私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であり、
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、たったふたりだけの家庭である。
民間の音楽業界のある会社を35年近く勤めて定年退職になったのは、
2004(平成16)年の秋で、そして年金生活に入り、今日に至っている。
この時節、現役の諸兄諸姉はまもなくボーナスシーズンを迎え、
そして忘年会を会社の同じ部署の人たち、或いは同僚たち、そして友人たち、
それぞれ懇親を深め12月中旬になると思われるが、何かしら遠い世界の出来事のように感じたりしている。
私の50代の前半の頃は、サラリーマンで私なりに奮闘し、
この12月は部内はもとより、同世代、悪友たちと、何かと忘年会と称して懇親会を重ねてきた。
そして50代の半ばに、リストラが盛んとなり、
早期退職優遇制度の名目で先輩、同僚、後輩たちが退職されたり、組織の統廃合により人事異動、
そして私のように出向となったりし、烈風の社内状況となった。
定年退職するまで、年に数回は互いに連絡して、東京に残った人たちと懇親会を重ねてきた。
その後、私の定年後になる頃は、病気で通院しているの・・、親の介護で・・、親が亡くなったので・・、
メンバーが欠落したのである。
そして、この時節になると、忘年会は2月頃に有志で集まってすれば、
と敬愛してきている先輩だった人から云われたりすると、
そうですよねぇ、と私は応(こた)えたりしてきたのである。
このように私は、この時節の忘年会と称した懇親会は、無念ながら消滅したのである。
昨今は、多くの退職された方たちも同様と思われるが、かっての会社時代の先輩、同僚、後輩たちの集いより、
家族の団欒はもとより、親族、親戚関係の冠婚葬祭が優先となっている。
そして私は近くに住む地元の小、中学の同級生と、最寄駅の居酒屋、食事処で逢い、
懇親を深めたりしている。
こうした時は、同級生の女性から、XXクン、と私は呼ばれたり、
悪友たちとは、お互いに苗字を呼び捨てにし、この世の一番気楽なグループ、と微苦笑したりしている。
このような心情で昨今は過ごしている私は、
たまたま過ぎし11月26日の土曜日に高校時代のひとり悪友と逢った。
私の高校3年生の時に、私は彼の実家に50回ぐらいは泊まったり、
彼も私の実家に少なく20回は泊まったりし、もとよりお互いの家族も懇親していた。
こうした間柄でも私が20歳を過ぎた頃から、私は映画・文学青年の真似事に邁進し、疎遠になったりし、
その後は彼の結婚式の披露宴に列席したぐらいとなった。
私が定年退職後になるまでは、お互いに年賀状を交わす程度で、
数年毎に電話をする程度となった。
そして私が定年後に毎年一回ぐらいは、お互いの住まいの中間点の『吉祥寺』の居酒屋で、
懇親を復活してきた。
親友か悪友、友人か解らないが、お互いに包み隠せず話し合える貴重な友である。
過日の26日は午後の5時に逢い、お互いの好きな単品を数多く注文し、
彼はビール、私は地酒を吞みながら、話し合った。
家族のこと、そして昨今の世情を憂いた後、
昭和妻の専業主婦、或いは居候のようなことが許された良き時代だったことなどが、
たまたま話題となり、話が尽きないのである。
結果として、終電のこともあり11時過ぎに散会とした。
昨日の3日の土曜日は、家内と『調布』駅の近くのスーパー、専門店に買い物に行った。
買い物を終えたのが午後4時過ぎで、
夕食を食事処で思案し、ワインを吞みながらイタリア料理、と思ったりしたが、
何かしら居酒屋チェーンのネオンが数多く観えたのである。
そして私は家内を誘い、あるチェーンに入店し、
お互いにビールを吞みながら、お互いの好きな食べ物を注文したりした。
居酒屋に関しては、私はサラリーマン時代を含めて長年に愛用してきたので、
こうした居酒屋の変貌を明るく話したり、或いはリストラ烈風で私の出向時代の心情、
同僚たちの動向を話題となってしまった。
そして苦節の時代があったが、今こうして過ごせるのは何よりだ、
と私は微苦笑を重ねて、家内に言ったりした。
このように偶然に土曜日の二週連続に、居酒屋で忘年会のような真似事をした私は、
我が人生に於いて初めてのことであり、このようなこともあるの、
と私は人生の采配の出来事に、苦笑しながら微笑んだりしている。
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私達夫婦は子供に恵まれなかったので、たったふたりだけの家庭である。
民間の音楽業界のある会社を35年近く勤めて定年退職になったのは、
2004(平成16)年の秋で、そして年金生活に入り、今日に至っている。
この時節、現役の諸兄諸姉はまもなくボーナスシーズンを迎え、
そして忘年会を会社の同じ部署の人たち、或いは同僚たち、そして友人たち、
それぞれ懇親を深め12月中旬になると思われるが、何かしら遠い世界の出来事のように感じたりしている。
私の50代の前半の頃は、サラリーマンで私なりに奮闘し、
この12月は部内はもとより、同世代、悪友たちと、何かと忘年会と称して懇親会を重ねてきた。
そして50代の半ばに、リストラが盛んとなり、
早期退職優遇制度の名目で先輩、同僚、後輩たちが退職されたり、組織の統廃合により人事異動、
そして私のように出向となったりし、烈風の社内状況となった。
定年退職するまで、年に数回は互いに連絡して、東京に残った人たちと懇親会を重ねてきた。
その後、私の定年後になる頃は、病気で通院しているの・・、親の介護で・・、親が亡くなったので・・、
メンバーが欠落したのである。
そして、この時節になると、忘年会は2月頃に有志で集まってすれば、
と敬愛してきている先輩だった人から云われたりすると、
そうですよねぇ、と私は応(こた)えたりしてきたのである。
このように私は、この時節の忘年会と称した懇親会は、無念ながら消滅したのである。
昨今は、多くの退職された方たちも同様と思われるが、かっての会社時代の先輩、同僚、後輩たちの集いより、
家族の団欒はもとより、親族、親戚関係の冠婚葬祭が優先となっている。
そして私は近くに住む地元の小、中学の同級生と、最寄駅の居酒屋、食事処で逢い、
懇親を深めたりしている。
こうした時は、同級生の女性から、XXクン、と私は呼ばれたり、
悪友たちとは、お互いに苗字を呼び捨てにし、この世の一番気楽なグループ、と微苦笑したりしている。
このような心情で昨今は過ごしている私は、
たまたま過ぎし11月26日の土曜日に高校時代のひとり悪友と逢った。
私の高校3年生の時に、私は彼の実家に50回ぐらいは泊まったり、
彼も私の実家に少なく20回は泊まったりし、もとよりお互いの家族も懇親していた。
こうした間柄でも私が20歳を過ぎた頃から、私は映画・文学青年の真似事に邁進し、疎遠になったりし、
その後は彼の結婚式の披露宴に列席したぐらいとなった。
私が定年退職後になるまでは、お互いに年賀状を交わす程度で、
数年毎に電話をする程度となった。
そして私が定年後に毎年一回ぐらいは、お互いの住まいの中間点の『吉祥寺』の居酒屋で、
懇親を復活してきた。
親友か悪友、友人か解らないが、お互いに包み隠せず話し合える貴重な友である。
過日の26日は午後の5時に逢い、お互いの好きな単品を数多く注文し、
彼はビール、私は地酒を吞みながら、話し合った。
家族のこと、そして昨今の世情を憂いた後、
昭和妻の専業主婦、或いは居候のようなことが許された良き時代だったことなどが、
たまたま話題となり、話が尽きないのである。
結果として、終電のこともあり11時過ぎに散会とした。
昨日の3日の土曜日は、家内と『調布』駅の近くのスーパー、専門店に買い物に行った。
買い物を終えたのが午後4時過ぎで、
夕食を食事処で思案し、ワインを吞みながらイタリア料理、と思ったりしたが、
何かしら居酒屋チェーンのネオンが数多く観えたのである。
そして私は家内を誘い、あるチェーンに入店し、
お互いにビールを吞みながら、お互いの好きな食べ物を注文したりした。
居酒屋に関しては、私はサラリーマン時代を含めて長年に愛用してきたので、
こうした居酒屋の変貌を明るく話したり、或いはリストラ烈風で私の出向時代の心情、
同僚たちの動向を話題となってしまった。
そして苦節の時代があったが、今こうして過ごせるのは何よりだ、
と私は微苦笑を重ねて、家内に言ったりした。
このように偶然に土曜日の二週連続に、居酒屋で忘年会のような真似事をした私は、
我が人生に於いて初めてのことであり、このようなこともあるの、
と私は人生の采配の出来事に、苦笑しながら微笑んだりしている。
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