夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私なりの『普天間基地の移設問題』、解決策のひとつの私案としては・・。

2010-05-05 18:59:11 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳であり、
恥ずかしながら政治・外交・軍事・経済なども疎(うと)く無力な身である。

ここ特に一週間は、『普天間基地の移設問題』に関して、
鳩山首相の就任以来の言動に戸惑いながら失望してきたが、
今回の鳩山首相の沖縄訪問の前後に、いたたまれずこのサイトに、
沖縄県民はもとより、国民を愚弄している鳩山首相の言動に落胆しながら、
投稿してきた・・。

しかし、批判することは園児でも出来、国民のひとりとして無責任であるので、
つたない身ながら、何とか解決策はないのかしら、と深く思ってきたひとりである。

現時点の私が考えられることを羅列する。

①橋本政権から麻生政権までの自民党政権のくびきだった普天間問題として、
米政府、日本政府、沖縄県の考え方が初めて一定幅に収まった状態で、
日米両政府の2006年の合意で、
普天間飛行場の移設先となった米軍キャンプ・シュワブ沿岸部(同県名護市辺野古)の原点とする。

②その前提としては、これまでの『普天間基地の移設問題』だけでも、迷走させ、
沖縄県民はもとより、国民を愚弄してきた鳩山首相は辞任をする。

③鳩山首相の後任の新たなる首相は、今後の沖縄に対して、少なくとも下記のように明文し、
制定化する。

④沖縄本島に本籍と現住所があり、日本の国籍を所有する方には、
今後は『住民税』を免除し、無料とする。

⑤これに該当する方たちは、同時に『医療費』を免除し、無料とする。

⑥その上、騒音の対策上、防音に関する建設費は、無料とする。

⑦そして、基地の周辺に住まわれる方が本島内に転居する場合、
最低として3000万円の援助金とする。
この場合は、基地から4キロ以上放れた地域とする。


このように私が沖縄の本島の方たちを思いながら、羅列してきたが、
少なくとも沖縄の県民であり基地のある本島の方たちに、
政府はお詫びを重ねながら、住民投票の結果、賛意を得ることが出来た上で制定する。

このことは、日本の敗戦後、
日本は沖縄に関してアメリカ軍政下にゆだねて、その後、念願の本土復帰となったが、
国土の一割にも満たないの沖縄が、75%前後の地域が在日米軍基地があり、
日本の安全に寄与してきた現実である。
上記に箇条書きした費用にに関しては、政府の防衛費の一環として国民の税金で負担する。

ひとえに沖縄の本島の人たちの過酷な犠牲で、今日の平和のひとつが構築してきた現実であり、
今後も国際間が急激に変貌し、日米間の結束が変らない限り、
基地として使用させて頂く、お詫び協力金、と私は思っている。

追記事項(19時50分)
沖縄本島を『特別区』として、地方への交付金平均の10倍を沖縄県に交付する。


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鳩山首相は、特に沖縄県民iを愚弄し、この中の三人の言葉の前には・・。

2010-05-05 10:16:41 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
今朝、いつものように読売新聞の朝刊を読み、
昨日、鳩山首相が沖縄訪問のニュースの数々を読んだりした。

私はこのサイトに投稿してきた通り、鳩山首相の就任以来の言動に戸惑いながら失望してきたが、
今回の鳩山首相の沖縄訪問に、更に落胆を深めたひとりである。

先程、読売新聞の朝刊の中で、特に沖縄県民の三人のお方のお方の言葉の前には、
再読すればするほど、胸が熱くなり、涙がこぼれそうになった・・。


読売新聞には無断であるが、第27面に掲載されている記事の一部を転記させて頂く。
《・・
移設容認派で、キャンプ・シュワブのある(名護市)辺野古で、
建設業を営む仲嶺真明さん(46歳)は首相の発言をテレビのニュースで聞き、
「今さら何を・・」
と失望を隠せない様子。

「本当に移設するのなら早く決着してほしい。
特に地元には納得のいく説明が必要だ」
と話した。


米軍キャンプ・シュワブを視察するために鳩山首相の車が基地の入り口を通過した。
その300メートルほどの西で、『ファミリーストア・キヨタ』を営む許田正儀さん(60歳)は、
カーラジオから「基地はいらない」という移設反対派の叫び声が何度も流れるのを聞いて、
胸の内が激しく揺れ動くのを感じた。

20代で建設会社を起した許田さんは1996(平成8)年に移設案が浮上すると、
移設容認派の市長候補を支援した。
1999(平成11)年からは移設工事の関係者や米兵の増加を見込んで今の店を始めた。

しかし移設計画は進まず、2年前に孫娘が生まれたのを機に、
「騒音のない辺野古にしたい」
と反対派に転じる。

一月の市長選では初めて移設反対派の稲嶺進・現市長に投票した。

それでも店の売り上げの7~8割は米兵の買物が占め、
基地なしでは生活ができない。
辺野古の外から来た団体が、
「基地反対」を唱えることにも違和感を覚えている。

そして、この日、鳩山首相は移設先について、
『すべてを県外にというのは難しい』と述べた。

許田さんには、その言葉が、
沖縄が本土に復帰していなかった1955(昭和30)年、
米軍がキャンプ・シュワブの土地を一方的に接収した時と同じように思えた。
「これなら地元の声を聞いてくれた前政権の方がましだった」。
許田さんは、ため息を漏らした。


名護市民会館で行われた鳩山首相と稲嶺市長との会談を見に集まった住民の中に、
1997(平成9)年、移設反対の立場で『命を守る会』を結成した西川征夫さん(66歳)がいた。

西川さんが会を作ったのは基地を否定るためではなく、
住環境を守るためだった。
それが体調を崩して一年余りで会長を退いた後は、
会が「政治目的」に利用されていると感じ、会とは距離を置くようになった。

「基地は住民の生活に必要」という西川さんは、
昨年の7月、鳩山首相が、
『(移設先は)最低でも県外』と語るのを、
「結局は辺野古に戻ってくるのでは」
と疑心暗鬼で聞いていた。

稲嶺市長との会談後、
『公約ではなく、(党の)代表としての発言』と述べた鳩山首相に、
西川さんの失望はさらに増した。
「あの時の言葉に多くの人の気持ちが揺さぶられた。
(鳩山)首相は、地元の心をもてあそんでいる、
としか思えない」

・・》
注)記事の原文にあえて改行などを多くした。


長らく転記させて頂いたが、こうしたことが沖縄の米軍キャンプ・シュワブのある、
名護市の辺野古地域にお住まいの現実の思いである。

たまたま私は読売新聞の記事で、この三人のお方の確かな叫びを拝読したが、
沖縄人が云う内地の人々は、この『普天間移設案』のひとつでも、
他人事のように感じるのではなく、国民が共有する問題である。
もとより日本の安全を守る防衛の現実、そして将来に関わる命題であるからである。


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