夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

早くも我が家は、今年最後の樹木の剪定(せんてい)作業、ときには高齢者の私でも奮戦・・。

2011-12-08 07:01:46 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
我家は原則として、庭の手入れは私の責務の範疇であるが、
年に数回ぐらい家内の支援がある。

昨夜、今年最後の樹の枝切りをしょう、と私達夫婦は話し合った。
こうした時は、この時節は朝の9時過ぎに私は庭に下り立ち、
玄関庭の外れにある花梨(カリン)の大きく黄色に色づき、香りある実を採ったりした後、
家内の支援を受けたりする。

私はいつものように剪定鋏(ハサミ)を腰の周りに備え、
剪定用の鋸(のこぎり)を持ちながら、樹木に登ったり、適度な台に乗り、枝葉を切り落とし、
この間の家内は、付近の樹木を高枝鋏(たかえだばさみ)で枝葉を切り落としたりする。

私は樹木の枝葉を切り落としたりしていると、ときおり地上から、
『その枝の下の方から、切り落として・・』
と家内の指示の声がするのである・・。

その後、主庭のモミジ、白梅を中心に剪定し、昼食抜き互いに奮闘し、
枝葉を整理した後、落ち葉を掃き清めたら、夕暮れとなる。

そして風呂を沸いた頃、家内に先に入ってもらい、
私は庭の片隅で簡易椅子に座り、煎茶を飲みながら煙草を喫ったりする。

我が家の敷地か変則なので、やむなく玄関庭と主庭に分ける結果となり、
落葉樹を中核としたささやかな庭であるが、
季節ごとに情景の移ろい、30数年眺めてきたのであるが、
それなりにその年ごとの思いでも重なり、昨今は愛惜を深めている。

その後、私はぼんやりと眺めて、大幅に短めになったそれぞれの樹に、
微笑を浮かべたりすることが多い。

そして家内がら、風呂上りの合図を受けて、
私は風呂に入るのが、この時節の庭の手入れが恒例となっている。

こうして今年最後の樹木の剪定作業を終えたら、
あとは年末近くに、私は落ち葉を掃き清めたら、歳末を迎えている。


こうして綴っているが、夕方から小雨が予測されているので、
果たして平年通り済むかしら、と庭の樹木を眺めたりしている。


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