私は東京の調布市に住む年金生活の79歳の身であるが、
世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に結婚前後の5年を除き、
74年この地域に住んでいる。
私の住む地域は、3月21日前後に染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が最初に咲き始めると、
その後に山桜(ヤマザクラ)、やがて八重桜(ヤエザクラ)が咲くのが、
平年の習わしとなっている。
過ぎし2月に白梅、やがて紅梅が咲き、3月の上旬に桃の花が咲くが、
ここ30数年、早咲きの河津桜などを2月下旬から、気まぐれに咲き始めて、
季節感が狂ってしまうょ、独り微苦笑する時もある・・。
古来より2月は梅の花が咲き、3月は桃、やがて桜の花が咲いてきたので、
『桃色(ももづき)』、『桜月(さくらづき)』、『桜見月(さくらみづき)』と称せられてきた。
寒さが長らく続いた冬の季節が過ぎた後で、暖かな春の訪(おとず)れに、
数多くの人々は共有しながら悦(よろこ)び感じて過ごす時節である。
私は桜花(さくらばな)に関しては、ここ10数年は三分咲きに心を寄せたりした後、
やがて満開の情景にも愛(めでた)りしてきた。
4月の初旬を迎えると、自宅の近くに流れる野川の桜並木の遊歩道を歩いたりすると、
満開の情景から、やがて花びらが散乱して、歩道の脇には絨毯のように花びらが重なったりする。
こうした情景を観ると、 私は立ち止まり、数多くの桜花を見たりすると大半は小枝に残っているが、
ときおり微風が吹くと、花びらが小枝から離れ、青い空の中をさまようように舞いながら、
やがて地上に落下する。
古来より、桜の散りはじめ、花びらが舞いながら散る情景を花衣(はなごろも)と称してきたことに、
思いを重ねたりした・・。
私は桜花に関しては、3分咲きに魅了されるひとりであるが、
やはり花びらが散りはじめ、空中にゆったりと舞いながら散る光景に、確かな美を感じてきた。
このような情景に私は見惚(みと)れてたりしてきたが、
遥か千年前の人たちも、私のように感じる人が多いかしら、と思わず微笑んだりしてきた。
そして私は桜花を観る時、齢ばかり重ねた身であるが、
今年も大病もせず、天上の神々の采配で生かしてもらっている、と思いが強く、
毎年、花衣(はなごろも)の情景を眺めていると、過ぎし日々に愛惜を重ねることが多い。
或いは野川の水の流れを見たりしていると、
川面は陽春の陽射しを受け、光を帯びながら清き流れとなっていた・・。
そして川辺に枯れた薄(すすき)の群生に、桜花が重なっていて、
やがて水の流れに巻き込まれ、花筏(はないかだ)のように下流に向かい、ゆっくと流れていた。
このような桜花のうつろう情景に心を寄せてきた。
こうした中で、自宅の周辺の雑木林を歩き廻ったりしていると、
このようなところに桜があったことは知らなかったよ、と教示されることもある。
そして私は山桜を見かけると、 私が若き34歳の時、
自営業をしていた次兄が、資金繰りが破綻して、突然に自宅で自裁されたので、
私はこの山桜に心を託して、山桜の咲く時になると、次兄の言葉、しぐさを思い浮かべたりし、
何かとお世話になった次兄を思い馳せたりし、早くも45年過ぎている。
こうした桜花に思いを秘めている私は、本日も自宅の付近に流れている野川の遊歩道を散策した・・。
やがて桜並木の下を歩いたが、ときおり風もなく、花びらが舞い降りたりし、
まもなく路の片隅には、吹き寄せのように桜花が散乱するだろう、と思い馳せたりした。
そして早くも川面を眺めると、数多く花びらが流れていて、古人より花筏(はないかだ)と称してきた情景に、
過ぎし日に愛惜を重ねながら、眺めたりした。
やがて再び歩きだして、ときおり見上げると、多彩な数多くの残り花に見惚れたりした。
そしてボンヤリと歩きながら、不意に『年々歳々 花相似 年々歳々 人不同・・』、
漢詩のひとつをが脳裏から舞い降りてきた・・。
もとより中国の初唐時代の詩人である劉廷芝(りゅうていし)が、
『白頭(はくとう)を悲しむ翁(おきな)に代(かわり)て」と題する詩の第4節ある。
私は東京オリンピックが開催された1964年〈昭和39年〉の頃に、
小説家・阿川弘之(あがわ・ひろゆき)さんの作品から学んだひとつの詩である。
《・・年々歳々 花相似 年々歳々 人不同・・・》
歳月は過ぎ去ってしまえば、実に早いと感じたりし、
毎年この季節は同じように、桜花が巡って、さりげなく咲いているが、
この桜花を観賞できる人は変っている・・。
もとより自然の悠久さと人間の生命のはかなさを対峙させて、人生の無常を詠歎した句であると思われ、
私はこのように解釈しながら、人生のはかなさ、哀歓を若き二十歳の時に、
この詩を学びだし、早くも59年の歳月が流れてしまった。
私は古稀と称せられる70歳を卒業して、早や79歳となり、
私は50代の後半から、私の大切な6人の友人、同世代の知人が不幸にして大病に遭遇して、
やがて逝去され、幾たびか冥福をしたりしてきた・・。
こうした中、つたない人生航路を歩んだ私は、こうして生きている・・。
たまたま本日、桜花を眺めたりすると、このような思いになってしまったりした。
やがて痛切感を振り払うように、いつものようにプラス思考に転じて、
角川春樹さんの書誌より学んだ《・・切実に豊かな人生を楽しむことが大事・・》と銘言を思い馳せて、
惰性に過ごすことなく、残こされた人生の日々を大切に過ごそう、と足早に自宅に向い歩き出した。