第三章 糠平(ぬかびら)温泉、そして周辺は
帯広市の郊外にある十勝川温泉の筒井地域にある観光ホテルに連泊した後、
22日の11時過ぎにホテルの送迎バスの乗車し、次の宿泊地の糠平温泉郷に向い、
小雪舞う中を北上し、士幌、上士幌を通り、一時間ほとで、
積雪20センチぐらいの宿泊地の『糠平館 観光ホテル』に到着した。
http://www.nukabirakan.com/
☆『糠平館 観光ホテル』ホームページ☆
私たち夫婦は、レストランで昼食を頂いた後、
周辺を観光しょうと、フロントでタクシーを依頼し、最寄りのタクシーは士幌から着たが、
迎えの料金メーターは既に7000円を超えていたので、
やはり北海道は広いなぁ、と私は苦笑したりした。
その後、糠平湖の周囲を廻って頂こうとしたら、
小雪が降る中、この時節は氷結前であるので歩いても湖畔にも近寄れず、
周辺の道路からも霞〈かす〉んで視界が悪く、
やむなくダムの近場で湖の情景を眺めて、デジカメで10数枚撮って、帰館した。
そして指定された部屋に入り、浴衣に着替えて、風呂に入った。
http://www.nukabirakan.com/spa/
☆『糠平館 観光ホテル』ホームページ <== 温泉のご案内 ☆
このサイトで紹介されている通り、
大浴場は『木』と『岩』のふたつあり、それぞれ内湯と露天風呂がある。
私は内湯で身体を温めた後、前にある露天風呂に入った。
目の前は傾斜地で針広樹の森となり、下方は小さくなった川が流れ、
そして前方は丘陵に幾重かの樹木が観える景観の良い所である、
露天風呂の屋根は半分ほどで、私は前の方で入浴していると、
雪が強く降り変わり、頭の毛や顔も雪を受けたりした。
そして後方の屋根から、ときおり雪が落下してきたのに驚いたり、
私の在る所の上は、大きな樹木の枝葉に雪が積もっているので、
いつ雪が落下してくるのかしら、と時折不安げに見上げたりした。
或いは下方に川べりの付近には、『仙郷の湯』と称された露天風呂の館があるが、
私が入浴している場所からは、大浴場の入口の横の通りを少し歩いた後、
木の階段を40段ぐらい降り、館にたどり着く状態となっている。
雪は降る中、階段は積雪となっているので、滑らないかしら、と眺めたりした。
この後、小雪になった時、私は下方の川べりの露天風呂に挑戦した。
浴衣姿でこの40段ばかりの階段を下りたが、
足元は積雪で不安定、ときおり微風が吹くと、浴衣の裾は捲れ上がり、
寒い上に風吹くのは勘弁ねぇ、と心の中で叫びあげながら下ったのである・・。
何とか無事に館に着き、簡素な脱衣所で脱ぎ捨て、お湯に身をゆだねた。
男女混浴と称されているが、誰もいなく私は独り占めとなった。
積雪は30センチくらいで小雪が舞う中、
目の前の清流を眺め、川べりの樹木の情景に見惚〈みと〉れたりした。
私は齢を重ねても男女混浴は苦手である。
私の若き40代の半ばの頃、別所温泉に行った時、ある由緒ある観光旅館に宿泊し、
誰もいない大浴場で、ゆったりと身をゆだねていた時、
40歳前後の女性3人が入ってきた。
『あらぁ・・男の人・・独り入っているわ・・
でも・・あたしたち三人だから・・』
と悠然と入浴してきたので、私は圧倒されて、慄〈おの〉のいて片隅に移動したりした。
こうしたささやかな体験もあるので、たとえ同性であっても、
大浴場、特に露天風呂は静けさの中で、身も心も湯にゆだねたいのである。
たまたま今回は小雪舞い降る中で露天風呂は独り占めの贅沢なひとときを過ごしたが、
冬の旅を重ねてきたが、10回目ぐらいかしら、と指を折りながら微笑んだりした・・。
この糠平湖の周囲は、山なみが迫る地域で、大雪山連峰の東部に属し、
この時節でも雪が降り、ときおり止むといった状況であった。
私は小学校に入学した幼年期より、みゆき舞う情景に魅了されているので、
部屋の窓辺、ロビー、レストラン、大浴場などで、飽きずに見惚れたりしていた。
最終章 旅の終わりは、メークイン
旅の最終日の24日、私たち一行は宿泊した『糠平館 観光ホテル』のご厚意で、
午後一時発のホテルの送迎バスで、とかち帯広空港まで送って頂けることとなっていた。
私は近くの『ひがし大雪博物館』に30センチぐらいの積雪の中を向かい、
小雪舞う中を歩いたりした。
私は旅をする時、その地の民族館などを鑑賞する習性があり、
もとより風土、文化などを教示されるためであった。
今回の『ひがし大雪博物館』は、動植物、土壌など多々学び、
特に数多くの樹木の特徴、盛衰、推移、
そしてアイヌ民族の長き歴史に及ぶ日常生活の変貌を教示させられたりした。
館内は、私たった独りで鑑賞したが、このようなことは初めてであった。
ホテルの前を午後1時少し前に送迎バスは出発し、雪道の中を上士幌、士幌を通り過ぎると、
路面は除雪した雪は消え、周辺は大雪原の中、小雪も止み、まばゆい晴れ間と変貌した。
ときおり微風が吹くと、大雪原の粉雪が吹き飛ばされて、道路に吹雪のような情景となり、
以前に観た道路際の風雪避けが、こうした時に大いに威力を発揮するが、
広い北海道の大地では限りある、とも感じさせられたりした。
やがて帯広市の郊外、やがて高速道路を疾走し、空港までは送迎バスは走ったが、
100キロぐらいの道のり、1時間半ばかりであったが、
改めて殆ど周辺の情景は大雪原であったので、やはり広い十勝平野を実感させられたのである。
とかち帯広空港発の午後4時の便であったので、それまでの待ち時間は家内がお土産を購入した後、
私は家内を誘い、レストランに入店した。
私たち夫婦は、旅の現地の最終には、食事処を利用することが多く、
私は地酒かビールを吞みながら軽食を頂くことが圧倒的に多いのである。
そして旅先の余情、そして旅先のこぼれ話を家内と談笑したりしている。
今回はレストランに入店すると、ビールとお徳用のつまみセットで1200円くらいを配慮していたが、
この時節はなく、やむなくメークインがふたつ蒸かしてある食べ物を指定した、
そして北海道だからサッポロビールの『クラシック』の銘柄と何かと優先していたが、
この店にはなく、サッポロビールの『生』の瓶ビールとした。
私はここ10数年、アサヒ、キリンは大手で成功しているビール会社で、
何かと劣勢なサッポロを応援したくなる性格であり、
特に北海道を旅する時は、サッポロビールの『クラシック』の瓶ビールであると公言し、
ほぼ実行を重ねてきたのである。
このたびは、やむなくサッポロビールの『生』の瓶ビールを吞みながら、
温かなメークインに少しバターをのせて頂いたのであるが、
ビールと波長が良く、家内に絶賛した、
そして家内から笑われてしまい、もとより私の独断と偏見の性格を発露したので、
あなたのとめとめない悪い性格が始まったわ、
というしぐさをまじえてである。
今回の旅先でも、私は地元の高齢者の70代の女性、60代の男性の3名、
そして中学生の男女の5名と談笑を重ねたりした。
旅のさなかに帯広の郊外の果てしなく拡がる大雪原の中、
大地は凛とし、果てしなく青空が観える蒼穹(そうきゅう)の情景に、
亡き作家の立原正秋(たちはら・まさあき)氏を思い馳せたりした。
そして一時時期に過ごされたシンガーソングライターの中島みゆきさん、
或いは亡き作家の福永武彦〈ふくなが・たけひこ〉氏にも思いを重ねたりした。
このようなことを思い、みゆき舞う情景も共に過ごせたのであり、
私にとっては限りなく贅沢な旅であった、と実感したりした。
この後、空港の待合室で、旅を共にした方たちと談笑し、
またお逢いしたいですねぇ、とそれぞれのご夫妻に私たち夫婦は言葉を交わしたりした。
《終わり》
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帯広市の郊外にある十勝川温泉の筒井地域にある観光ホテルに連泊した後、
22日の11時過ぎにホテルの送迎バスの乗車し、次の宿泊地の糠平温泉郷に向い、
小雪舞う中を北上し、士幌、上士幌を通り、一時間ほとで、
積雪20センチぐらいの宿泊地の『糠平館 観光ホテル』に到着した。
http://www.nukabirakan.com/
☆『糠平館 観光ホテル』ホームページ☆
私たち夫婦は、レストランで昼食を頂いた後、
周辺を観光しょうと、フロントでタクシーを依頼し、最寄りのタクシーは士幌から着たが、
迎えの料金メーターは既に7000円を超えていたので、
やはり北海道は広いなぁ、と私は苦笑したりした。
その後、糠平湖の周囲を廻って頂こうとしたら、
小雪が降る中、この時節は氷結前であるので歩いても湖畔にも近寄れず、
周辺の道路からも霞〈かす〉んで視界が悪く、
やむなくダムの近場で湖の情景を眺めて、デジカメで10数枚撮って、帰館した。
そして指定された部屋に入り、浴衣に着替えて、風呂に入った。
http://www.nukabirakan.com/spa/
☆『糠平館 観光ホテル』ホームページ <== 温泉のご案内 ☆
このサイトで紹介されている通り、
大浴場は『木』と『岩』のふたつあり、それぞれ内湯と露天風呂がある。
私は内湯で身体を温めた後、前にある露天風呂に入った。
目の前は傾斜地で針広樹の森となり、下方は小さくなった川が流れ、
そして前方は丘陵に幾重かの樹木が観える景観の良い所である、
露天風呂の屋根は半分ほどで、私は前の方で入浴していると、
雪が強く降り変わり、頭の毛や顔も雪を受けたりした。
そして後方の屋根から、ときおり雪が落下してきたのに驚いたり、
私の在る所の上は、大きな樹木の枝葉に雪が積もっているので、
いつ雪が落下してくるのかしら、と時折不安げに見上げたりした。
或いは下方に川べりの付近には、『仙郷の湯』と称された露天風呂の館があるが、
私が入浴している場所からは、大浴場の入口の横の通りを少し歩いた後、
木の階段を40段ぐらい降り、館にたどり着く状態となっている。
雪は降る中、階段は積雪となっているので、滑らないかしら、と眺めたりした。
この後、小雪になった時、私は下方の川べりの露天風呂に挑戦した。
浴衣姿でこの40段ばかりの階段を下りたが、
足元は積雪で不安定、ときおり微風が吹くと、浴衣の裾は捲れ上がり、
寒い上に風吹くのは勘弁ねぇ、と心の中で叫びあげながら下ったのである・・。
何とか無事に館に着き、簡素な脱衣所で脱ぎ捨て、お湯に身をゆだねた。
男女混浴と称されているが、誰もいなく私は独り占めとなった。
積雪は30センチくらいで小雪が舞う中、
目の前の清流を眺め、川べりの樹木の情景に見惚〈みと〉れたりした。
私は齢を重ねても男女混浴は苦手である。
私の若き40代の半ばの頃、別所温泉に行った時、ある由緒ある観光旅館に宿泊し、
誰もいない大浴場で、ゆったりと身をゆだねていた時、
40歳前後の女性3人が入ってきた。
『あらぁ・・男の人・・独り入っているわ・・
でも・・あたしたち三人だから・・』
と悠然と入浴してきたので、私は圧倒されて、慄〈おの〉のいて片隅に移動したりした。
こうしたささやかな体験もあるので、たとえ同性であっても、
大浴場、特に露天風呂は静けさの中で、身も心も湯にゆだねたいのである。
たまたま今回は小雪舞い降る中で露天風呂は独り占めの贅沢なひとときを過ごしたが、
冬の旅を重ねてきたが、10回目ぐらいかしら、と指を折りながら微笑んだりした・・。
この糠平湖の周囲は、山なみが迫る地域で、大雪山連峰の東部に属し、
この時節でも雪が降り、ときおり止むといった状況であった。
私は小学校に入学した幼年期より、みゆき舞う情景に魅了されているので、
部屋の窓辺、ロビー、レストラン、大浴場などで、飽きずに見惚れたりしていた。
最終章 旅の終わりは、メークイン
旅の最終日の24日、私たち一行は宿泊した『糠平館 観光ホテル』のご厚意で、
午後一時発のホテルの送迎バスで、とかち帯広空港まで送って頂けることとなっていた。
私は近くの『ひがし大雪博物館』に30センチぐらいの積雪の中を向かい、
小雪舞う中を歩いたりした。
私は旅をする時、その地の民族館などを鑑賞する習性があり、
もとより風土、文化などを教示されるためであった。
今回の『ひがし大雪博物館』は、動植物、土壌など多々学び、
特に数多くの樹木の特徴、盛衰、推移、
そしてアイヌ民族の長き歴史に及ぶ日常生活の変貌を教示させられたりした。
館内は、私たった独りで鑑賞したが、このようなことは初めてであった。
ホテルの前を午後1時少し前に送迎バスは出発し、雪道の中を上士幌、士幌を通り過ぎると、
路面は除雪した雪は消え、周辺は大雪原の中、小雪も止み、まばゆい晴れ間と変貌した。
ときおり微風が吹くと、大雪原の粉雪が吹き飛ばされて、道路に吹雪のような情景となり、
以前に観た道路際の風雪避けが、こうした時に大いに威力を発揮するが、
広い北海道の大地では限りある、とも感じさせられたりした。
やがて帯広市の郊外、やがて高速道路を疾走し、空港までは送迎バスは走ったが、
100キロぐらいの道のり、1時間半ばかりであったが、
改めて殆ど周辺の情景は大雪原であったので、やはり広い十勝平野を実感させられたのである。
とかち帯広空港発の午後4時の便であったので、それまでの待ち時間は家内がお土産を購入した後、
私は家内を誘い、レストランに入店した。
私たち夫婦は、旅の現地の最終には、食事処を利用することが多く、
私は地酒かビールを吞みながら軽食を頂くことが圧倒的に多いのである。
そして旅先の余情、そして旅先のこぼれ話を家内と談笑したりしている。
今回はレストランに入店すると、ビールとお徳用のつまみセットで1200円くらいを配慮していたが、
この時節はなく、やむなくメークインがふたつ蒸かしてある食べ物を指定した、
そして北海道だからサッポロビールの『クラシック』の銘柄と何かと優先していたが、
この店にはなく、サッポロビールの『生』の瓶ビールとした。
私はここ10数年、アサヒ、キリンは大手で成功しているビール会社で、
何かと劣勢なサッポロを応援したくなる性格であり、
特に北海道を旅する時は、サッポロビールの『クラシック』の瓶ビールであると公言し、
ほぼ実行を重ねてきたのである。
このたびは、やむなくサッポロビールの『生』の瓶ビールを吞みながら、
温かなメークインに少しバターをのせて頂いたのであるが、
ビールと波長が良く、家内に絶賛した、
そして家内から笑われてしまい、もとより私の独断と偏見の性格を発露したので、
あなたのとめとめない悪い性格が始まったわ、
というしぐさをまじえてである。
今回の旅先でも、私は地元の高齢者の70代の女性、60代の男性の3名、
そして中学生の男女の5名と談笑を重ねたりした。
旅のさなかに帯広の郊外の果てしなく拡がる大雪原の中、
大地は凛とし、果てしなく青空が観える蒼穹(そうきゅう)の情景に、
亡き作家の立原正秋(たちはら・まさあき)氏を思い馳せたりした。
そして一時時期に過ごされたシンガーソングライターの中島みゆきさん、
或いは亡き作家の福永武彦〈ふくなが・たけひこ〉氏にも思いを重ねたりした。
このようなことを思い、みゆき舞う情景も共に過ごせたのであり、
私にとっては限りなく贅沢な旅であった、と実感したりした。
この後、空港の待合室で、旅を共にした方たちと談笑し、
またお逢いしたいですねぇ、とそれぞれのご夫妻に私たち夫婦は言葉を交わしたりした。
《終わり》
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