私は1944年(昭和19年)の秋に、東京の調布市の片隅ある農家の三男坊として生を受け、
生家の近くに、分家のような形で住んでいる。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、『お墓』に関しても一代限りとなる。
そして生家である実家のお墓の近くに墓地を買い求めるのに、長らく躊躇(ためら)ってきた・・。
こうした根底には、いつの日にか、私たち夫婦が亡くなった後、
長兄の子供である甥っ子ふたりに、何かと面倒をかける、と思いであった。
私が40歳を過ぎた頃の1985年(昭和60年)の2月、
亡き小説家・立原正秋さんの作品のひとつに描かれた信州の別所温泉に、私たち夫婦は一泊二日で訪ねた。
こうした中で、あるお寺を散策していた時、お寺の隣あわせに里山を切り開いたように、
緩やかな傾斜のある広大な墓地があり、お花が数多く飾られ、お線香の煙がたなびいていた・・。
その外れに松林のゆったりした丘があり、ここに数多くの墓石が転がっていた。
人が訪ずれた形跡もなく、墓石に松葉が音もなく舞い降り、
苔に覆われた墓石が横たわっていたり、松の葉で埋もれかけた墓石もあった。
こうした無縁の墓地に、木漏れ日が地上を彩(いろど)っていた。
このような情景を偶然に視た私は、人が土に還える、とはこうした事だろう、と思い重ねたりした。
こうした思いから、通常のお墓でなく、無縁仏に近いことを考え始めた・・。
その後、10年過ぎた頃、岩手県のあるお寺で樹木葬を知り、
これだったら土に還える、と私は納得しながら、家内に言った。
『俺が先に死んだら・・花巻温泉で静養し、気が向いた時でいいから ・・・
お墓には寄ってくれればよい』
お墓といっても、里山に墓石もなく、私たちの好きな樹木のひとつがある下で、
土の中に埋葬されるだけである。
このように私たち夫婦は、お墓は樹木葬と決め、7年前の頃に伊豆大島にも樹木園ができた、
とか学んだりしてきた。
その後、幾つかばかり樹木葬ができる墓地を検討したりした。
いずれも永代使用権、永代供養料、永代管理料などを一括納入すれば、
私たち夫婦たちのどちらかが残された方は、体力の衰えた身であっても、お墓参りが出来る、と思ったりしてきた。

こうして思いばかり重ねてきたが、私は男性の平均寿命は80歳と認識しているので、
私たち夫婦は元気な今、樹木葬のできる墓地を決断しょう、と思い、
今年の5月、私たち夫婦は樹木葬の墓地(埋葬地)として、最有力地として、
伊豆大島にある『千の風 みらい園』を訪ねたりした。
そして里山の傾斜に、それぞれお気に入りの指定した場所・・永眠できる地・・
前方は海が見られ、天候に恵まれれば彼方には、伊豆半島、富士山が聳え立つ景観であった・・。
いつの日にか、この地で私たち夫婦は埋葬されて、やがて土に還ることは、私たちは望ましい、
と思い深め、やがて後日に契約をしたりした。

こうした心情を秘めた私は、ネットで愛読している『NEWS ポストセブン』を見たりしていた中で、
【 無縁墓を防ぐには「墓じまい」という方法が有効 】と見出しを見て、
どういうことなのです、と思いながら記事を精読してしまった・・。
やはり『お墓』に関しては、十人十色それぞれの御方なりに、難題もある、と教示されたりした。
この記事は『NEWS ポストセブン』で8月6日に配信され、無断であるが転載させて頂く。
《・・8月に入り、お盆シーズンが間近だ。
お盆休みを利用し、地方にある実家に帰省して、お墓参りするという人も多いだろう。
ところが、中高年を中心に頭を悩ませているのが、その「お墓」の問題だ。
都心の一極集中化に加えて、少子高齢化により、墓守をする人が少なくなり、
先祖代々のお墓が、無縁化の大ピンチを迎えているのだ。
お墓を巡る問題は、これに限らず多岐にわたる。
それらを解決するヒントとなるのが、葬儀・お墓コンサルティングの第一人者である吉川美津子氏が
このほど上梓した『お墓の大問題』(小学館新書)だ。
吉川氏にお墓に話を聞いた。
──最近、夫と同じ墓に入りたくないという妻が、増えているそうですが。
「縁もゆかりもない土地にある夫の先祖たちと同じ墓に入りたくない。
夫の家族と折り合いが悪いなど様々な理由があります。
実際に拒否することはできます。“死後離婚”という言葉があります。
これは法的に、死後離婚できるわけではないが、
配偶者の親族と縁を切りたいために『姻族関係終了届』を出す人が増えています。
これは、離婚と同様に、配偶者の血縁者と親戚関係を修了するというもの。
配偶者の父母や兄弟姉妹等の扶養義務も例外を除いて、なくなります。
ただ、厄介なのは墓の名義人が、仮に妻だった場合です。
その場合、夫の遺骨だけでなく、先祖代々の遺骨も妻が所有することになり、管理する義務も生じてしまうのです」

──子どもがお墓の承継を拒否するケースもあると聞きます。
「墓の承継は、財産の承継とは異なり、墓守という負担を背負うことになります。
子どもが都心に家庭を持っている場合、田舎のお墓の管理をするというのは、手間もお金もかかります。
離婚・再婚等で、家族関係が複雑なケースもあり、それで承継を拒否する人も増えているのですが、
悲観する必要はありません。
神仏や祖先の祀りを、祭祀といいます。
祭祀に関連する家系図や仏壇や墓地などを祭祀財産といい、
これらの相続については、金品の相続とは切り離されて考えられているからです。
祭祀財産の承継者については、民法に以下のような条文があります。
1,被相続人の指定に従って、祖先の祭祀を主宰すべき者があるときは、その者が承継する。
つまり、遺言で子どもを祭祀承継者と指定すれば、本人がどう思おうが指定されてしまうのです。
また拒否権もありません。
ところが、そこまでして子どもに負担をかけたくないという親御さんが、増えているから悩みが尽きないのです」

──ある調査によると無縁墓になると考えている家庭は、5割を超しています。
「無縁墓の問題は、今に始まったことではありません。
しかし、それが顕著になった背景には、日本の核家族化があります。
団塊の世代など現在60代後半から中盤にかけての世代は、
兄弟姉妹が多く、墓守の問題が顕在化することは少なかった。
ところが1960年代からの人口の都市集中化により、
親世代は生まれ育った場所で、死を迎える人が少なくなりました。
子世代は年に数回、故郷に行く程度でしょう。
菩提寺があった土地への帰属意識も薄れていくのも当然です。
地域を離れ、家を手放し、墓を手放すという流れは、ごく自然な流れなのです。
加えて、少子化も無縁墓増加に、拍車をかけています」
──無縁墓になるのは忍びない。何とかする方法はないのですか。
「『墓じまい』という方法があります。
といっても、単に古い墓石を撤去しておしまい、というわけにはいきません。
その墓には、先祖の遺骨が入っています。
管理ができなくなったお墓を撤去して、中の遺骨を取り出し、
新しいお墓に移すことを『墓じまい』というのです。
核家族化、単身世帯の増加、子どものいない夫婦の増加、未婚・非婚化、離婚率の上昇など、
家の永続性が保たれていない社会問題を背景に、
『墓の問題は、自分たちの代で、解決したい』という声が大きくなりました。
そのひとつが『墓じまい』なのです」
──確かに現代においては『墓じまい』は有効な方法ですね。
「ただ、簡単にすまないのが『墓じまい』の難しいところです。
まず、費用も安く人気のある公営霊園は倍率が高く、中々当選しません。
また、運良く当選したとしても、『墓じまい』をめぐって親族とトラブルになるケースも多いのです。
特に本家・分家意識の強い地域などでは、
『ご先祖様を縁もゆかりもない、ほかの場所に移動させるなんてとんでもない。
この地域に眠ることに意味があったのだ』と言い出す親戚も多く、
墓じまいがきっかけで、親族同士の仲に亀裂が入ってしまうことが本当に多いのです」
──私の知り合いでも親族同士がもめたケースがありました。
「それと寺院との関係も、複雑に絡み合ってきます。
墓じまいをするということは、多くの場合、檀家をやめることになります。
このことを離檀というのですが、お寺によっては『離檀するなら200万円を用意するように』と
“離檀料”と称するお布施を要求されたり、
『離檀料を払わないならば、改葬(お墓の引っ越し)に必要な埋葬証明は出さない』と
脅迫まがいの圧力をかけるお寺も一部にはあります」
──お墓を巡る問題は本当に厄介ですね。
「そうですね、今では一般化している散骨にしても、
自治体によっては、条例で禁止しているところもありますから注意が必要です。
それに民間霊園の場合など、指定の石材店で墓石を買わないと、
墓地を購入する権利がないというケースも多いです。
一般の人にはあまり知られていない”掟”のようなものが、たくさんあります。
まずは膨大な情報を整理して、頭に入れていくことが最も大切だと思います」・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

私の生家である実家のお墓も、過ぎし年に『墓じまい』の記憶がある。
遠い昔、1953年(昭和28年)の春、父は病死して近く墓地に埋葬され、
翌年の1954年(昭和29年)の晩春、祖父も病死された。
この当時の墓地は、近く旧家の多くが、ある旧家の雑木林の一角に、ご厚意で借地していて、
土葬であった。
やがて私が高校一年の1960年(昭和35年)だった頃と思われるが、土葬は禁止されて、火葬になった時、
この墓地は、ある旧家に返納することとなり、
たまたま長兄、次兄も小用があり、私は旧家の小父さんと共に、お墓を掘り起こして、
私の生家の先祖代々の御骨を拾い、保管した体験があった。

そして同時に、母が同じ曹洞宗である寺院にある墓地を買い求めて、
この間、金銭を含めた気苦労は、後年に私は知ることとなったが、
やはり『墓じまい』は何かと難題があった、と私は学んだりした。
今回、改めて『お墓』に関して、数多く教示されたが、
何かと大変・・と思いを寄せたりしている。
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生家の近くに、分家のような形で住んでいる。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、『お墓』に関しても一代限りとなる。
そして生家である実家のお墓の近くに墓地を買い求めるのに、長らく躊躇(ためら)ってきた・・。
こうした根底には、いつの日にか、私たち夫婦が亡くなった後、
長兄の子供である甥っ子ふたりに、何かと面倒をかける、と思いであった。

私が40歳を過ぎた頃の1985年(昭和60年)の2月、
亡き小説家・立原正秋さんの作品のひとつに描かれた信州の別所温泉に、私たち夫婦は一泊二日で訪ねた。
こうした中で、あるお寺を散策していた時、お寺の隣あわせに里山を切り開いたように、
緩やかな傾斜のある広大な墓地があり、お花が数多く飾られ、お線香の煙がたなびいていた・・。
その外れに松林のゆったりした丘があり、ここに数多くの墓石が転がっていた。
人が訪ずれた形跡もなく、墓石に松葉が音もなく舞い降り、
苔に覆われた墓石が横たわっていたり、松の葉で埋もれかけた墓石もあった。
こうした無縁の墓地に、木漏れ日が地上を彩(いろど)っていた。
このような情景を偶然に視た私は、人が土に還える、とはこうした事だろう、と思い重ねたりした。
こうした思いから、通常のお墓でなく、無縁仏に近いことを考え始めた・・。

その後、10年過ぎた頃、岩手県のあるお寺で樹木葬を知り、
これだったら土に還える、と私は納得しながら、家内に言った。
『俺が先に死んだら・・花巻温泉で静養し、気が向いた時でいいから ・・・
お墓には寄ってくれればよい』
お墓といっても、里山に墓石もなく、私たちの好きな樹木のひとつがある下で、
土の中に埋葬されるだけである。
このように私たち夫婦は、お墓は樹木葬と決め、7年前の頃に伊豆大島にも樹木園ができた、
とか学んだりしてきた。
その後、幾つかばかり樹木葬ができる墓地を検討したりした。
いずれも永代使用権、永代供養料、永代管理料などを一括納入すれば、
私たち夫婦たちのどちらかが残された方は、体力の衰えた身であっても、お墓参りが出来る、と思ったりしてきた。

こうして思いばかり重ねてきたが、私は男性の平均寿命は80歳と認識しているので、
私たち夫婦は元気な今、樹木葬のできる墓地を決断しょう、と思い、
今年の5月、私たち夫婦は樹木葬の墓地(埋葬地)として、最有力地として、
伊豆大島にある『千の風 みらい園』を訪ねたりした。
そして里山の傾斜に、それぞれお気に入りの指定した場所・・永眠できる地・・
前方は海が見られ、天候に恵まれれば彼方には、伊豆半島、富士山が聳え立つ景観であった・・。
いつの日にか、この地で私たち夫婦は埋葬されて、やがて土に還ることは、私たちは望ましい、
と思い深め、やがて後日に契約をしたりした。

こうした心情を秘めた私は、ネットで愛読している『NEWS ポストセブン』を見たりしていた中で、
【 無縁墓を防ぐには「墓じまい」という方法が有効 】と見出しを見て、
どういうことなのです、と思いながら記事を精読してしまった・・。
やはり『お墓』に関しては、十人十色それぞれの御方なりに、難題もある、と教示されたりした。
この記事は『NEWS ポストセブン』で8月6日に配信され、無断であるが転載させて頂く。
《・・8月に入り、お盆シーズンが間近だ。
お盆休みを利用し、地方にある実家に帰省して、お墓参りするという人も多いだろう。
ところが、中高年を中心に頭を悩ませているのが、その「お墓」の問題だ。
都心の一極集中化に加えて、少子高齢化により、墓守をする人が少なくなり、
先祖代々のお墓が、無縁化の大ピンチを迎えているのだ。
お墓を巡る問題は、これに限らず多岐にわたる。
それらを解決するヒントとなるのが、葬儀・お墓コンサルティングの第一人者である吉川美津子氏が
このほど上梓した『お墓の大問題』(小学館新書)だ。
吉川氏にお墓に話を聞いた。

──最近、夫と同じ墓に入りたくないという妻が、増えているそうですが。
「縁もゆかりもない土地にある夫の先祖たちと同じ墓に入りたくない。
夫の家族と折り合いが悪いなど様々な理由があります。
実際に拒否することはできます。“死後離婚”という言葉があります。
これは法的に、死後離婚できるわけではないが、
配偶者の親族と縁を切りたいために『姻族関係終了届』を出す人が増えています。
これは、離婚と同様に、配偶者の血縁者と親戚関係を修了するというもの。
配偶者の父母や兄弟姉妹等の扶養義務も例外を除いて、なくなります。
ただ、厄介なのは墓の名義人が、仮に妻だった場合です。
その場合、夫の遺骨だけでなく、先祖代々の遺骨も妻が所有することになり、管理する義務も生じてしまうのです」

──子どもがお墓の承継を拒否するケースもあると聞きます。
「墓の承継は、財産の承継とは異なり、墓守という負担を背負うことになります。
子どもが都心に家庭を持っている場合、田舎のお墓の管理をするというのは、手間もお金もかかります。
離婚・再婚等で、家族関係が複雑なケースもあり、それで承継を拒否する人も増えているのですが、
悲観する必要はありません。
神仏や祖先の祀りを、祭祀といいます。
祭祀に関連する家系図や仏壇や墓地などを祭祀財産といい、
これらの相続については、金品の相続とは切り離されて考えられているからです。
祭祀財産の承継者については、民法に以下のような条文があります。
1,被相続人の指定に従って、祖先の祭祀を主宰すべき者があるときは、その者が承継する。
つまり、遺言で子どもを祭祀承継者と指定すれば、本人がどう思おうが指定されてしまうのです。
また拒否権もありません。
ところが、そこまでして子どもに負担をかけたくないという親御さんが、増えているから悩みが尽きないのです」

──ある調査によると無縁墓になると考えている家庭は、5割を超しています。
「無縁墓の問題は、今に始まったことではありません。
しかし、それが顕著になった背景には、日本の核家族化があります。
団塊の世代など現在60代後半から中盤にかけての世代は、
兄弟姉妹が多く、墓守の問題が顕在化することは少なかった。
ところが1960年代からの人口の都市集中化により、
親世代は生まれ育った場所で、死を迎える人が少なくなりました。
子世代は年に数回、故郷に行く程度でしょう。
菩提寺があった土地への帰属意識も薄れていくのも当然です。
地域を離れ、家を手放し、墓を手放すという流れは、ごく自然な流れなのです。
加えて、少子化も無縁墓増加に、拍車をかけています」

──無縁墓になるのは忍びない。何とかする方法はないのですか。
「『墓じまい』という方法があります。
といっても、単に古い墓石を撤去しておしまい、というわけにはいきません。
その墓には、先祖の遺骨が入っています。
管理ができなくなったお墓を撤去して、中の遺骨を取り出し、
新しいお墓に移すことを『墓じまい』というのです。
核家族化、単身世帯の増加、子どものいない夫婦の増加、未婚・非婚化、離婚率の上昇など、
家の永続性が保たれていない社会問題を背景に、
『墓の問題は、自分たちの代で、解決したい』という声が大きくなりました。
そのひとつが『墓じまい』なのです」

──確かに現代においては『墓じまい』は有効な方法ですね。
「ただ、簡単にすまないのが『墓じまい』の難しいところです。
まず、費用も安く人気のある公営霊園は倍率が高く、中々当選しません。
また、運良く当選したとしても、『墓じまい』をめぐって親族とトラブルになるケースも多いのです。
特に本家・分家意識の強い地域などでは、
『ご先祖様を縁もゆかりもない、ほかの場所に移動させるなんてとんでもない。
この地域に眠ることに意味があったのだ』と言い出す親戚も多く、
墓じまいがきっかけで、親族同士の仲に亀裂が入ってしまうことが本当に多いのです」
──私の知り合いでも親族同士がもめたケースがありました。
「それと寺院との関係も、複雑に絡み合ってきます。
墓じまいをするということは、多くの場合、檀家をやめることになります。
このことを離檀というのですが、お寺によっては『離檀するなら200万円を用意するように』と
“離檀料”と称するお布施を要求されたり、
『離檀料を払わないならば、改葬(お墓の引っ越し)に必要な埋葬証明は出さない』と
脅迫まがいの圧力をかけるお寺も一部にはあります」

──お墓を巡る問題は本当に厄介ですね。
「そうですね、今では一般化している散骨にしても、
自治体によっては、条例で禁止しているところもありますから注意が必要です。
それに民間霊園の場合など、指定の石材店で墓石を買わないと、
墓地を購入する権利がないというケースも多いです。
一般の人にはあまり知られていない”掟”のようなものが、たくさんあります。
まずは膨大な情報を整理して、頭に入れていくことが最も大切だと思います」・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

私の生家である実家のお墓も、過ぎし年に『墓じまい』の記憶がある。
遠い昔、1953年(昭和28年)の春、父は病死して近く墓地に埋葬され、
翌年の1954年(昭和29年)の晩春、祖父も病死された。
この当時の墓地は、近く旧家の多くが、ある旧家の雑木林の一角に、ご厚意で借地していて、
土葬であった。
やがて私が高校一年の1960年(昭和35年)だった頃と思われるが、土葬は禁止されて、火葬になった時、
この墓地は、ある旧家に返納することとなり、
たまたま長兄、次兄も小用があり、私は旧家の小父さんと共に、お墓を掘り起こして、
私の生家の先祖代々の御骨を拾い、保管した体験があった。

そして同時に、母が同じ曹洞宗である寺院にある墓地を買い求めて、
この間、金銭を含めた気苦労は、後年に私は知ることとなったが、
やはり『墓じまい』は何かと難題があった、と私は学んだりした。
今回、改めて『お墓』に関して、数多く教示されたが、
何かと大変・・と思いを寄せたりしている。
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