夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ふたたび、我が拙(つたな)き半生の果てには・・。

2010-05-09 18:14:29 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
2004(平成16)年の秋の定年退職後まもなくして偶然にブログの世界を知り、
若き日々より中断したこともあったが日記を書いたりし、
これとは別の状況で色々と綴ったりしてきたが、
改めて何らかの形式で公表したく、これ幸いと幾つかのブログ、
ブログに準じたサイトに加入して綴ってきた。

定年退職後の身過ぎ世過ぎの日常で日々に感じたこと、
或いは思考したことを心の発露とし、明記してきたことはもとより、
幼児からサラリーマンの退職時までの色々な思いを
書き足らないことも多々あるが、余すことなく綴ってきている。

誰しも人それぞれに、苦楽の光と影を秘めて日常を過ごしているのが人生と思っているが、
私なりに時には、ためらいを感じながらも心痛な思いで、
綴ったりしてきたこともあった。


私は1944(昭和19)年に農家の三男坊として生を受けたこと、
祖父や父が長兄、次兄と後継ぎ候補の男の子に恵まれたので、
秘かに今度は女の子を期待していたらしく、私は何となく感じて、いじけたこと。
そして、小学生に入学しても、兄ふたりは優等生で、
私は中学生までは劣等生だったこと。

小学2年の時に父が42歳の時に病死され、まもなく祖父も亡くなり、
農家の旧家でも大黒柱のふたりが亡くなることは、没落し、貧乏になること。
そして、幼年期には本といえば、『家の光』しかなく、
都心から引越してきた同級生の家には沢山の本があり、愕然としたこと。


高校時代になって初めて勉学が楽しくなり、
遅ればせながら読書にも目覚めたり、小説らしき習作を始めたこと。

そして大学を中退してまで映画・文学青年の真似事をしたり、
その後は幾度も小説新人の応募で最終候補作に漏れ、落胆したこと。

この後は、コンピュータの専門学校に学び、
これを梃子(てこ)とした上で、知人の強力な後押しのお陰で、
大手の民間会社に中途会社にできたこと。

そしてまもなくレコード会社に異動させられて、
六本木にある本社でコンビュータの専任者となり、時代の最先端にいる、と勘違いしたこと。
この間、幾度も恋をしたが失恋の方が多く困惑したことや、
結婚後の数年後に若気の至りで一軒家に茶室まで付け足して建てて、
住宅ローンの重みに耐えたこと。

そして、定年の5年前に出向となり、都落ちの心情になったこと。


このように私は大手企業のサラリーマンの一部に見られるエリートでなく、
屈折した日々の多い半生を歩み、定年を迎え、
半生記は自慢史が多いと云われているが、私は程遠い存在である。

私は確固たる実力もないくせに、根拠のない自信があり、
感覚と感性は人一倍あると思いながら、独創性に優れていると勝手に思い込み、
ときには独断と偏見の多い言動もしたりしてきた。
そして、ある時には、その分野で専門知識があり優れた人の前では、
卑屈になったりした・・。
このように可愛げのない男のひとりである。


私は定年退職時の5年前頃からは、
漠然と定年後の10年間は五体満足で生かしてくれ、
後の人生は余生だと思ったりしている。

昨今の日本人の平均寿命は男性79歳、女性86歳と何か本で読んだりしているが、
私は体力も優れていないが、
多くのサラリーマンと同様に、ただ気力で多忙な現役時代を過ごしたり、
退職後も煙草も相変わらずの愛煙家の上、お酒も好きなひとりであるので、
平均寿命の前にあの世に行っている、確信に近いほどに思っている。

世間では、よく煙草を喫い続けると五年前後寿命が縮じまるという説があるが、
身勝手な私は5年ぐらいで寿命が左右されるのであるならば、
私なりの愛煙家のひとりとして、
ときおり煙草を喫ったりしながら、思索を深め日々を過ごす人生を選択する。
そして、昨今は嫌煙の社会風潮があるので、
私は場所をわきまえて、煙草を喫ったりしている。


このように身勝手で屈折の多い人生を過ごしたのであるが、
この地球に生を受けたひとりとして、私が亡くなる前まで、
何らかのかけらを残したい、と定年前から思索していた。
あたかも満天の星空の中で、片隅に少し煌(きらめ)く星のように、
と思ったりしたのである・・。

私はこれといって、特技はなく、
かといって定年後は安楽に過ごせれば良い、といった楽観にもなれず、
いろいろと消却した末、言葉による表現を思案したのである。

文藝の世界は、短歌、俳句、詩、小説、随筆、評論などの分野があるが、
私は無念ながら歌を詠(よ)む素養に乏しく、小説、評論は体力も要するので、
せめて散文形式で随筆を綴れたら、と決意したのである。


私は若き日のひととき、映画・文学青年の真似事をした時代もあったが、
定年後の感性も体力も衰えたので、
ブログ、ブログに準じたサイトに加入し、文章修行とした。

何よりも多くの方に読んで頂きたく、あらゆるジャンルを綴り、
真摯に綴ったり、ときには面白く、おかしく投稿したりした。
そして苦手な政治、経済、社会の諸問題まで綴ったりしたが、
意識して、最後まで読んで頂きたく、苦心惨憺な時も多かったのである。


私の最後の目標は、人生と文章修行の果てに、
たとえば鎌倉前期の歌人のひとり鴨 長明が遺され随筆の『方丈記』があるが、
このような随筆のかけらが綴れれば、本望と思っている。


こうして定年後の年金生活の身過ぎ世過ぎの日常生活で、
家内とふたりだけの生活の折、買物の担当をしたり、
散策をしながら、四季折々のうつろいを享受し、
長年の連れ合いの家内との会話も、こよなく大切にしている。

そして時折、何かと甘い自身の性格と文章修行に未熟な私さえ、
ときには総合雑誌の『サライ』にあった写真家の竹内敏信氏の連載記事に於いては、
風景写真を二葉を明示した上で、文章も兼ね備えて掲載されていたが、
このような形式に誘惑にかられ、悩んだりする時もある。

私が国内旅行をした後、投稿文に写真を数葉添付して、旅行の紀行文の真似事をすれば、
表現上として言葉を脳裏から紡(つむ)ぐことは少なくすむが、
安易に自身は逃げる行為をしていると思い、
自身を制止している。

そして、言葉だけによる表現は、
古来より少なくとも平安時代より続いてきたことであるので、
多くの人の心を響かせるような圧倒的な文章力のない私は、
暗澹たる思いとなりながらも、まだ修行が足りない、と自身を叱咤したりしている。


そして拙(つたな)い才能には、
何よりも言葉による表現、読書、そして思索の時間が不可欠であり、
日常の大半を費(つい)やしているので、年金生活は閑だというのは、
私にとっては別世界の出来事である。

このような思いで今後も過ごす予定であるので、
果たして満天の星のひとつになれるか、
或いは挫折して流れ星となり、銀河の果てに消え去るか、
もとより私自身の心身によって決められることである。


余談であるが、私と同じような年金生活をしている方で、
生きがいを失くし、目に輝きを失くした方を見かけたりすると、
齢ばかり重ね、孫の世代の人々にお恥ずかしくないのですか、
と私は思ったりしている。



href="http://www.blogmura.com/">ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『教職員・・痴漢は生涯賃金408万減』・・!?

2010-05-09 08:28:30 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨夜、たまたま読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていたら、
このようなことが一般社会常識として、ありえるの、と驚いたりした。

《 痴漢は生涯賃金408万減…市教委が規定手引 》

と題された記事である。

無断であるが、記事の詳細を転載させて頂く。

《・・
教職員らによる相次ぐ不祥事を受けて、
名古屋市教育委員会は服務規定の手引書を作成した。

懲戒処分の種類や過去の不祥事例、生涯賃金への影響を説明したほか、
自己チェック欄も掲載されている。

同市では昨年6月以降、小学校教頭が交際相手の女性を中傷するビラを配った名誉棄損事件や、
中学校、高校の教諭による痴漢事件、事務職員らによる公金着服事件などが続発。
懲戒免職者も5人と、ゼロだった一昨年度から激増した。

「誇りを胸に」と題した手引書には、
地方公務員法で定められた職員の義務や懲戒処分についての説明のほか、
過去の事例として、
「ちかんは停職6か月」
「公金横領は免職」
「体罰は減給10分の1、1か月」
などが紹介されている。

35歳の教諭が停職6か月を受けた場合は、生涯賃金が408万円減るなどと記されている。
市立の全学校や幼稚園に配布される。

手引書を作成した市教委教職員課は
「今までも資料は配布してきたが、より具体的な内容に踏み込むことで、
教職員の自覚を促そうと考えた」
としている。

一方で、職員の中からは
「ここまでしないとモラルが保てないとしたら情けない」
といった声も出ている。

(2010年5月8日18時04分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行などを多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100508-OYT1T00690.htm
☆【YOMIURI ONLINE】 『痴漢は生涯賃金408万減…市教委が規定手引』☆


私は少しボケた高齢者のひとりであり、2回ばかり読み、
名古屋市の教育委員会が、市立の幼稚園、小学校、中学校、高等学校、大学まで、
学校の先生、職員の方たちに『服務規定』として手引書を作成し配布する、と解釈した。

私は驚きながら、この後は苦笑し、このようなことは笑止千万、と瞬時に感じたのである・・。

私は民間の中小業のサラリーマンを35年ばかり勤めた身であるが、
職務規定書はあったが、外資系のせいか、
このような社会的な悪質の場合は、解雇であった。

どうして教職員は罰則が甘いのか不思議である。
もとより教職員の諸兄諸姉たちは、私のように大学中退以上に、遥かに上の高級学校を学ばれ、
先生の場合は生徒に教育を教える崇高な責務をなされている人たちなのである。


この中のひとつの『痴漢』のひとつを採り上げても、
私が勤めていた時代で、1980(昭和55)年の頃、
千代田線の『乃木坂』駅の近くで、ある有数な外資の会社の部長が痴漢騒ぎ起し、
まもなく解雇された事件があった。

私はこの当時、35歳前後であったが、
『どうして・・痴漢などをし・・ご自分の大切な人生を棒に振るの・・』
と思い、こうしたことが私は理解できなかったのである。

もとより私も男性のひとりであるので、恥ずかしながら私の実態を告白すれば、
愛しき妻と性愛を重ね、この上に男性としての不思議な欲望としてあった時は、
こっそりと風俗店に行ったりした。

私は会社の職場上、通勤上、家庭には整然し、ズルい男かも知れないが、
友人と談笑した居酒屋の席の隅で、
俺も同じ、とお互いに微苦笑をしたりしていた。


昨今の教職員を含めて一般の男性が、痴漢などで新聞に掲載されたりすると、
もとより相手の女性に心身傷つけ、ご自分の家庭の方に・・どう釈明するのか、
そして勤め先に寄るが解雇となり、家庭の崩壊となることが多い、
と憂いたりしている。

まして先生たちの場合は、このような事件を起した場合、
先生として教壇で、生徒に教育を教示することなどは、恥ずかしさで当然できないし、
そして辞職し、一生教師の道を閉ざされ、やがて家庭の崩壊となることが多い、
と思われるので、今回の停職6か月などは、私にとっては笑止千万、と思っている。


このような思いから私は、男性諸氏の一部の方に、もっとご自分を大切にしてほしい、
と切に感じている、





href="http://www.blogmura.com/">ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする