夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
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昨年の沖縄本島の北谷(ちゃたん)滞在、遊学記 第4章 幾たびか路線バスで名所を訪ねれば・・。

2018-04-11 15:22:15 | 旅のあれこれ

私たち夫婦は、宿泊滞在している『ザ・ビーチタワー沖縄』の隣接した『アメリカンビレッジ』、
或いは白い砂浜が美しい安良波(アラハ)ビーチ、そして海外沿いの遊歩道を散策してきたが、
5日目の1月16日には、路線バスを活用して嘉手納飛行場が少し見られる道の駅『かでな』を訪ねることとした。

私は定年後に自動車免許証明書の更新を断念した身であり、もとよりレンタカーも乗れず、
旅先でもタクシー、観光バスは出来るだけ避けてきた。

そして遠方の場合は路線バスを利用してきた・・。

こうした中で、佐渡島、長崎、石垣島などで路線バスに乗車すれば、その地域にお住まいの会話、
ときには私は談笑したり、車窓から見える情景・・
その地域の住民の生活が少し界間視られることを私は幾たびか体験をしてきた。


そしてホテルから10分ぐらい歩いた『桑江』バス停から路線バスに乗り、
やがて『嘉手納』バス停で下車した後は、20分ばかり歩いて道の駅『かでな』に到着した。

まもなく4階の『展望場&スカイラウンジ』からは、広大なアメリカ基地の『嘉手納飛行場』が観えたりした。



翌日の17日には、リゾートホテルが点在する恩納村の万座毛(まんざもう)をめざして、
路線バスに乗車して、やがて『恩納村役場前』バス停で下車して、15分足らず歩くと、
東シナ海に面した海岸の絶壁に、象の鼻の形の岩が付いている景勝地の万座毛に到着した。
              

平日の11時少し前であったが、観光客が多く見られて、やはり人気ある景勝地である。
万座毛の由来は琉球王朝の尚敬王が、「一万人が座れる広い原っぱ」と評した、
と伝えられている。

やがて私は遥か彼方の東シナ海を眺めたりした。
              

まもなく私たち夫婦は帰路する為に歩き出すと、確か全日空が約40年前の頃、
沖縄本島の万座毛にリゾートホテルを開業されて、本島のリゾートホテルのさきがけとなった、
と私はおぼろげながら記憶している。
              

この後、私たちは『恩納村役場前』バス停をめざして歩いている時、
道端に健気(けなげ)に咲いている花に私は見惚れたりした。
              

翌日の18日には、旧コザ街(現在・沖縄市)を私たち夫婦は訪れた。
前夜、家内は観光パンフレットで、《・・沖縄文化とアメリカ文化がチャンプルー(混ぜこぜ)された異国情緒ただよう沖縄市・・》、
見て行って観たい、と私に言ったりした。

私は沖縄が日本に復帰する前、アメリカ施政権下の時、1970年(昭和45年)12月にコザ暴動が発生し、
アメリカ軍人、沖縄住人にとっても、お互いに暗い不幸な事件であることを、
当時25歳の私はニュースで学んだりしてきた。

こうした意味合いから、私はこうした古傷をもう一度剥がすような処には訪れたくない街であった。

しかしながら家内の要望を私は聞きいれて、18日ホテルから近く『美浜アメリカンビレッジ南口』バス停より
路線バスに乗車して、『コザ』をめざした。

緩い丘陵には住宅街にある道をバスは通り抜けて、まもなく『コザ』バス停で下車し、
街の中心街と判ったが、小雨が降りだして、やがて本降りとなった。

私たちは北に一キロぐらい、そして西に一キロぐらい彷徨(さまよ)うようにあてどもなく歩いたが、
私は纏(まとわ)りつかない思いとなり、家内にアメリカンビレッジに戻り昼食を・・と私は言ったりした。

やがてアメリカンビレッジに向かう路線バスに乗車している中、雨は止み、
雲間から陽射しが差し込み、やはり『コザ』は私にとっては苦手な街だったかしら、と私は微苦笑したりした。
             

19日、私の要望で那覇市の中心街から少し外れた県立・博物館に、家内を誘って訪れた。
滞在しているホテルの最寄『軍病院前』バス停から路線バスに乗り、
45分ぐらいで『県立博物館美術館』バス停で下車した。
             

私は恥ずかしながら美術に関しては、小学生の『図画』は通信簿『2』の劣等生であり、
素養も知識もなく、未だに苦手な分野である。

しかしながら歴史、文化だけは、長らく好奇心旺盛であるので、博物館だけ視察する思いで、訪れた。

そして視察する前、早目の昼食と思いながら、館内の食事処『茶花』に家内を誘った。
まもなく入って、私は壁面、テーブル、椅子に瞬時に魅了されて、私にとっては異例であるが、写真を撮らせて頂いた。
             

やがて博物館の展示には、沖縄の自然として沖縄の地勢が形成されるまで具体的に明示されていた。

歴史・文化分野は、先史時代の土器出現以前の後期旧石器時代、その後の土器出現後の貝塚時代(縄文時代 - 平安時代)、
やがて12世紀頃に本格的な農耕社会が成立し、島津氏の侵攻(1609年)までを「古琉球」時代が展示されていた。

こうした中で、中世のグスク時代、三山時代のそれぞれの興亡史、そして第一尚氏王統、第二尚氏王統など、
私は興味があふれて改めて学んだりした。

その後の王国の再建、近代、第二次世界大戦、敗戦後のアメリカの統治による琉球政府時代、
やがて日本に復帰、そして現代・・私は二十歳以来思い秘めてきたことが凝縮されて展示され、
改めて多々学んだりした・・。

そして重く心が疲れたので、屋外の展示場に私は出た。
             

こうした中、民家も見られた。
   

私は幾たびも沖縄本島、石垣島などで拝見してきたが、屋根を見て驚いた。
             

このようなことがあったの・・と遅ればせながら学んだりした。

この後、家内との待ち合わせ場所に向かう途中、教師3名に引率された小学6年生の男女50名に出会った。
そして私は足を止めて、学童の学習見学の一環と知った。

こうした沖縄の歴史、文化を学ぶことこそ、学童の自己形成には肝要だ、と私は強く願いながら、
この教師、そして学校の方針に私は賛意を重ねたりした。

今回、初めて県立博物館を訪れたが、多彩な展示に、私は知的好奇心の刺激が強く、
私を若替えさせられる何よりの心のビタミン剤と思ったりした・・。

《つづく》


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