ロングセラーの4コマ漫画『小さな恋のものがたり』の作者・みつはしちかこ氏は現在、
亡き家族を思い出しながら、83歳のひとり暮らしを満喫中だ。
そんな彼女の日常を綴るエッセイ集には、
「ありがとう」の大切さが収録されている。
かつて「ありがとう」を言葉にできなかった照れ屋さんが、
「ありがとう上手」になれたのは、身近にいた恩人がきっかけだった。
※本稿は、みつはしちかこ氏『こんにちは!ひとり暮らし』(興陽館)の一部を抜粋・編集したものです。
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●義母の「ありがとう」とともに 気持ちのいい空気が流れてくる
いまは、もういない義母の思い出。
「ちかこさん、お茶をいれてくださいな」と、わが義母。
わたしは、めんどうくさいな、自分でいれればいいのに・・・、
と内心ちょっと、ふくれっ面をしてお茶をいれます。
すると、すぐに素直な「ありがとう」という言葉が返ってきます。
それで、わたしはたちまち、めんどうくさいなんて思ったことを後悔してしまうのです。
わが家の嫁姑が、長い間どうして仲よくやってこられたのかといえば・・・、
それは義母のこの「ありがとう」のひとことによるところが、大きいように思います。
わたしは照れ屋で、なかなか人に面と向かって、「ありがとう」とは言えません。
心で思っていても、口に出せない。
でも、やっぱり感謝の気持ちは、
言葉に出さなければ、相手には伝わらないものなのですね。
その点、うちの義母は、実にタイミングよく、さりげなく、
しかも頻繁に「ありがとう」が言える名人でした。
孫に針の糸を通してもらったとき、
字の小さい読みにくいハガキを読んでもらったとき、
わたしにスキヤキ鍋から、やわらかそうなネギを取ってもらったとき、などなど。
そういう日常の、なにげない暮らしの端々に、
即座に「ありがとう」が出てくるのです。
そうすると、言葉とともに、いつも気持ちのいい空気が流れてくるのです。
とくに、照れ屋のわたしが感心するのは、たまに義母といっしょに出かけたとき。
行き先は、病院だったり、観劇だったりするのですが、
帰ってくるとかならず、ちょっと改まった感じで、
「今日は、どうもありがとう」と言われます。
思わずこちらも居ずまいを正して、
「いいえ、こちらこそ、行き届きませんで」と応じるところなのでしょうが、
実際は「アハッ」とか「イヤー」とか、
「べつに、そんなにたいしたことじゃー」とか言って、照れてごまかしてしまいます。
●自分も「ありがとう」と口に 出すことが楽しくなってきた
でも、いい気持ちになるんですね。
「ありがとう」のひとことって、不思議な力を持っているのだなーと、つくづく思います。(略)
義母と同居した年月は、40年近くにも及びました。
毎日、義母のさりげない「ありがとう」を聞きつづけて、
いいものだなーと思ってきました。
そのおかげか、わたしもいつの間にか、偉そうにもならず、卑屈にもならず、
素直に「ありがとう」が言えるようになったように思います。(略)
注)記事の原文に、あえて改行など多くした。
《 ・・「たった5文字」で心が温かくなる魔法の言葉・・ 》、
80歳の私は学んだりして、やがて微笑み返しをしてしまった・・。
多々の理由で年金生活を始めたりした・・。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、2人だけで第二人生の歳月を過ごすので、
結果としては定年後の長い人生は、お互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると思い、定年後に年金生活を始めたりした・・。
そして定年前のサラリーマン時代の私は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。
そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と確信し、
平素の買物専任者を自主宣言したりした。
こうした中で、午前中は我が家の買い物をしたり、
自宅の周辺にある遊歩道、公園などを散策したり、
本屋、ときには古本屋に寄ったりしている。
この間、昼食だけは、お互いに制約することなく、自由な時間で、
お互いに殆ど我が家で、きままに食べたりしている。
そして午後から夜の大半は、
私は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
或いは音楽も聴いたりしている。
こうした中で、家内は料理、掃除、洗濯などを従来通りしてくれるので、
せめて家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、
日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。
こうした時、家内より『ありがとう』と私は言われて、
『どういたしまして・・』と私は、家内に言ったりしている。
こうしたように、私たち夫婦は、お互いに感謝を感じた時、
そして人だれしも長所、短所はあるが、
私は短所の方が多いので、家内の短所には目をつぶり、長所を伸ばそうと心がけてきた・・。
家内は料理、洗濯、掃除などを積極果敢にする専業主婦の優等生であるが、
血液型A型となっている。
そして我が家では一年に数回、私はB型、家内はA型の為か、
ボタンの掛け違いのように差異が発生し、険悪になることもある。
やがて私は、映画、文學、音楽に関しての粗雑なコメント以外は、
私たちの人生に大勢に影響がないと判断して、
いつまでも心のわだかまりを残すことは、夫婦としてよくないと思い、
15分以内に妥協してしまう・・。
『ボクが悪かった・・XXちゃんのおしゃる通りです!!』
と家内の前で、私は床に伏して詫びたりする時もある。
このように我が家は家内安全となり、離婚などは無縁である、
と私は微苦笑したりしている。
こうした中、私たち夫婦の年金生活を、ご近所の方の奥様たちが見かけて、
あなたたちは仲良し恋しねぇ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。
しかしながら日常生活の実情は、私は家内のことを、
婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と呼んでいるが
家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。
やがて2004年(平成16年)の秋、年金生活を始めてまもない頃、
私は家内から依頼された買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ・・』と家内は笑いながら、私に言ったりした。
この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、『ボケチィンねぇ・・』とか、
ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』と家内は微苦笑しながら、
私に言ったりしている。
私たち夫婦は、私の生家の
年にわずか4回ばかりであるが、私たち夫婦はお墓参りをしている。
私の実家となっている長兄宅に行き、
仏壇に安置されている位牌にお線香を捧げた後、
長兄夫婦と他愛ない話をした後、お墓参りに行っているのが、恒例のようになっている。
こうした中、私たちは私を育ててくれた祖父、父、母、次兄などが
永眠しているお墓の墓石を水で清め、
駅前で買い求めた生前の母が好きだったお花を奉(ささげ)後、お線香を奉げた。
お線香の紫煙が立ち昇る中、祖先はもとより、祖父、父、母、次兄などから、
改めて私は見守られて日々を過ごしている、
と私は感謝をしながら、手を合わしたりした。
こうした思いを重ねたりした後、毎年ながら母のおもかげがよぎっていった。
私の場合は、父が私の小学校の2年の時に病死され、
その1年を過ぎた後、まもなく祖父も死去されたので、何かと母の存在が多かった。
こうした確かな記憶の片隅から、ときたま生前の母のちょっとしたしぐさ、
表情、言葉づかいが想いだされる・・。
そして生前の母と家内は、お互いにある程度の遠慮があった上、
何かと心身の波長が合っていたらしく、私は家内、母に秘かに、
今でも感謝している。