夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

そして天成の歌人に遅ればせながら学び・・。

2009-08-20 17:18:19 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
今朝、このサイトに一通ばかり投稿文を綴った後、ぼんやりとしていた。

ここ一週間は朝夕は過ごしやすいが、昼前後は30度を越す残暑厳しい日が続き、
私の担当である買物を終えると、帰宅後、洗面し、着替えた後は、
暑さに苦手な私は、居間でクーラーの冷風に身を寄せたり、
居間のはずれに簡易ベットに横たわり、本を読んだりしていることが多い。

今朝の10時過ぎに家内が、
『昼過ぎ30数度の暑さになるから・・たまには買物・・おやめになったら・・』
と私に云ったので、私はクーラーの冷風の誘惑に負けてしまい、
パソコンのハードディスクの整備を行うこととした。

バックアップをした後、システムファイルのCデイスクの不要と思われるファイルを削除し、
ディスクの圧縮のデフラグをしたりした。

この後、ぼんやりとここ数年の夏の投稿文を読み返し、
このような投稿もしていたのか、と微苦笑したのである。


【 天成の歌人に魅了された頃・・♪ 】と題して、
一昨年の2007年8月31日に投稿していたが、あえて再掲載をする。

【・・
私は短歌を詠(よ)む力はないけれど、人が詠まれた歌を読むのは好きである。

私が定年退職後の3年生の身であるが、
私なりのつたない自己形成で最も影響を受けた中で、
歌に関しては、ひとつの歌が頂点を極めている・・。


   春は花 夏ほととぎす 秋は月
          冬雪さえて 冷しかりけり

                       道元禅師

この歌に初めて接したのは、東京オリンピックの頃であり、
私は大学を中退した二十歳であった。

日本古来の自然の四季のうつろいを歌っている。
この世を的確に達観し、凝縮(ぎょうしゅく)された表現は、
散文を書く後世の人にとっては、余りにも大変、と感じたのである。


歳月は流れ、昭和56年にある書物に於いて、
岡山県にある洞松寺の住職の赤松月船の解説の導きがあったりしたが、
私なりに理解できたと錯覚していた。

しかし、私なりに無心な心境で受け止めるには、長い歳月が必要であり、
年を重ねた今でも、まだ生臭い自分がいることに気付かされるのである。

私にとっては、人生の命題かしら、と深く思ったりして、
つたなく日常を過ごしている。

・・】

このように投稿していたのであり、苦笑した後、
本棚に行き、一冊の本を探したのである・・。

結果として、私は数年前に買い求めた松本章男・著の『道元の和歌』(中公新書)を再読したのである。
一時間ばかりソファの椅子に腰を下ろし、読んでいたのである。
その後は、居間のはずれに簡易ベットに横たわり、本を読んだりしていたのであるが、
わずか30分過ぎると寝付いてしまったのである。

午後3時過ぎに目覚めると、
夏の疲れか、背伸びし過ぎた書物かは定かでないが、苦笑したりした。

齢を重ね体力も衰えた私は、このようなふしだらな日中を過ごすこともある。



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