夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
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沖縄・本部(もとぶ)きままな旅路の遊学記 第3章 『海洋博公園』で、ふたたび『美ら海桔梗』にめぐり逢い・・。

2018-04-13 12:48:15 | 

4月6日、曇り空で、ときおり晴れ間となる中、
私たち夫婦は予定通り『海洋博公園』に向かった・・。

私は50代に初めに、家内と共に初めて沖縄諸島の土を踏み、初めて沖縄諸島を観光で訪れた。


この50代の時は、私の勤めていた会社が勤続25年になると、有給休暇5日間を頂ける制度があり、
私たち夫婦はJALの関係の旅行会社ジャル・ストリーズを利用して、
八重山諸島の石垣島の『ホテル日航 八重山』に連泊した後、その後は沖縄本島の恩納村の『ホテル日航 サンマリーナ』、
そして首里の『ホテル日航 首里』に宿泊して、4泊5日の観光周遊旅行をした。

いずれもジャル・ストリーズが企画したコースで、宿泊したホテルから次の宿泊するホテルの間に、
それぞれの名所など周遊できる専用バスのコースがあり、利便性のあるプランを利用した。

この時に北西部観光コースで、『海洋博公園』を初めて訪れたが、
現在としては、無念ながら記憶が薄らいでいる・・。

              
                
やがて私は定年退職後、三年過ぎた2007年(平成19年)10月29日から8泊9日間で、
私たち夫婦は家内の母の《死ぬまでに一度は沖縄の《ひめゆり塔》を参拝したい》願いを叶える為に、
那覇市内にあるビジネスホテル風の『アパホテル』に連泊して、『ひめゆり塔』、『平和祈念公園』など訪れたりした。

そして中部地域の観光に利便性がある名護市の郊外にあるリゾート・ホテルを家内が選定して、
かりゆしビーチの付近のリゾート・ホテル『沖縄かりゆしビーチリゾート オーシャン スパ』に6連泊滞在して、
周辺の風光明媚な光景を遊学したりした。

こうした中、11月3日に私たち3人は、『海洋博公園』に行き、
家内たちは『美ら海水族館』やイルカを観に行くので、私は予定通り別れた。

私は日頃から中高年女性のしぐさ、言葉に魅了されることがあるが、
植物も愛するひとりとして、樹木、草花を観るので、園内の遊歩道を歩きはじめた・・。

国営沖縄記念公園の別称に相応しく、園内は小奇麗に整備がゆきとどいている。
いかにも沖縄の風土に適した樹木、草花が適度に配置されて折、私の目を楽しませてくれた。     

そして遊歩道の所々、海が目の前に観える展望台に行ったり、
或いは海岸の歩道を歩(あゆ)めば、険しい岩の崖に波が押し寄せている・・。

空は雲がわずかに浮かび、青一色で無限のような拡がり、
そして海は蒼く、果てることのないように彼方まで望み、風は爽やかに私の身体を通り過ぎていく・・。

このような光景を眺めたりしていると、
古来より沖縄の人々から、『美ら海(ちゅらうみ)』として慕われているのが、
私なりに理解ができた。 

              

植物園に戻ると、つる植物園の中で、蔦(ツタ)のように緑色の葉が生い茂っている中、
このような中に数多くの薄紫色の花が、ひっそりと咲いていた。        

私の住む都心の郊外では、見かけることのできない花であり、
あえて表現すれば、アサガオの満開の花びらのようでも思え、
色合いは桔梗(ききょう)に似ているかしら、と感じたりした。

いずれにしても、私のつたない感性であるが、
まぎれなく奥行きのあり品性がただよう、数少ない花のひとつである。

私は、この薄紫色の花を、文化の日に伴い、秘かに『美ら海桔梗(ちゅらうみ・ききょう)』と名付けた。

園内を辞する時、植物に詳しい係員の方から、
『その花は・・ベンガル・ヤハズ・カズラ・・と思いますよ・・』
と私に教えてくれた。

この旅路の中、私はこの薄紫色の花に最も魅了され、
のちの想いとしても、深く私の心に残った花である。

                 

11年ぶりに訪れた『海洋博公園』は、益々整備されて、多くの異国の人々を含めた観光客で賑わっていた・・。

              

              

やがて私たち夫婦は、誘われるように『熱帯ドリームセンター』に入館した。

              


              

この後、まもなく懐かしき『美ら海桔梗』に、私はめぐり逢え、しばらくたたずんだりした。

               


やがて私は名残惜しかったが、歩きだしたが、あとはおまけねぇ・・と思いながらも、
美麗な幾つかの花にも見惚(みと)れたりした。

               


              


              


              


              

この後は、『遠見台』と称された高さ36メートルの塔から、周辺を一望した後、
カフェ『スコール』で、私はマンゴー(トロピカル・ジュース)、家内は琉球薬草のスムージーを飲み、
小休憩とした。

この後は、園内遊覧車一日乗車券を買い求めて、広大な『海洋博公園』の園内を観て廻った後、
私にとっては懐かしいエメラルド・ビーチに向かった・・。


11年前の2007年(平成19年)11月に、私は独り
エメラルド・ビーチを散策していると、
修学旅行らしい高校生の女学生の4人は歓声をあげて、お互いに携帯電話で写真を撮ったりしていた・・。

『よかったら・・小父さん・・みんなの記念写真・・撮ってあげるよ・・』
と私は女学生のひとりに大声で言った・・。

ひとりの女学生が、もじもじと家内と同様の簡易カメラの写ルンを取り出して、
『嬉しい・・小父さん・・お願い・・』
と私に簡易カメラを手渡した。

4人の女学生は、それぞれのポーズを取りながら、右手はVサインであり、
私は微苦笑しながら、シャッターを押した・・。

『小父さん・・有難うございました・・』
と大声で2人の女学生から私は言われ、照れたりした。

その後、4人の女学生は波打ち際に歩き出して行き、微風の吹く中、スカートの裾が揺れていた。

私は南国の白い砂浜と陽射しのまぶしさ、そして海の蒼さの光景は、
乙女たちの夢のひとつ、あこがれが、目の前に拡がっていることを了解できた。


こうした情景に思いを馳せて、私は家内に言ったりしながら、
私たち夫婦はエメラルド・ビーチに向かった歩きだした。

              


              
こうした情景を眺めていると、一期一会のように、『年々歳々 花相似 年々歳々 人不同・・』、
漢詩のひとつを重ねたりしていた。

                            

            
もとより中国の初唐時代の詩人である劉廷芝(りゅうていし)が、
『白頭(はくとう)を悲しむ翁(おきな)に代(かわり)て」と題する詩の第4節ある一節である。

私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の頃に、
小説家・阿川弘之(あがわ・ひろゆき)氏の作品から学んだひとつの詩である。

《・・年々歳々 花相似 年々歳々 人不同・・・》

歳月は過ぎ去ってしまえば、実に早いと感じたりし、
毎年この季節にも同じように、美麗な海辺の彩(いろど)りを見せてくれるが、
この情景を観賞できる人は変っている・・。

もとより自然の悠久さと人間の生命のはかなさを対峙させて、人生の無常を詠歎した句であるが、
私はこのように解釈しながら、人生のはかなさ、哀歓を若き二十歳の時に、
この詩から学びだし、早くも50数年の歳月が流れてしまった。


やがて私は溜息をひとつした後、家内に『ホテルに戻ろうょ・・』と言ったりして、
出口方面に私たち夫婦は向かったりした。

              

『またん めんそーりょー』と大きく彩られた文を読み、
僕だって・・いつの日にか、元気であったなら、また訪れたいょ・・
とプラス思考に転じて、私たち夫婦はタクシーの乗り場に向かった。


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