私は民間会社の中小業に勤める中、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
定年前の6年前の頃からリストラ烈風となり、やがて私もあえなく出向となり、
何とか2004年(平成16年)の秋に定年を迎えることができたので、
敗残者のような七転八起の35年近くのサラリーマン航路を過ごした。
このように悪戦苦闘の多い中で、敗残者のような状況であったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活を始めた・・。
年金生活を始めた当初は、定年の5年前の頃から、定年後の60代の10年間だけは五体満足に生かしてくれ、
その後の70代以降の残された歳月は、余生であると漠然ながらと思ったりしてきた。
こうした思いの底には、私の父は私が小学2年3学期になると、黄疸〈おうだん〉で長らく自宅治療をしていたが、
肝臓が悪化して、42歳の若さで病死されたこともあったりした。
そして何よりも私の現役のサラリーマンの50代に同僚が病死されたり、
残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。
或いは先輩の65歳、69歳で亡くなったことであった。

こうした定年後の年金生活を始める中で、私はネットの世界に殆ど無知な癖に、ホームページの開設を思案したりしていた。
自身のこれからの日々の思い、或いは過ぎ去った時代の思いのことなどを出来うる限り随筆風の散文で綴り、
公開しょうと思案したりしていた。
しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。
ブログの世界は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれのお方が自由に私生活の出来事から、政治、外交、軍事、経済などの多岐な分野まで表現でき、
日本でも2002年(平成14年)の頃から急速に普及し、誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来している。
この少し前の時代は、それぞれの専門知識のある有識者が、雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人(シロウト)の身としては、新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
もとより掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。
こうした結果として、私は自在に私の生活のことから、政治、社会などに専門知識がない私でも、
私なりの思いを発露でき、何よりブログはホームページより手軽に開設、運営できると感じ、
ブログに加入しょうと決意した。
そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入した。
しかしながら、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり【gooブログ】を中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸11年半が過ぎて、早や12年生となったりしている。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。
私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。
或いは4年近く前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
そして私の投稿文の最初の一行に於いては、殆ど私の住んでいる地域を明記している。
このことは私が投稿文の中で、散策、買い物したりする場合、日本のどの地域なのか、
初めて読んで下さる方に理解して頂く為である。
こうしたささやかな思いで、つたない投稿文を繰り返して、早くもブログは12年生となっている。
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
恥ずかしながら筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。
しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省をしたりしてきた。
このように私は自身の投稿文も大切であるが、この間、数多くの御方の投稿文を読ませて頂いたりした。
たとえば日記として綴られている場合は、その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、
圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。
そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生航路の軌跡に思い馳せながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしている。
こうして読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ哀歓を感じながら、年金生活を過ごしたりしている。
こうした数多く投稿文を読ませて頂く中、たとえたった一行の綴りでも、
瞬時に琴線(きんせん)が静かに奏(かな)で始め、やがてその御方のブログの愛読者のひとりになってきた・・。
私のブログ上で左側には『ブックマーク』があり、私が愛読している御方・・50代~90代の諸兄諸姉を
《★下記のブログサイト★ご当人様のご承諾も得ずに、掲載させて頂く・・》と明示し、
未掲載の御方も10数名いる。

ここ10数年、特に私よりご年配の投稿文を読ませて頂く中、古稀と称した70歳を迎えると、
或いは75歳の後期高齢者になると、そして80代を迎えると・・
私は年上の御方の投稿文を見上げるように読み、多々教示されて過ごしたりしてきた。
私は高齢者に入門した65歳の頃、作家・渡辺淳一さんが何か随筆で、
その年にならなければ、解らないょ、
このような意味合いの言葉を学んできたので、齢を重ねるたびに気付かされて、
人生体験が豊富なご年配の投稿文を深く読ませて頂いている。
このように私は、ブログの世界でも、シニア世代の十人十色のセカンドライフを多々学び、
私が偶然に魅了されて、長らく愛読している御方には、お逢いしたことがないけれど、感謝を深めたりしている。
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定年前の6年前の頃からリストラ烈風となり、やがて私もあえなく出向となり、
何とか2004年(平成16年)の秋に定年を迎えることができたので、
敗残者のような七転八起の35年近くのサラリーマン航路を過ごした。
このように悪戦苦闘の多い中で、敗残者のような状況であったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活を始めた・・。
年金生活を始めた当初は、定年の5年前の頃から、定年後の60代の10年間だけは五体満足に生かしてくれ、
その後の70代以降の残された歳月は、余生であると漠然ながらと思ったりしてきた。
こうした思いの底には、私の父は私が小学2年3学期になると、黄疸〈おうだん〉で長らく自宅治療をしていたが、
肝臓が悪化して、42歳の若さで病死されたこともあったりした。
そして何よりも私の現役のサラリーマンの50代に同僚が病死されたり、
残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。
或いは先輩の65歳、69歳で亡くなったことであった。

こうした定年後の年金生活を始める中で、私はネットの世界に殆ど無知な癖に、ホームページの開設を思案したりしていた。
自身のこれからの日々の思い、或いは過ぎ去った時代の思いのことなどを出来うる限り随筆風の散文で綴り、
公開しょうと思案したりしていた。
しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。
ブログの世界は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれのお方が自由に私生活の出来事から、政治、外交、軍事、経済などの多岐な分野まで表現でき、
日本でも2002年(平成14年)の頃から急速に普及し、誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来している。
この少し前の時代は、それぞれの専門知識のある有識者が、雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人(シロウト)の身としては、新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
もとより掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。
こうした結果として、私は自在に私の生活のことから、政治、社会などに専門知識がない私でも、
私なりの思いを発露でき、何よりブログはホームページより手軽に開設、運営できると感じ、
ブログに加入しょうと決意した。

そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入した。
しかしながら、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり【gooブログ】を中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸11年半が過ぎて、早や12年生となったりしている。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。
私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。

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投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。
或いは4年近く前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
そして私の投稿文の最初の一行に於いては、殆ど私の住んでいる地域を明記している。
このことは私が投稿文の中で、散策、買い物したりする場合、日本のどの地域なのか、
初めて読んで下さる方に理解して頂く為である。
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私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
恥ずかしながら筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。
しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省をしたりしてきた。

このように私は自身の投稿文も大切であるが、この間、数多くの御方の投稿文を読ませて頂いたりした。
たとえば日記として綴られている場合は、その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、
圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。
そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生航路の軌跡に思い馳せながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしている。
こうして読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ哀歓を感じながら、年金生活を過ごしたりしている。
こうした数多く投稿文を読ませて頂く中、たとえたった一行の綴りでも、
瞬時に琴線(きんせん)が静かに奏(かな)で始め、やがてその御方のブログの愛読者のひとりになってきた・・。
私のブログ上で左側には『ブックマーク』があり、私が愛読している御方・・50代~90代の諸兄諸姉を
《★下記のブログサイト★ご当人様のご承諾も得ずに、掲載させて頂く・・》と明示し、
未掲載の御方も10数名いる。

ここ10数年、特に私よりご年配の投稿文を読ませて頂く中、古稀と称した70歳を迎えると、
或いは75歳の後期高齢者になると、そして80代を迎えると・・
私は年上の御方の投稿文を見上げるように読み、多々教示されて過ごしたりしてきた。
私は高齢者に入門した65歳の頃、作家・渡辺淳一さんが何か随筆で、
その年にならなければ、解らないょ、
このような意味合いの言葉を学んできたので、齢を重ねるたびに気付かされて、
人生体験が豊富なご年配の投稿文を深く読ませて頂いている。
このように私は、ブログの世界でも、シニア世代の十人十色のセカンドライフを多々学び、
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