《読了後のささやかなメッセージ》
私は昭和19年9月生まれなので、ちょっぴり団塊の世代より上の世代ですが、大学二年で中退し、好きな分野をさまよい、昭和45年4月(1970年)にサラリーマンをスタートした次第です。
従って、同じ頃に入社した人々は、団塊の世代の人達で、何となく交遊を深めた時でした。
私の兄弟は、兄ふたりで、妹は昭和22年1月、その下の妹は23年10月、そして家内は24年12月生まれと、私は団塊の世代の時代の空気は知っているつもりです・・。
堺屋太一・氏の書かれた
【終身雇用、年功序列をはじめとして、先輩世代が作り上げた組織や制度の中で人生を送ってきた、ということです。
大企業に入社してモーレツに働いて管理職になり、交際費を使ってゴルフと宴会に明け暮れる。
郊外に一戸建てを買い、子どもは二人つくって一流大学に入れる。
これが団塊世代の描いた《ジャパニーズ・ドリーム》でした】
私は、日本経済の基盤を先達の世代が造り、我々はバトンタッチを受けた、と度々綴ってきました。
そして、団塊の世代は、最初で最後の物心とも幸福な世代、と断定してきました。
さて、山根基世・女史の今回のエッセイでしたが、女性から視た社会を取り巻いてきた環境を機敏にとらえている、の一言です。
女史が昭和46年4月にNHKに入社し、『社会通念』、『組織の壁』、『男社会の壁』を改めて的確にこの時代を表現しています。
女性の多くは『専業主婦』になった・・家内の場合も、何のわだかりもなく、結婚すれば家庭に入る・・といったような社会通念があったわけです。
この頃の女性が結婚をし、男社会の組織の中で、仕事に邁進する事は、いかに大変かを改めて教示してくれました。
『民主主義』を唱える時は、小さな声で恥らいながら・・・私は、日本における民主主義は憲法と同様に、借り物、だと思考しています。
このような事は、日本人の多くの人々が内面で、玉手箱のようにしまっている、と私は解釈しています。
何はともあれ、この女史のくもりない洞察力ある視線に、私は益々惚れこみました。
NHKには数多くの女性はいますが、この人のような方の後進者はいるのかしら、余計な心配をしました。
私は昭和19年9月生まれなので、ちょっぴり団塊の世代より上の世代ですが、大学二年で中退し、好きな分野をさまよい、昭和45年4月(1970年)にサラリーマンをスタートした次第です。
従って、同じ頃に入社した人々は、団塊の世代の人達で、何となく交遊を深めた時でした。
私の兄弟は、兄ふたりで、妹は昭和22年1月、その下の妹は23年10月、そして家内は24年12月生まれと、私は団塊の世代の時代の空気は知っているつもりです・・。
堺屋太一・氏の書かれた
【終身雇用、年功序列をはじめとして、先輩世代が作り上げた組織や制度の中で人生を送ってきた、ということです。
大企業に入社してモーレツに働いて管理職になり、交際費を使ってゴルフと宴会に明け暮れる。
郊外に一戸建てを買い、子どもは二人つくって一流大学に入れる。
これが団塊世代の描いた《ジャパニーズ・ドリーム》でした】
私は、日本経済の基盤を先達の世代が造り、我々はバトンタッチを受けた、と度々綴ってきました。
そして、団塊の世代は、最初で最後の物心とも幸福な世代、と断定してきました。
さて、山根基世・女史の今回のエッセイでしたが、女性から視た社会を取り巻いてきた環境を機敏にとらえている、の一言です。
女史が昭和46年4月にNHKに入社し、『社会通念』、『組織の壁』、『男社会の壁』を改めて的確にこの時代を表現しています。
女性の多くは『専業主婦』になった・・家内の場合も、何のわだかりもなく、結婚すれば家庭に入る・・といったような社会通念があったわけです。
この頃の女性が結婚をし、男社会の組織の中で、仕事に邁進する事は、いかに大変かを改めて教示してくれました。
『民主主義』を唱える時は、小さな声で恥らいながら・・・私は、日本における民主主義は憲法と同様に、借り物、だと思考しています。
このような事は、日本人の多くの人々が内面で、玉手箱のようにしまっている、と私は解釈しています。
何はともあれ、この女史のくもりない洞察力ある視線に、私は益々惚れこみました。
NHKには数多くの女性はいますが、この人のような方の後進者はいるのかしら、余計な心配をしました。