私は東京の調布市に住む年金生活の80歳の身であり、
この時節、世の中で働いて下さる現役サラリーマンの諸兄諸姉は、
ボーナスシーズンを迎え、多忙の中のひととき、
忘年会を会社の同じ部署の人たち、或いは同僚たち、そして友人たち、
それぞれ懇親を深め12月中旬になると思われる・・。
私は年金生活をしている今、何かしら遠い世界の出来事のように感じたりしている。
私の50代の前半の頃までは、現役サラリーマンの時代であり、私なりに奮闘し、
この12月は部内はもとより、同世代、悪友たちと、
何かと忘年会と称して懇親会を重ねてきた。
やがて50代の半(なか)ばに、リストラ烈風の中、
組織の統廃合により、人事異動が熾烈となり、
或いは早期退職優遇制度の名目で先輩、同僚、後輩たちが退職されたり、
或いは私のように出向となったりした。
そして私が定年退職するまで、年に数回は互いに連絡して、
東京に残った人たちと懇親会を重ねてきた。
やがて私の定年後になる頃は、病気で通院しているの・・、
親御の介護で・・、親が亡くなったので・・、メンバーが次第に欠落した・・。
こうした中、忘年会は2月頃に有志で集まって懇親会すれば・・、
と敬愛してきている先輩だった人から言われたりすると、
そうですよねぇ、と私は応(こた)えたりしてきた。
しかしながらこうしたことも、まもなく年に一度の会社の全般OB懇親会に変わり、
この時節の忘年会と称した懇親会は、無念ながら消滅したりした。
昨今は、多くの退職された方たちも同様と思われるが、定年退職後10年も過ぎれば、
かっての会社時代の先輩、同僚、後輩たちの交流より、
家族の団欒はもとより、親族、親戚関係の冠婚葬祭が優先となっている。
そして私は少し寂しい心情となり、15年前の65歳の頃まで、
近くに住む地元の小、中学の同級生の有志と、
最寄駅の居酒屋、食事処で逢い、懇親を深めたりした。
こうした時は、同級生の女性から、XXクン、と私は呼ばれたり、
悪友たちとは、お互いに苗字を呼び捨てにし、
この世の一番気楽なグループ、と微苦笑したりしてきた。
しかしながら私の会社時代の忘年会と同様に、
当人が病気で通院、親御の介護、そしてここ30年ぐらい共稼ぎが加速される中、
息子、娘の代わりに孫を世話している・・などで消滅してしまい、
こうした中の3人は、この世を去ったりしてしまった・・。
こうした中、 高校時代のひとりと忘年会の真似事をする為に、
毎年、居酒屋で逢ったりしてきた・・。
過ぎし1962年(昭和37年)の当時、私は高校3年生で、
私は彼の実家に50回ぐらいは泊まったり、
彼も私の実家に少なくとも20回は泊まったりし、
こうした中、お互いの家族とも懇親していた・・。
こうした間柄でも、私が20歳を誕生日を迎えた時に、
私は大学を中退して映画・文学青年の真似事に邁進する中、疎遠になったりし、
その後は彼の結婚式の披露宴に列席したぐらいとなった。
そして私はある民間会社で35年近く奮戦して、
2004年(平成16年)の秋に定年退職後になるまでは、
お互いに年賀状を交わす程度で、数年毎に電話をする程度となった。
やがて私が2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めて以来、毎年一回ぐらいはこの時節に、
お互いの住まいの中間点の『吉祥寺』の居酒屋で、懇親を重ねてきた。
私は、高校時代で知り合った心友か悪友、友人か解らないが、
『吉祥寺』の居酒屋で、お互いに好きなビールとかワインなどの酒を呑み、
食べたい料理を食べながら、お互いに包み隠せず話し合える貴重な友と談笑した。
こうした中の3年半前の頃、ご近所の84歳の知人の男性より、
どんな高名の御方でも、長生きをされれば、体力は衰え、老体となり、
やがて数多くの御方は、紙おむつのお世話になるから・・、と私は教えられて、
少し動顛させられたりした・・。
もとより介護の難題は、いつまで介護を受ける必要な期間が判らず、
やがて永がられば本人の自己負担額が増し、貯金は切り崩しても資金不足となり、
当然ながら、退所が余儀なくされて、行き場がなく迷子のような介護難民になることである。
そして認知症は、自身が正気な言動がおぼつかなくなり、自覚も出来なくなることと思い、
介護難民は、自身が正気で言動が自覚しながら、困苦し、混迷する。
できうれば、私も体力は衰えても、自助努力で心身が自覚できる時まで、
生活ができたら・・と願っているが、
こればかりは神様か仏様が采配される世界かしら、と思ったりしている。

このようなことなど、お互いの好きな単品を数多く注文し、
彼はビール、私はワインなどを呑みながら、話し合うのが、恒例となったりしているが、
お互いに健康寿命であればこそ、こうしたささやかな会合で談笑でき、
倖せのひとときを享受してきた・・。
果たして、いつの齢まで・・と空を見上げながら、微苦笑したりしてきた。

こうした中、今年も私は、 高校時代のひとりと忘年会の真似事をする為に、
連絡したが、体調を崩しているので・・、と私は電話連絡を受けて、
『来年の春頃に・・逢えたら嬉しいよねぇ・・』、
と私は言ったりして、彼の回復を祈願したりした・・。
このような結果となってしまい、今年は忘年会の真似事を消滅してしまった・・。
こうした私の状況を家内が知り、
『私でよければ、居酒屋に付き合いますわょ・・』、
と家内は微笑みながら、私に言ったりした。
過ぎし5年半前、家内が大病に遭遇する前、
私達夫婦は、共通趣味のひとつの国内旅行に幾たびも遊学してきた・・。
こうした中で、旅先の食事処で、私は日本酒、ビールなどを吞みながら、
食べたい料理を食べて、家内と談笑をしてきた・・。
このようなことを思い浮かべて、
『久々に・・私たちだけで懇親会をしょう・・』、
と私は応じて、本日の夕方より、実施することとなったりした。

こうした中、今年も私は、