私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
こうした中で、
こうした中、齢を重ねるたびに、体力の衰えを実感させられ、
物忘れも時折あり、やむなく独り微苦笑したりしている。
こうした中で、
或いは家内と共通趣味の国内旅行を幾たびも重ねる中、
その地の情景に圧倒的に魅せられて、撮ったりしてきた。
そして恥ずかしながら私は、忘れ去ることもあり、
やむなく記憶のかたみ、として撮り続けてきた・・。
物忘れも時折あり、やむなく独り微苦笑したりしている。
私は小学4年生の頃から、独りで映画館に通ったりした映画少年で、
高校の時に遅ればせながら読書の魅力に取りつかれたりしたが、
脚本家の橋本 忍さんの『切腹』(監督・小林正樹、1962年)を観て、圧倒的に感銘させられ、
映画の脚本家になりたくて、
そして専門の養成所に学び、この養成所から斡旋して下さるアルバイトをしたりして、
映画青年の真似事をし、シナリオの習作をした。
その後、養成所の講師の知人のアドバイスで、小説に転じ、
文學青年の真似事をして、契約社員などをしながら、小説の習作をしたりした。
純文学の新人賞に投稿していたが、3回ばかり最終候補6作品の寸前で敗退し、
落胆していた時、親戚の叔父さんから、
今は良いが、30歳を過ぎた時、妻子を養って家庭を持てるの、
と私は諭(さと)されて、
確固たる根拠もなく独創性があると自信ばかり強い私は、あえなく挫折した。
そして、やむなくサラリーマンに転職しょうと、軌道修正をした。
やがてコンピュータの専門学校に一年ばかり学び、これを梃子(てこ)にした上、
この当時は大企業のある音響・映像メーカーに、何とか中途入社できたのは、
1970年
この後、まもなくしてこの会社の音楽事業本部の中のひとつが、
外資系のレコード会社として新設されて、
私もこの新たに創業された外資系のレコード会社転籍させられたりした。
やがて35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。
こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。
年金生活の午後からの大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
こうした根底には、やはり
映画青年の真似事、そして文学青年の真似事をして、
この間に、年金生活を始めて間もない時に、
ブログの世界を知り、パソコンの故障、国内旅行、入院などで自宅不在でない限り、
原則として一通は投稿している。
ブログの大半は、年金生活を過ごしている今、
日々に感じたこと、思考したことなどの心の叫び、思いなど、
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
こうした日常生活を過ごし、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
そして何とか80歳を迎える頃まで、
ボケないで過ごせるかしら、と空を見上げたりしている。