先ほど、たまたま読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていたら、
《“マダガラ女子”》と確かに見えていたので、
“マダガラ女子”って、どのような女性なの、と私は思ったりした。
私は高齢者の3年生であるが、何事も好奇心を失くしたらこの世は終わりだ、
と信念のある身なので、このサイトを巡り、【ネット】のコーナーのニュースのひとつに掲載されていた、
http://www.yomiuri.co.jp/net/news/mobile/20120925-OYT8T00718.htm
☆【YOMIURI ONLINE】
<==【ネット】<== 《 “マダガラ女子”のスマホデビュー、「iPhoneで」が1位 》☆
私は読み始めて、《まだガラケー(従来型携帯)を使っている女性を称して“マダガラ女子”》
と理解できたが、読んでいる中で、
世の中の時流に程ほどに身をゆだねて過ごしている麗(うるわ)しき女性は、
大変な時代を迎えている、と微苦笑させられたのである。
私は恥ずかしながら、携帯電話を覚えることなく、2004〈平成16〉年の秋に定年退職時を迎え、
サラリーマンを卒業してしまったので、もとよりスマートフォンも使えない私は、
この地球上に豪雨のように降りそぞぐ情報の洪水に、
どこまで進んだら人々は気が済むの、と昨今は微苦笑したりしているひとりである。
そして携帯電話、スマートフォンも使えない私は、インターネット情報に関しては、
せめてと思いながら、自宅のディスクトップ型で日々ネットで検索したり、
ブロクの投稿文を綴ったりしている。
しかしながら、銀河系のように果てしなく溢(あふ)れる情報の選択に、
ときには戸惑うこともあり、齢ばかり重ねた私は、パソコンからの情報で充分である、と思ったりしている。
ここ一年半前の頃から、駅前の広場などで、働いて下さる諸兄諸姉が、
前かがみで何かを見ながら歩くことが多くなってきた。
私は驚きながら周辺を見渡すと、10人ぐらいの方が前かがみで何かを見ながら歩いていたので、
まるで江戸時代末期に農民の児として育った二宮金次郎のような方が増えた、
と私は苦笑したりした・・。
もとより二宮金次郎は、貧困の少年時代を過ごし奮闘しながら朝から晩まで働き、
この間に薪(まき)を背負っての道中に本を読んで勉学に励んだ人で、
私が学んだ小学校の校庭の片隅に銅像があった。
私は注視しながら見ていると、何かしら携帯電話のような物に覗き込むように見ている人が多く、
無念ながら携帯電話も使えず、世の中の時流から取り残されている私でも、
何かと話題となっている高性能携帯電話と称されているスマートフォンだ、と解った。
この後日、私は久々に電車に乗ろうと改札口に入り、
地下にあるプラットフォームに通じるエレベータ乗った時、
隣にいる若き20代の女性が、このスマートフォンを忙しそうに画面を変えていた。
そしてエレベータの降り口から平坦となったプラットフォームを歩いていても、
スマートフォンの画面から目を離さないので、人の多い所で危ないなぁ、
と私は危惧したりした。
その後、やはりこの女性は40代ぐらいの男性にぶつかり、目礼しながら謝ったりしていた。
私は身体の衰えた高齢者、或いは構内のベンチとかに、ぶつかったり、
最悪の場合は電車が入線してきたら、と私の方がハラハラしてしまうのである。
麗(うるわ)しき女性の魅力のひとつとして、歩く時は颯爽と歩くのは何よりも素敵であるので、
せめて歩く時ぐらいはスマートフォンの画面から目を離して欲しい、
と私は秘かに念願している。
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《“マダガラ女子”》と確かに見えていたので、
“マダガラ女子”って、どのような女性なの、と私は思ったりした。
私は高齢者の3年生であるが、何事も好奇心を失くしたらこの世は終わりだ、
と信念のある身なので、このサイトを巡り、【ネット】のコーナーのニュースのひとつに掲載されていた、
http://www.yomiuri.co.jp/net/news/mobile/20120925-OYT8T00718.htm
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私は読み始めて、《まだガラケー(従来型携帯)を使っている女性を称して“マダガラ女子”》
と理解できたが、読んでいる中で、
世の中の時流に程ほどに身をゆだねて過ごしている麗(うるわ)しき女性は、
大変な時代を迎えている、と微苦笑させられたのである。
私は恥ずかしながら、携帯電話を覚えることなく、2004〈平成16〉年の秋に定年退職時を迎え、
サラリーマンを卒業してしまったので、もとよりスマートフォンも使えない私は、
この地球上に豪雨のように降りそぞぐ情報の洪水に、
どこまで進んだら人々は気が済むの、と昨今は微苦笑したりしているひとりである。
そして携帯電話、スマートフォンも使えない私は、インターネット情報に関しては、
せめてと思いながら、自宅のディスクトップ型で日々ネットで検索したり、
ブロクの投稿文を綴ったりしている。
しかしながら、銀河系のように果てしなく溢(あふ)れる情報の選択に、
ときには戸惑うこともあり、齢ばかり重ねた私は、パソコンからの情報で充分である、と思ったりしている。
ここ一年半前の頃から、駅前の広場などで、働いて下さる諸兄諸姉が、
前かがみで何かを見ながら歩くことが多くなってきた。
私は驚きながら周辺を見渡すと、10人ぐらいの方が前かがみで何かを見ながら歩いていたので、
まるで江戸時代末期に農民の児として育った二宮金次郎のような方が増えた、
と私は苦笑したりした・・。
もとより二宮金次郎は、貧困の少年時代を過ごし奮闘しながら朝から晩まで働き、
この間に薪(まき)を背負っての道中に本を読んで勉学に励んだ人で、
私が学んだ小学校の校庭の片隅に銅像があった。
私は注視しながら見ていると、何かしら携帯電話のような物に覗き込むように見ている人が多く、
無念ながら携帯電話も使えず、世の中の時流から取り残されている私でも、
何かと話題となっている高性能携帯電話と称されているスマートフォンだ、と解った。
この後日、私は久々に電車に乗ろうと改札口に入り、
地下にあるプラットフォームに通じるエレベータ乗った時、
隣にいる若き20代の女性が、このスマートフォンを忙しそうに画面を変えていた。
そしてエレベータの降り口から平坦となったプラットフォームを歩いていても、
スマートフォンの画面から目を離さないので、人の多い所で危ないなぁ、
と私は危惧したりした。
その後、やはりこの女性は40代ぐらいの男性にぶつかり、目礼しながら謝ったりしていた。
私は身体の衰えた高齢者、或いは構内のベンチとかに、ぶつかったり、
最悪の場合は電車が入線してきたら、と私の方がハラハラしてしまうのである。
麗(うるわ)しき女性の魅力のひとつとして、歩く時は颯爽と歩くのは何よりも素敵であるので、
せめて歩く時ぐらいはスマートフォンの画面から目を離して欲しい、
と私は秘かに念願している。
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中国との問題に適切に記述されてるのに 関心しました
4年前に東京からすこし北に 移住して野菜を育てて
ます、
初めまして・・。
>中国との問題に適切に記述されてるのに 関心しました
私は中西輝政・著『迫りくる日中冷戦の時代』を読了後、
多くの日本の方に読んで頂きたく、
あえて私は投稿文を認(したた)めた次第です。
私は中西輝政氏の御著書の本を読んだりしていまして、
氏の愛読者のひとりでもあります。
そして今回の本書を読み、喚起させられて、
これまでの私のつたない日中間の思いを含めて綴りましたので、
もとより書評にはかけ離れていますが、
こうして貴兄よりコメントを頂けたことは嬉しい限りです。
今後ともよろしくお願い致します。