樹木葬の墓地(埋葬地)を視察する旅路を一泊二日で、
訪れていた・・。
私たち夫婦は樹木葬の墓地(埋葬地)を仮予約した後、
元町港の街並みを散策した・・。
こうした中で、街通りに、扁額のような形で表現された文に、私は瞬時に深く魅了された・・。
まもなく歩くと、簡素な寺院が視え、浄土宗『潮音寺』ちょうおんじと読め、
この『潮音寺』が、掲げて下さった、と私は理解した。
私はある民間会社に奮戦している50代の時、同僚が病死されたり、
そして知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、
痛いほど理解させられたりしてきた・・。
やがて私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
多々の理由で年金生活を始め、やがて62歳の時、
現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
まもなく、知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。
こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
やがて私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
この当時は男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながら、うろたえたりした・・。
そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、
75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には、介護を必要とする御方も多くなり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、
と専門家の人から数多く発言されている。
ここ5年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、
いずれも大病で、入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、
数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、私は震撼させられたりしてきた・・。
私たち夫婦は、過ぎし2019年は私は入院を2回ばかり体験し、家内も初めて入院したりして、
退院後、ときおり私たち夫婦は、一日を大切に過ごそう、とお互いに言い交したりしている。
この後、幸運にも私たち夫婦は、再発もせずに今日を迎えている・・。
しかしながら、健康寿命、やがて逝去も余りにも格差がある、と私は思い馳せたりし、
ときおり、一日を大切に過ごそう、と79歳の私は、心の中で呟(つぶや)いたりしている。