはりこの記事だった、
と私なりに予測していたことと同一の場合は、独り微笑んでしまうのである。

尚、私は『文藝春秋』の数多くの寄稿文で、読みながら理解出来なくなった時は、
ボケた時と確信し、やむなく、この世とおさらばし、自裁する時と思ったりしている。


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『文藝別冊』シリーズの本の数々、創作者を学ぶ入門書として、最適と微笑んで・・。

2012-01-10 12:04:39 | 読書、小説・随筆
私の母の命日が近づくと、私たち夫婦と私の妹の2人で、
この時節に4人でお墓参りをしているのが、恒例となっている・・。

昨日、駅前の喫茶店で、妹たちと待ち合わせをしていたが、
少し時間が余裕あるので、駅ビルの3階にある本屋に、私は立ち寄った・・。

店頭のひとつのコーナーに、見やすいように傾斜のある陳列棚で、
『小松左京』、『中上健次』、『金子みすゞ 』、『銀色夏生』、『開高 健』、『宮脇俊三』、『太宰 治』、
『吉村 昭』、『半村 良』、『司馬遼太郎』、『白洲正子』、『須賀敦子』、『山口 瞳』、『佐野洋子』、
『寺山修司』、『古今亭志ん生』、『つかこうへい』、『ちばてつや』、『荒木経惟』、『小沢昭一』、『黒澤 明』、
『ジョージ・ハリスン』『クイーン 』、『ポール・マッカートニー 』、『マイケル・ジャクソン』、『尾崎 豊』、
『忌野清志郎』、『石井好子』、『フルトヴェングラー』、『マーラー』、『グレン・グールド』等の本が並び、
私は眺めながら圧倒された・・。

そして敬愛して殆ど購読している作家・山口 瞳、紀行作家・宮脇俊三、
或いは10数冊買い求め愛読している白洲正子・・各氏の本を取りながら、
河出書房新社から発刊する『文藝別冊』シリーズの本の数々と私は理解した。

この後、各分野で確かな時代の点を残された創作者のデパートであり、
この創作者を学ぶ入門書として、最適と私は確信を深めたりした。

http://www.kawade.co.jp/np/search?lgen_id=12
☆【河出書房新社 公式ページ】<==《文藝別冊》紹介サイト☆


私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。


私は遅ればせながら高校に入学してまもなく、突然に読書に目覚めて、
この時から小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などを乱読し、かれこれ50年となっている。

古来の人々から言葉から文字へと人々の営みの中から文明が生まれ、
その中の一部として、文化が発生している。

そして創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれの人々が読む時、感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、高校生の時からとりつかれている。

その後、20代の前半に、大学を中退し映画・文学青年の真似事をしたので、
小説・随筆系は文学全集のひとつ中央公論社の『日本の文学』90巻は基盤として精読した上、
純文学、中間小説の月刊雑誌を購読し、そして興味のある数多くの単行本、文庫本を乱読した。

こうした中で、魅了された作家は20名ぐらいあったが、
圧倒的に魅せられたのは、井上靖(いのうえ・やすし)、
そして立原正秋(たちはら・まさあき)の両氏であった。

この後、文学青年の真似事を敗退した後、やむなく民間会社に中途入社し、
音楽業界のあるレコード会社の管理畑に勤めながら、
水上勉(みなかみ・つとむ)、庄野潤三(しょうの・じゅんぞう)、
城山三郎(しろやま・さぶろう)、松本清張(まつもと・せいちょう)、山口瞳(やまぐち・ひとみ)、
向田邦子(むこうだ・くにこ)、宮脇俊三(みやわき・しゅんぞう)、倉本聡(くらもと・そう)、
浅田次郎(あさだ・じろう)の各氏の小説・随筆、シナリオを読むことが特に多かった。

そして2004(平成16)年の秋に35年近く勤務し定年退職した後、
塩野七生(しおの・ななお)、佐野真一(さの・しんいち)、藤原正彦(ふじわら・まさひこ)、
嵐山光三郎(あらしやま・こうざぶろう)、曽野綾子(その・あやこ)、各氏の作品に深く魅了され、精読している。


このように愛読した作家名を思いだしたりしたが、
もとより睡眠時間を削り、アルバイト、契約社員をしながら
明日の見えない映画・文学青年の真似事をした時代は、
各作家の作品を読み、読書量が多かったのは明記するまでもない。

昨今は丸66年の歳月が過ぎ、67歳を迎えた今、過ぎ去った人生を思い重ねて、
特に塩野七生、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、各氏の作品を購読して、
多々教示されたり、或いは、そうですよねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりしている。


このような拙(つたな)い身の私は、今回の『文藝別冊』シリーズの本の数々を眺めたりすると、
おべんちゃらの嫌いな私でも、特に若い方たちに、それぞれ興味を持たれた創作者の本を精読され、
学び深められれば、と余計なことを思ったりしている。


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高峰秀子/松山善三・ 著の『旅は道づれアロハ・ハワイ』、何かしら懐かしい心情につつまれ・・。

2011-12-06 15:48:45 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であり、
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住んでいる。

昨夜のひととき、家内は明日に駅前のスーバー、専門店に買い物に行くと言うので、
本日は午後より小雨が予測されていたので、
午前中のひととき、私はホディーガード兼お供で、家内と共に出かけた・・。

私はスーパーで家内が買い物している間、この店内にある本屋に寄ったりした。
そして単行本、新書本、文庫本のコーナーを見て、三冊ばかりの本を買い求めた。

この中の一冊は、文庫本のコーナーの最前列に並んだ中で、
松山善三、高峰秀子ご夫妻の『旅は道づれアロハ・ハワイ』〈中公文庫〉の表紙を見て、
懐かしいような心情となり、購読することにした。

http://www.chuko.co.jp/bunko/2011/11/205567.html
☆【中央公論新社ホームページ】<==【文庫本】高峰秀子/松山善三 著『旅は道づれアロハ・ハワイ』☆


私が二十歳の時は、東京オリンピックの開催された1964〈昭和39〉年の秋の時であったが、
大学を中退し、映画青年の真似事をしていた時期で、
オリンピックには眼中なく、京橋の近代美術館に通っていた。

戦前の邦画名作特集が放映されていたので、
数多くの昭和の20年までの名作を観ることが出来たのである。

この中の作品の中で、山本嘉次郎・監督の『綴方教室』(1938年)、
そして『馬』(1941年)も観て、天才子役、少女と称せられた高峰秀子さんの存在を実感させられた。

私はこの当時の1964年に於いては、
少なくとも木下恵介・監督の『二十四の瞳』(1954年)、
成瀬巳喜男・監督の『浮雲』(1955年)、
木下恵介・監督の『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年)、
松山善三・監督の『名もなく貧しく美しく』(1961年)等は当然のように鑑賞していた。

そして封切館で松山善三・監督の『われ一粒の麦なれど』(1964年)で観たばかりの年でもあった。

私は女優の高峰秀子さんの存在は、天上の女神のような存在であり、
『二十四の瞳』と『浮雲』がほぼ同時代に演じたこのお方には、ただ群を抜いた女優であった。

子役、少女、そして大人としての女優としての存在は、
私のつたない鑑賞歴に於いて、このお方以外は知らない。

その上、脚本家、ときには監督もされた松山善三さんには、
まぶしいようなあこがれの存在の人であり、秘かに敬意をしていたのである。


このような過ごしていた間、確か冬の日だったと記憶しているが、私は東宝の撮影所で、
宣伝部の方と話し合っていた時、
たまたま高峰秀子さんがこちらに向かって来た時があった。

宣伝部の方が飛び出て、
『この青年・・大学を中退し、この世界に・・』
と話されていた・・。

『こんにちは・・でも・・もったいないわ・・大学をお辞(や)めになるなんて・・
でもねぇ・・大変ょ・・この世界は・・』
と高峰秀子さんは私に云った。

私はこの当時も大女優であった高峰秀子さんとは、
これが出会いであったが、これ以降はお逢いしたことがない。

この後の私は、映画・文学青年の真似事もあえなく敗退し、
やむなく私は中小企業のサラリーマンに身を投じた・・。

その後、いつの日が忘れてしまったが、本屋の店頭で、
このお方の本にめぐり逢い、数冊の随筆集を読みはじめ、これ以降は本屋で見かけるたびに、
購読してきた・・。


今回、本書は私が見逃した随筆集の作品のひとつであり、
昨年の年末に高峰秀子さんの死去を知り、私も落胆したひとりであった。

こうした生前に綴られた随筆、そして敬愛している松山善三さんの綴り、
共に若き50代の頃からの季節ごとにハワイで過ごされたの思いを学びたく、
何かしら懐かしいような心情につつまれて、買い求めたのである。


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永池健二(ながいけ・けんじ)・著の『逸脱の唱声 歌謡の精神史』、思わず読んでみたい本となり・・。

2011-11-24 15:18:43 | 読書、小説・随筆
先ほど、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていて、
【本のよりうり堂】の中の【書評】のひとつを読んだ後、読んでみたくなった本がある。

奈良教育大教授で日本文学を専攻されている永池健二(ながいけ・けんじ)氏が、
『逸脱の唱声 歌謡の精神史』(梟社)が上梓され、
立正大教授で古代文学、伝承文学の専攻と名高い三浦佑之(みうら・すけゆき)氏が、書評されていた。

http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20111121-OYT8T00400.htm
☆【YOMIURI ONLINE】<==【本のよりうり堂】
      <==【書評】<==『逸脱の唱声 歌謡の精神史』 永池健二著  評・三浦佑之(古代文学研究者・立正大教授)☆

私は三浦佑之氏の書評に導かれて、書評の魅力ある優(すぐ)れた文体を読んだりしたのである・・。

《・・
「酒盛」という語が登場するのは中世後半、南北朝から室町時代にかけてのことで、
それは酒を飲む行為が神事から離れて独自の楽しみになったことを意味する。

そこでは小歌をはじめ、「平家語り、早歌、能の小舞、小謡、乱舞等々」の新興芸能が行われた。
室町の歌謡集『閑吟集』の有名な一首「なにせうぞ くすんで 一期は夢よ たゞ狂へ」が人々を誘引する言葉となるには、
風流踊りのような集団的舞踊の場や酒盛りが必要だった。

隠遁(いんとん)や漂泊が社会からの逸脱の一形式であったように、
人々を「<逸脱>の共同性」に誘うのが酒宴であり、歌=唱声であると説明されると、
我々の宴会やカラオケとも変わりがないと思う。

一方、独りさびしく歌う「鼻歌」は、
「中世と近世の境目頃に登場したきわめて新しい用語」らしい。
すでに「ひとり歌」という語は古くからあり、独りで歌を歌うことを古代では「うそぶく」と呼んでいた。
それは、「眼に見えぬ神霊や霊魂、鳥獣の霊など、この世ならぬ存在に働きかけてその力を喚起したり、退散させたり」
する行為だったと著者は言う。

さびしい夜道を独りで歩いていると、だれもが鼻歌を歌いたくなってしまうのは、
その原義から考えて当然のことだと気づかされる。


一般書とは言いにくいが、歌とは何か、人はなぜ歌うのかなど、
歌うことの意味を考えてみたいという人にはお勧めの、刺激に満ちた好著である。
・・》
注)原文にあえて改行を多くした。


私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳となった身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。


このように定年後からの生活を過ごしている中、
買物とか散策の途中、或いは小庭の樹木を眺めたりしていると、思わず鼻歌を唄ったり、
心の中で唄うことがある。
誰しも孤独があり、寂寥感を感じたり、ある時はささやかな悦びを感じる時などに、
私は発露していると思われる。

たまたま今回の浦佑之氏の書評に導かれて、
永池健二(ながいけ・けんじ)氏の著作『逸脱の唱声 歌謡の精神史』を読みたくなったのである。


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優れた書評のひとつには、池谷裕二氏のW.アイザックワン・著『スティーブ・ジョブス』があり・・。

2011-11-19 16:36:36 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であり、
過日、読売新聞の日曜版の定例特集記事として、『本よみうり堂』があるが、
最近出版された本を選定し、確か10冊ぐらいの書評が掲載されている。

たまたま私は読んでいて、圧倒的に魅せられた書評があり、深く心に残った。

池谷裕二(いけがや・ゆうじ)氏が、
ウォルター・アイザックソン著(訳・井口耕二)の『スティーブ・ジョブズ』1巻・2巻(講談社)』を書評され、
話題の本であるが私は未読であったが、
氏は脳研究者であり、東京大学准教授をされている方であるので、
読書好きな私は、好奇心さながらに、氏の綴られた書評を精読したのである・・。

結果としては、圧倒的な魅力ある文体で綴られ、優(すぐ)れた書評のひとつと確信を深めた。

先ほど、偶然に読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に於いて、
この書評が掲載されていたので、再読したりした。

http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20111107-OYT8T00430.htm
☆【YOMIURI ONLINE】<==【本よみうり堂】
<==『書評』 池谷裕二 
        ウォルター・アイザックソン著(訳・井口耕二)の『スティーブ・ジョブズ』1巻・2巻(講談社)☆

この中の書評文の中で、特に圧倒的に魅せられたのは。
《・・
若いうちに成果を残さねば――夭折(ようせつ)を予期したのか、急(せ)き立てられるように生き抜いた。
「幸運だった」と当人が振り返るその人生は過剰な刺激に侵蝕(しんしょく)され、
本当に幸せだったのかと凡庸な私は疑いたくなる。

常にもがき、戦い、挑んだ。スマートな生き方ではない。
偏執的な完璧主義。辟易(へきえき)するほどの自己顕示欲。
現実を歪曲(わいきょく)する虚言癖。傲慢で攻撃的。ときに酷薄で奸計(かんけい)高い。
人格障害さえ疑われる複雑な性格は、社会的成功へと導く不可分な矛盾だろう。
・・》
注)原文にあえて改行を多くした。

もとより書評は、単に「あらすじ」をまとめるのではなく、
書評であるならば少なくとも著作者への思考の発露、
そして本書の綴られた内容の表現の筆力、行間に秘められた著作者への深い洞察力の思い、
こうしたことが表示されなければ、読む方の余りにも単純で、つまならい時間の無駄の書評となるのである。

今回、改めて池谷裕二氏の綴られた書評は、私は初めて読み、未知の人であるが、
圧倒的な優(すぐ)れた表現力に感銘さえ覚えている。

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『好きな作家・著者』、齢ばかり重ねた今の私は、大いに変貌を感じ、微苦笑を重ねて・・。

2011-10-23 13:12:07 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
昨日の朝、読売新聞の朝刊を読んでいた時、12面に於いて、
27日より読書週間が始まるのに際して、『読書週間世論調査』の特集記事が掲載されていた。

この中の記事のひとつとして、『好きな作家・著者』のコーナーがあり、
1位・・東野圭吾、2位・・司馬遼太郎、3位・・宮部みゆき、4位・・五木寛之、5位・・赤川次郎
このように20名の作家名が明記されていた。

私は見ながら、昨今の多くの読書の多くの方とは、違うかしら、と苦笑をしたりした。
そして、ぼんやりと過ぎ去った日々に思いを馳せたりした・・。

私は若き20代の前半に、大学を中退し映画・文学青年の真似事をしたので、
小説・随筆系は文学全集のひとつ中央公論社の『日本の文学』90巻は基盤として精読した上、
純文学、中間小説の月刊雑誌を購読し、そして興味のある数多くの単行本、文庫本を乱読した。

こうした中で、魅了された作家は20名ぐらいあったが、
圧倒的に魅せられたのは、井上靖(いのうえ・やすし)、
そして立原正秋(たちはら・まさあき)の両氏であった。

この後、文学青年の真似事を敗退した後、やむなく民間会社に中途入社し、
音楽業界のあるレコード会社の管理畑に勤めながら、
水上勉(みなかみ・つとむ)、庄野潤三(しょうの・じゅんぞう)、
城山三郎(しろやま・さぶろう)、松本清張(まつもと・せいちょう)、山口瞳(やまぐち・ひとみ)、
向田邦子(むこうだ・くにこ)、宮脇俊三(みやわき・しゅんぞう)、倉本聡(くらもと・そう)、
浅田次郎(あさだ・じろう)の各氏の小説・随筆、シナリオを読むことが特に多かった。

そして2004(平成16)年の秋に35年近く勤務し定年退職した後、
塩野七生(しおの・ななお)、佐野真一(さの・しんいち)、藤原正彦(ふじわら・まさひこ)、
嵐山光三郎(あらしやま・こうざぶろう)、曽野綾子(その・あやこ)、各氏の作品に深く魅了され、精読している。


このように愛読した作家名を思いだしたりしたが、
もとより睡眠時間を削り、アルバイトをしながら明日の見えない映画・文学青年の真似事をした時代は、
各作家の作品を読み、読書量が多かったのは明記するまでもない。

昨今は66年の歳月が過ぎ、過ぎ去った人生を思い重ねて、
特に塩野七生、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、各氏の作品を購読して、
多々教示されたり、或いは、そうですよねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりしている。


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江越弘人・著の『長崎の歴史』、この地の歴史を学ぶには突出した優良書、と確信を深め・・。

2011-08-09 23:45:45 | 読書、小説・随筆
私は本日の9日は、かの大戦の敗戦の直前時に、
長崎に原子爆弾が投下された『長崎被爆』した日でもあり、
ぼんやりと長崎県のことを思いを馳せたりしていた。

そして本棚から、一冊の本を取りだして、再読したりしていた。
江越弘人・著の『長崎の歴史』(弦書房)の本であるが、
一昨年の2009年2月下旬に、私は家内と家内の母と3人で、長崎・雲仙に8泊9日で訪れた時に、
私なりに独りで長崎の街並みを歩き廻ったりし、買い求めた一冊である。


『長崎歴史文化博物館』の展示品を拝見した時、
私は長崎県に纏(まつ)わる通史を学びたくて、館内の売店に寄った。

私は小説、随筆はもとより、現代史、歴史書が読むのが好きであるが、
長崎県に伴い、断片的な歴史人物、事柄については、
江戸時代から明治初期の頃までは、少しは知っているつもりであったが、
整然とした通史は無知であった。

こうした心情で、売店の入ったのであるが、
やはり『長崎歴史文化博物館』の館内の売店でもあり、
長崎県に関しての多くの本が並んでいた。

私はこの中で、ひとつの本を取り,パラパラと目次を見たのであるが、
『原始・古代』より、終期にはキリスト教の布教が始まる『中世』、
長崎開港、鎖国に伴う日本の随一の窓口となった異国との交流の『近世』、
明治時代から原爆被災時の『近代』、そして敗戦後から今日までの『現代』
と明示されたいたので、
まぎれなく通史の一冊である、と本書を買い求めたのである。

この本は、本の帯の表には、

《 どこから読んでもおもしろい。》 

《 古代から現代まで、新しい視点と解釈で
  200項目のトピックスが語る長崎の通史。 》

と書かれていたる。


私は江戸時代から、少し読み始めたのであるが、
その人物の息づかい、そして優しいまなざしで綴られていたことに、
行間から感じ始めたりしたので、
未知の著作者の略歴を読んだのである。

《・・ 
江越弘人(えごし・ひろと)

昭和10年、長崎市(旧・高浜村)生まれ。
昭和34年、長崎大学学芸学部卒業。
長崎県公立学校教員(小学校)を歴任。
平成8年、定年退職(最終勤務校、長崎市立鳴見台小学校)

現代、長崎の歴史と史跡について講演やガイドを精力的に行っている。
・・》

この後は、このお方の著作された2冊の本が明記されていたのである。


私はこのお方の人生の軌跡に、
小学校の教師をしながら、長崎の歴史をくまなく学ばれた長い歳月に思いを馳せると、
感動をさせられたのである。


この本のたったひとつの事柄の記載を読めば、
教科書にあるような専門の大学教授が書かれた内容、
或いはその地方に多くいる郷土史家たちの愛着心よりも、
遙かにその事柄の人物の生き生きとした状況が感じられ、
行間からは当事者の息づかいまで感じさせられ、圧倒的に凌駕している。


このように感銘を受けながら、その当時の事柄を拝読し続けたのである・・。

読了した後、
改めて、この本の『まえがき』、『あとがき』を読んだりしたのである。
この著作者の思いは、
本の帯の裏に集約した言葉が掲載されている。

《・・
長崎の地は、昔も今も決して暮らしやすい土地ではない。
様々なハンディキャップを抱いた地域である。
その中で、先人たちは、必死に努力し、業績を挙げ、
或いは挫折しながらも、郷土長崎を
日本の特色ある地域に育て上げてきた。

私は本書を著すに当たって、
長崎という土地に生きた人間に焦点を当たることにした。

・・(略)・・

「まえがき」より
・・》

私はこの著作者の発露された言葉は、
まぎれなく事柄の当事者までの息づかいを感じることができたのは、
筆力はもとより、この著作者の良き人柄から発露されている、確信したのである。


このように最初に読んだ時、深く感じたりした・・。

今回、再読したが、改めて強く感じられたのは、この本書を精読した後、
長崎の街並みを散策すれば、更に深い思いを重ねることができるのは、
もとより言うまでもないことである。


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西垣千春・著の『老後の生活破綻 ~身近に潜むリスクと解決策~』、年金生活の私は読みはじめて・・。

2011-07-28 22:03:53 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
午前中のひとときに、駅前のスーパーに向かい買物に行き、
その後はいつものように本屋に立ち寄った。

そして新刊本、新書本、文庫本のコーナーを見て、結果としては3冊ばかり買い求めた。

新書本を見ていた時、過日の読売新聞の出版広告で、
たまたま中央公論新社の新書本の案内のひとつで、
西垣千春・著作の『老後の生活破綻 ~身近に潜むリスクと解決策~』を知り、
いずれは読んでおきたいと感じたりしたことを思い出して、本書を手に取ったのである。

http://www.chuko.co.jp/shinsho/2011/07/102121.html
☆【中央公論新社】ホームページ <== 西垣千春・著作の『老後の生活破綻 ~身近に潜むリスクと解決策~』〈中公新書〉☆

そして目次をパラパラと目を通して、購入した。


私は家内と結婚して35余年は過ぎているが、子供に恵まれず、たった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私の父は、私が小学2年の昭和28(1953)年に病死され、
母は、私の50代のなかば、平成10(1998)年に入退院を繰り返していた母に死去された。
家内の父は、私が定年退職の平成16(2004)年の秋に、やはり入退院を繰り返し病死し、
残された家内は母は、一軒屋に独り住まいとなっている。

この間、私たち夫婦は、私の定年の5年前に、私たちの老後の生活のことを話し合ったりした。
どのような生活をしたいのか、もとより主体であり、
80歳の頃までを想定して、資金面のことも含めて、具体的に予測できることを配慮して、
年次別に収支概要を立案したりした。


定年後の私は、念願の年金生活を始めて、
日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。


このような生活をしているが、私は60代に五体満足で生かしてくれれば、
70歳以降は余生と思っている・・。
そして痴呆症などあわず、心が明確な時にポックリと死去できれば良い、
と秘かに念願しているが、こればかりは天上の神々の采配に寄るものである。

或いは、私は煙草を喫う愛煙者で、運動も散策、ときたまウォーキング程度であるので、
家内より先にあの世に行っていると確信しているので、
私の葬儀、お墓、そして家内の独りの老後で程ほどに生活できそうな状況のことも、
話し合ったりしている。

しかし、このことも天命に寄り、家内に先立たれることもあり、
私が独りぽっちとなることも、一年に数回ぐらいは、おひとりさまの生活を思いめぐらすこともある。


こうした思い秘めているが、世の中は想定できないことが多々あるので、
もとより私が知らないことも数多くあり、
本書より、老後生活の実例の数々の問題、そして解決のような策を学びたく、
私は読みはじめている・・。


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竹田恒泰・著の『旧皇族が語る天皇の日本史』、豊臣秀吉による北京遍都計画を学び・・。

2011-07-15 18:30:25 | 読書、小説・随筆
私は昼下がりのひととき、竹田恒泰・著の『旧皇族が語る天皇の日本史』(PHP新書)を再読した・・。

http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-69711-6
☆【PHPホームページ】<== 竹田恒泰・著の『旧皇族が語る天皇の日本史』(PHP新書)☆

この本を最初に読んだのは、偶然に本屋で見かけ、
タイトルに魅了されて購入したのは、確か3年前の2008年の7月頃であった。
そして何かと日本史に興味のある私は、綴られた内容に多々衝撃を受けたひとりである。


本書の表紙のすぐ裏に、
《・・
現存する世界最古の国家、日本。
その歴史はすなわち天皇の歴史でもある。
本書では、神話の時代から平成の皇室まで
脈々と受け継がれる壮大な流れを、
朝廷の立場から概観。
・・》
と明記されて、
著作者は明治天皇の玄孫のお方であり、朝廷の立場から、日本史を教示を受けようとし、
購入に思い立ったのである。


私は読書をして、印象に残った作品に関して、高校時代の時から、
読書のメモ書きとして、A4のノートに記載する習性があり、
3年前に記入したノートの中で、


豊臣秀吉の時代で、『秀吉による北京遍都計画』を私は初めて知り驚いたのである・・。

《・・
無謀な朝鮮出兵を強行し、漢城(現在のソウル)を没落させると、
とんでもない軍事計画を立案した。
北京に遍都し、後陽成天皇を譲位させたうえで、
上皇が北京に行幸するというのだ。

秀吉はやる気だった。
この驚天動地の計画が打ちあげられたことは、
国家の危機であると同時に、天皇家にとっても危機であった。

だが、この秀吉の計画を阻止したのは、すでに上皇となっていた正親町院である。
この外征計画が無謀であることは誰の目にも明らかだったが、
飛ぶ鳥をも落とす勢いの秀吉を抑えることができるのは、
正親町院以外にはなかった。
・・》

注)本書の181~182ページ
  著作者の原文より、あえて改行を多くした。

この後は、大変に歴史上考えさせられる内容であるが、
著作者の力量溢れる綴りである。

こうした私にとっては、未知のことであった。

そして、あの当時の中国は確か明の万暦帝の時代であり、
宗主国として李氏朝鮮が日本から侵入されたので支援をしたり、
周辺の満州の女真に自国の遠征軍が敗退する、といった多事多難の時代だった。

しかし明が衰退期であったが、やはり大国である。

なぜ、秀吉は朝鮮半島を侵略している時、
明まで発想させられたのか、
こうした想像をしたりすると、限りなく思索させられる。


このように内容を記載していたが、
改めて再読すると、本書は、もとより天皇から観た日本概要史であるが、
こうした切り口から日本の歴史を明示されると、
私は歴史好きのひとりであるが、あの時代はあのようなことが思考されていたのか、
或いは秘かに実施されていたのか、と改めて数多く教示されている。


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たかがパソコン、されどパソコン、私の愛してきたパソコンの軌跡は・・。

2011-07-06 10:43:06 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市にね、住む年金生活の66歳の身である。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
古惚けた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして、共通の趣味は、国内旅行なので、ときおり日本の各地を旅行したりしている。

このような生活の中で、私はパソコンを日常の友のひとりとして、愛用している。

私は2004年の秋に定年退職後まもなくして、ブログの世界を知り、
その日の思い、思索していることなどを心の発露として、
パソコンの故障、或いは国内旅行などで外出しない限り、
あふれる思いをほぼ毎日綴り、投稿をしている。

そしてネットで、地元の天気情報、読売新聞などのサイトのニュースを読んだりし、
興味のあるニュースをビジネス情報誌として名高いダイヤモンド社のサイトを深く読んだり、
私の現役時代は音楽業界に勤めていたので、これに関連したサイトを見たりしている。

こうした私のパソコンの利用であるので、
もとよりパソコンでテレビ番組を視聴したり、DVDで映画の作品を鑑賞したり、
或いはCDで音楽を聴くことはない。
テレビの番組、映画作品は程ほど大きめのテレビを通して視聴し、
音楽は以前はステレオの単体で聴いていたが、10数年前に故障した後、
やむなくCDラジカセなどで聴いている時代遅れのひとりである。


過ぎし6月23日に新たに買い改めたパソコンは、
昨今主流となっているマイクロソフトのパソコン用基本ソフト(OS)の『ウィンドウズ セブン』であり、
昨年の晩秋の頃から、テレビ機能不要である21.5型ワイド画面を検討してきたが、
結果としてはソニーの『Jシリーズ』に決定した。

そして私の少し広めの机には、従来から愛用している『XP』と今回の『セブン』を2台を配置している。


私が初めてパソコンを購入したのは、確か1983(昭和58)年の頃であったと思われ、
NECのPC8801だったと記憶しているが、フロッピー・ディスク装置、プリンター、
そして漢字対応させる為に漢字ロムを付加させたりしたので、
この当時の私の年収の15%ぐらいで、住宅ローンの返済もあったので、
私としては高価なパソコン・セットであった。

その後は、確か1998年(平成10年)の夏の頃に、
会社と自宅で使う為に、富士通のノートパソコンを購入して、愛用してきた。


そして2001年(平成13年)の秋になると、
定年退職時が2004年(平成16年)秋であったので、定年後の生活に備えてパソコンを一新した。

この頃の時代は、液晶ディスプレイが普及し始めたであったが、
迷ったりしたが安定性を配慮し、19型のフルフラットCRTとした。
ドライブもCD-R/RWとDVD-RAM/Rの2ドライブ、
そしてフロッピー・ディスクも備えた富士通のタワー型であったので、
ある程度10年前後は大丈夫かしら、と思ったりしていた。

そしてプリンターも新調し、机、脇机、そして椅子を買い揃え、定年後に備えたりした。

この後、インターネットの回線を施設したのは、遅ればせながら私の定年退職時の数ヶ月前で、
2004年(平成16)年の夏であった。


この肝要な富士通のタワー型は、定年退職の直前にハードディスクが壊れたり、
そして2006(平成18)年の9月下旬に於いて基本のCPU、或いはメモリーの結線が摩耗したり、
やむなく、やはり富士通のディスクトップの『ウィンドウズ XP』が搭載されたパソコンを購入した。

ディスプレイはこの当時の流行の20.1型のワイド画面のスーパーファインVXのハイビジョン対応であり、
CPUはインテルのデュアルコア、メモリは1GB、
ハードディスクは400GB、ドライブはスーパーマルチ等で、
この当時としてはある程度は最強版となっていた。

パソコンのデザインも良く、安定したドライブの配置もあり、好感していた。
しかし後年になると、このパソコンのハードディスクの2分割管理が、
時代から遅れてしまったのである。

基本システム、プログラムなどは、Cドライブとして実質30GB、
そして自由エリアとして、Dドライブは実質338GBと分割構成されている。

問題はシステムを含むCドライブで、私の個人用に使用しているソフトを記憶させたり、
何よりもインターネットの各サイトで、色々な更新が加わるので満杯近くになっている。

やむなく私は、写真などは、Dドライブに移る行させて管理したり、
不必要なファイルの削除をした後、ディスクの圧縮作業のデフラグをしたりした。

昨年の2010年12月は、やむなくハードディスクの再分割作業し、Cドライブを増加させて、
パソコンを日々利用しているが、ネットの世界は益々進化しているか解からないが、
情報の洪水のような今日に至っているのが、ここ数年の世の中となっている。


このような軌跡を得て、私の少し広めの机には、
従来から愛用しているこの富士通の『XP』を古いソフトの対応、そして新たなパソコンの予備機として、
そして今回のソニーの『セブン』に外付けのハードディスクの2TB(テラ・バイト)連結させて、
ネットの情報の洪水のような改進に、やむなく対処している。


恥ずかしいことを告白すれば、
私は東京オリンピックが開催された1964〈昭和39〉年に大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をして挫折した後、
民間企業に中途入社する為に、コンピュータの専門学校で、一年間ばかり学んだ。
そしてソフトコースを専攻して、汎用のコンピュータでシステム設計、プログラム、そして操作などをしたりした後は、
何とかある大企業に中途入社できたのは、1970〈昭和45〉年の春であった。

その後、この会社の一部が外資系のレコード会社として新設され、
私も移籍させられた後、その後1971年から20数年に情報畑で各社の共同システムで委託処理、
その後は自社処理で奮戦したり、
この後は管理畑となり社内のコンピュータ専門部署から離れたが、
この間の1971年以来は、もとより汎用の大型や中型、オフィスのコンピュータは活用してきた・・。、
しかしながらパソコンに関しては、自己流で独学で学んできたので、基本が解からないこともあり、
戸惑ったりしながら、苦笑する時もあったりする。

今回、新たなるOSの『ウィンドウズ セブン』に際して、
あれぇ、と画面の変貌に戸惑いながら、
こっそりと初級者用の購入したマニアル本を開き、
ここは従来の『ウィンドウズ XP』と変っている、
と心の中で呟(つぶや)いて、この2週間に改めて学び初めたりしている・・。

そしてネットの世界に対して、もう充分過ぎるから今後は余り進化しないで・・、
と齢を重ねた私は、時代について行くのに疲れたのか、懇願したりする時もある。


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佐野眞一・著の『津波と原発』、言葉による表現をめざす人のひとつの教科書でもあり・・。

2011-06-30 14:58:06 | 読書、小説・随筆
私は一昨日、ノンフィクション作家の佐野眞一(さの・しんいち)氏の最新作の『津波と原発』(講談社)を、
精読したひとりである。

http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2170388&x=B
☆【講談社BOOK倶楽部】<==《 佐野眞一・著作『津波と原発』 》☆


本書は本の帯に内容紹介されている通り、
《 日本の近代化とは、高度成長とは何だったか? 
  三陸大津波と福島原発事故が炙り出す、
  日本人の精神
  東日本大震災にノンフィクション界の巨人が挑む

  三陸に住んでいたゴールデン街の名物オカマの消息
  日本共産党元幹部の「津波博士」はどこへ? 
  正力松太郎・天皇・原発のトライアングル
  江戸時代、飢饉で荒廃した地は、陸軍の飛行場を経て、
  堤康次郎が土地を買収し、福島原発となった――

  『東電OL殺人事件』で東京電力の実相を暴き、
  『巨怪伝』では原発を日本に導入した正力松太郎を活写した佐野眞一が、
  3・11の真実を描く! 》
このように解説されている。


本書の序文として、『重みも深みもない言葉』と題して、
氏の本書の動機、そしてノンフィクション作家として使命を、まさに渾身で表現されている。

氏が大病後のおもわしくない体調で、あえて本書を書く動機として、
《・・
石原(注・石原慎太郎)や高村(注・高村薫)に限らず、
今回の大災害を論評する連中の言葉には、
被害者たちの沈黙に匹滴するだけの重みも深みもなかった。

事実をして語らしめるのでなく、言葉を空疎に操るだけのこうしたテレビ向きの評論家は、
世の中の騒ぎが少し落ち着いたらきょろきょろとあたりを見渡して、
きっと際限ないおしゃべりを始めるに違いない。

それ以上に我慢ならなかったのは、
地震直後の関係者の誠実さのかけらもない態度だった。
原発事故を起こした東京電力の釈明会見はまるで他人事のようだったし、
計画停電実施の理由を説明する東電職員の言葉にもまったく説得力がなかった。

(略)

被災地に出掛ける気になったもう一つの理由として、
これほどの大災害を前にして現地を見ずに感想だけを述べるのは、
ノンフィクション作家の資格がないと思ったからである。

被害者はあまりにも激甚な被害に「言葉を失った」。
その沈黙を伝えるには、”大文字”の論評ではなく、
ディテールを丹念に積み上げて”小文字”で語るノンフィクションしかない。

(略)

何も先入観ももたない精神の中にこそ、
小説でも書けない物語が向こうから飛び込んできてくれる。
それが私のノンフィクションの持論であり、いつもの流儀である。
・・》
注)本書の11~13ページから引用。
  原文にあえて改行を多くした。


私は佐野眞一氏の著作から、いつも強く感じることは、下記の通りである。

ダイエーの創業者の中内功(なかうち・いさお)氏を描いた、
『カリスマ-中内功とダイエーの「戦後」 』を『日経ビジネス』に連載中、
中内から事実無根として提訴されたが、後に訴えを取り下げらたりした。
注)功・・あて字(正確には、右辺は「刀」であるが、私も変換できなかった)

その後、『東電OL殺人事件』に於いては、
《被告人の無罪説を大胆に展開し彼の不法滞在の罪でさえ擁護する一方で、
被害者のエリート会社員に対しては、先祖代々の系譜から丸裸にし、
売春していた事を公に書くなどの内容が物議を醸した・・》
したりしてきた。

しかしながら、氏が被告人の無罪説を確証するために、
執拗までに懇切丁寧に取材をした思いは、ひとりの映画の脚本家に思いを馳せられる。

脚本家の橋本忍(はしもと・しのぶ)氏であるが、
映画の『真昼の暗黒』(1956年=昭和31年)の脚本にあたり、
取材記録を読んだのを重ねあわしたりすることもある・・。

もとよりこの映画は、八海事件で逮捕された青年を冤罪で無罪である、
と確信した製作者、監督、そして脚本家が、
裁判中にも関わらず無罪を確証するために橋本忍(はしもと・しのぶ)氏が、
徹底的に検証をして、脚本にされて映画化された作品である。
その後、1968(昭和43年)に最高裁で、無罪の判決となった。

その上、佐野眞一氏は被害者のエリート会社員に対して、
誰しも人の心の奥に秘そむ深淵まで描きあげたことに、
私は深く心を揺り動かされたのである。

そして当事者の心の深淵を明確にする手法として、
その何代かまで遡(さかのぼ)り、生きた系図を見るように、
生い立ちから成人、その後の軌跡まで時代背景を克明にした上で、明確にし、
当事者の影響を受けた環境はもとより、軌跡はもとより、生活状況、そして心まで明晰される。

こうしたことに圧倒的な思いを、描かれる文章、行間から感じられ、
現世の突出したノンフィクション作家である。


今回の本書も”生きている人”の発露された言葉が、数多くの人たちから明確に描かれている。

たとえば、『嗚咽する”定置網の帝王”』、『日本共産党元文化部長・山下文雄』などは、
当事者の深い心情が圧倒的に思いで伝わってくる・・。


そして、氏の作品の特質として、今回は『原発』もひとつのテーマなので、
なぜ原発が日本にもたらされて、どのように問題を残しながら利用発展してきたか、
時代背景を克明にした上で、多くの人の言動を明確にし、思惑、野望を明晰に表現している。

詳細については、ご興味のある方は、本書を読んで頂きたい。

特に原発の関係する諸兄諸姉はもとより、
少なくとも政治家と自認する諸兄諸姉も”生きた知識”として、読んで頂きたい。


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『石油は、8000年・・大丈夫・・』、武田邦彦・先生から教示され、齢ばかり重ねた私は驚きながら・・。

2011-06-29 18:17:11 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市に住む66歳の年金生活の身であり、
過日の6月22日に於いて、このサイトで下記の投稿文をした。

http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/995b862861a76b6d630d8b066af02877
☆【年金青年たわむれ記 ~かりそめ草紙~】
   6月22日【 武田邦彦・著の『エネルギーと原発のウソをすべて話そう』、読んでみたい本のひとつ・・。 】

この後、他の文芸書を2冊ばかり読んだりしていたので、
遅ればせながら、本日の午前のひとときから、この本を読み初めて、
ただいま半(なか)ばぐらいであるが、多々教示を受けたりしている・・。

特にこの中で、圧倒的に驚き、やがて溜息(ためいき)を重ねたのは、
《・・
様々な資料を入手し、調査に行き、試算として、
(石油は)8000年はもつというところにたどりつきました。
・・(略)・・
いま出回っている「石油の寿命」の数字は、ビジネス上の数字です。

石油会社は決して資源がたくさんあるとは言いたくありません。
たくさんあると言えば、石油の値段が崩れてしまうからです。
それが「あと40年」という「寿命」につながります。

・・(略)・・

なぜ私が石油の寿命について述べるかといえば、
すでに学者として引退しているも同然だからです。
これから先に学術論文を出すこともないだろうからできる。

現役の学者であれば、推定で論文を書くことはなどできませんから、
私はあえてそれをしているということです。
・・》
注)本書108、116ページ
  原文をあえて改行を多くした。


齢ばかり重ねた私は、新聞、テレビのニユースなどで、
石油を今のままで使用すると、あと40年ぐらいで枯渇しまうので・・、
と幾たびか読んだり、視聴したりしてきた。

こうした国、自治体、企業などの思惑、何よりも利害に捉われない武田邦彦氏の
本書に於いて、
《・・
•第1章 原発の後始末もウソばかり
•第2章 原子力と国際社会とエコと核
•第3章 自然エネルギー幻想と石油のウソ
•第4章 もう騙されない福島原発
•第5章 忘れられた地震予知の罪
•第6章 ウソとタテマエと巨大技術
・・》
それぞれの命題を、
恥ずかしながら高校時代で物理、微分積分『2』の劣等生のだった私が、
少し難しいかなぁ、と思いながら読み始めた・・。

そして、初級者として難問を多々教示され、開眼しはじめて、
今までの66年間に学んできたことは、何だったの・・と動顚して、
そして溜息をついたりしている。


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