夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

10年ひと昔、78歳の私は、こっそりと自身のブログの投稿文を読み返しして

2023-04-11 10:28:47 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中、まばゆい
朝の陽射しを受ける中、配達された読売新聞を読んだり、
NHKのテレビ・ニュースを視聴したりしていた。

やがてぼんやりと、10年前の頃はどのような思いで過ごしていたのだろうか、
と思い馳せたりした・・。

                        


たまたま私は年金生活を始めて、まもなく偶然にブログの世界を知り、

結果としては、パソコンの故障、国内旅行、入院などしない限り、
原則として、日に一通は投稿してきた。

                              
そして年金生活を過ごしている中、日々に感じたこと、思考したことなどが
心の叫び、思いがあふれ、
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
                                                 
私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。
       
このようなことから、10年ひと昔・・自身のブログの投稿文を、
こっそりと読み返しした・・。

今回、読み返しした投稿文は、
『 ボケてきたと68歳の私は、42年間で初めての失態に、苦笑して・・。』、
と題して、2013年4月12日に投稿していた。



《・・私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、

民間会社の中小業に35年近く勤めて2004年〈平成16〉年の秋に定年退職となり、
何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった半生だったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活をしている。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
古惚けた築後35年の一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

         
こうした中で、年金生活を始めて数か月を過ぎると、現役サラリーマン時代の緊張感も無(な)くなり、
ここ数年は体力の衰えも実感している。

          

一昨日の10日の朝、私は新聞を読みながら、月刊総合雑誌の『文藝春秋』、

そして『中央公論』の最新号の出版広告を見たりした。
『文藝春秋』は長らく購読してきたので当然ながら買い求めるのであるが、
『中央公論』に関しては、特集に魅了された時だけ購読するのが、ここ40年の習性となっている。

今回の『中央公論』5月号に於いては、
私が敬愛している山崎正和(やまざき・まさかず)氏が
『一億総中道化時代の到来』と題された寄稿文が掲載されていたので、
一億総中流化時代が過ぎた後、デフレ経済が余りにも長く続く中、政治は混迷、経済は低迷、社会は劣化し、
何とか政治は総中道化時代を迎えたのかしら、と私は心の中で呟(つぶや)いたりした。

しかしながら10日の日中は、家内の支援も受けて小庭の手入れもあり、
私の住む世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域は、
最寄りのコンビニ、スーパーには『文藝春秋』はあるが、無念ながら『中央公論』はなく、
明日の11日に徒歩20分ばかりの駅前の本屋で買い求めよう、と決意したりした。

               

私は小庭の手入れで奮闘したので、腰、足は疲れていたが、迎え運動も兼ねて、
元気よく11日の午前中のひととき、平素の買い物専任者の私は最寄りのスーパーで責務を終えた後、
駅前の本屋に向った。

そして本屋の雑誌コーナーの表面に月刊総合雑誌の『文藝春秋』が山積みを視たりして、
この奥にある文芸雑誌棚で、読みたかった『中央公論』5月号を確認した後、
すぐ横にあった『文藝春秋』を手に取った。


この二冊を店内で持ち歩き、単行本のコーナーに行き、
オリバー・ストーン&ピーター・カズニックの著作『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史 1』
(早川書房)の日本訳を探したが、結果として店頭在庫はなく、注文取り寄せの手続きをした。

この本は、10日の深夜 NHK-BS1に於いて、
ストーン監督によるテレビ・ドキュメンタリー(第一回目)を私は視聴して、
圧倒的に感銘させられ、本が出版されていると遅ればせながら学んだので購読したい、と思っていたのである。

               

私の脳裏はこの本と山崎正和氏の『一億総中道化時代の到来』を想像することで夢中で、

小さな脳みその私として満杯となっていた。


帰宅後、私は早速『中央公論』5月号を開き、
特集の『保守とリベラル』のひとつの山崎正和氏の『一億総中道化時代の到来』に教示された後、
残りの著名人の寄稿文を読んだりした。

               

夕方になると、買い求めてきた『文藝春秋』を開いた・・。

そして目次のページを見ると、なぜかしら読んだ記憶があるので、初めて表紙をじっくりと眺めると、
前月の4月号と気付いたのである。
どうしてなのょ、と動顚しながら思った。

私は東京オリンピックが開催された1964〈昭和45〉年に大学を中退し、
映画・文學青年の真似事をしたが、はかなくも敗退し、
1970〈昭和45〉年の春に、この当時、ある大手の企業に何とか中途入社した。

しかしながら社会人として、私は何かと一般常識が欠けていると思い、
せめて月刊総合雑誌の『文藝春秋』ぐらいは読んだ方が我が身の為と確信を深め、
これ以来、本屋で買い求めて読んできたので、42年間の愛読者のひとりとなっている。


私は図らずも読んできた前月号を買い求めたので、とりあえず洗面所に行き、顔を洗ったりした。

そしてこの本屋さんは、親切心に前月の4月号も本棚の前に平積みに置いてあったので、
私は『中央公論』5月号に注視し、横にあった『文藝春秋』の月号も確認せず、
何気なしに手に取り、この二冊を買い求めた、と気付いたのである。

この後、私は本屋に電話して、最新号の5月号と交換して欲しいと丁重にお詫びし、
交換して頂くことになった。

               

そして私は、前月号の『文藝春秋』を間違えて買い求めて、42年間で初めての失態に、

恥ずかしながらボケてきた、と苦笑したりした。


そして本日の午前中のひととき、駅前の本屋に行き、『文藝春秋』を最新号に交換して頂き、
注文取り寄せした本のオリバー・ストーン&ピーター・カズニックの著作『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史 1』
(早川書房)も到着直後だったので、買い求めたりした。

私は帰宅する途中で、何事も一に確認、二に確認、
今後の私のボケ対策の必須事項だ、と思ったりしながら歩いたりした。・・》



このような投稿文を私は読み返しして、
10年前・・あのようなことがあったんだ・・とあの当時の頃を思い出されたりした。

そして敬愛している山崎正和さんは、無念ながら 2020年(令和2年)の夏に、
ご逝去されたりし、遺(のこ)された数多くの書物を、
私は今でも、ときおり開き、多々教示されたりしている。

或いはオリバー・ストーン&ピーター・カズニックの著作『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』、
あの当時、私なりのアメリカの歴史、この3冊構成を含めて、思案させられたりした。

私は10年前より、足の膝(ひざ)を痛めて、畳の上で正座が出来なくなったり、
物忘れも時折あり・・確かに昔の人から伝えられる《・・十年一昔・・》、
確かに・・と微苦笑したりしている。

そしてブログの投稿文をほぼ毎日投稿すれば、
あの年の月日の心情が投稿文と共に蘇(よみがえ)ってくる・・、
とブログの効力に苦笑したりしている。


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