第4章 ブセナ岬の丘に建つ『万国津梁館』
23日、滞在している『ザ・ブセナテラス』に隣接した丘に建つ『万国津梁館』に、
私は初めて、家内を誘って訪れた。
『ザ・ブセナテラス』の正面玄関より緩(ゆる)い坂道を5分ぐらい歩くと、
2000年(平成12年)7月下旬に第26回主要国首脳会議が行われた『万国津梁館』が観えた。
日本初の地方開催のサミットであり、20世紀最後のサミットでもある。
この時の、出席首脳の一覧(当時、席次順)は、下記の通りである。
- 森喜朗(議長・日本国内閣総理大臣)
- ジャック・シラク(フランス共和国大統領)
- ビル・クリントン(アメリカ合衆国大統領)
- トニー・ブレア(イギリス首相)
- ゲアハルト・シュレーダー(ドイツ連邦首相)
- ジュリアーノ・アマート(イタリア首相)
- ジャン・クレティエン(カナダ首相)
- ウラジーミル・プーチン(ロシア連邦大統領)
- ロマーノ・プローディ(欧州委員会委員長)
私がこのサミット会場に関心を抱いたのは、この決定に強く働いた当時の小渕恵三・首相の意思であった。
このことを学んだのは、新聞、雑誌からであり、何よりも佐野眞一さんの著作された『凡宰伝』であった。
過ぎし2003年に私は読み、初めて小渕恵三さんの足跡を知り、
学生時代から熱き思いで、幾たびも沖縄を訪れ、旧家に滞在し、
やがて自民党の要職となり、この後に総理大臣となり、沖縄県に対するプレゼントとして、
反対したり危惧する中で、強い意思で沖縄県でサミット会場の開催を英断したことなどを学んだりした・・。
もとよりサミット会場が沖縄県になれば、会場の建物、周辺、そして高速道路の延長、那覇空港の大整備、
宿泊ホテルなど、多大に沖縄県に国が通して、沖縄県に活性化させた貢献がある。
そして図らずも沖縄での開催を決定した小渕恵三総理大臣は、
サミット前の2000年4月に突如脳梗塞を発症して昏睡状態に陥り、
職務不能のために、内閣総辞職によって総理大臣を退任した。
その後、回復することのないまま、5月に死去したため、
沖縄サミットに出席することは、かなわなくなったことは、周知の通りである。
こうした小渕恵三総理大臣の沖縄県に対しての貢献は、
この『万国津梁館』敷地内には、2001年4月に小渕恵三、九州・沖縄メモリアル建立委員会によって建立された
小渕恵三・元総理大臣の像がある。
私は良き意味合いで小渕恵三さんが、長年沖縄に熱き思いで、
やがて沖縄サミット開催の決断を下したことは、賞賛するひとりである。
この施設は、世界中から取り寄せた建築素材に、
琉球瓦や琉球石灰岩、月桃紙など沖縄ならではの自然素材が使用されている、と私はパンフレットで学んだりした。
私たち夫婦は、片隅に建っている喫茶店風の所で、コーヒーを飲みながら、周辺を見たりした。
そして東シナ海を眺めながら、沖縄の翻弄される県民の歴史、思考を重ねたりした。
《つづく》