夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

何故、敗戦記念日でなく終戦記念日なのか?!

2005-03-19 13:50:05 | 時事【社会】
太平洋戦争について、敗れたのに関わらす、何故『終戦』というのか、理解出来ない。
著名人のエッセイに於いても、『終戦』が圧倒的に多く、『敗戦』という言葉が少ない。

昭和20年8月14日、日本政府は『ポツダム宣言』を受諾した。
そして翌日の15日の正午から、ラジオをつうじて、昭和天皇による日本の無条件降伏が発表された。
これにより、『満州事変』から15年にわたって続いた戦争が終結した。

『ポツタム宣言』を読めば、明らかに『敗戦』である。

①軍国主義の除去。

②日本国の占領

③カイロ宣言《1943年、ルーズベルトとチャーチルと蒋介石がカイロで会談し、日本が戦争によって手に入れた領土を返還する事などを要求した宣言》の実行と、日本の主権の制限。

④日本の軍隊の武装解除。

⑤戦争犯罪人の処刑と民主主義の確立。

⑥賠償の実施と平和産業の確保。

日本の著名人は、多大な犠牲をだした事に配慮し、柔らかな言葉でごまかしの安易な言葉を使ったしか、考えられません。

しかし、国、国際間の根本をなす信義の基本なのだから、『敗戦』と明示しなければならない。


このような事を考えていたら、朝の三時に目覚めた。

夢だったか・・かと、思考がぼんやりしている・・。
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椿、咲く・・。

2005-03-18 15:06:17 | 小庭の情景を眺めながら
玄関庭の門扉の近くに椿が有るが、ここ数日の暖かさが続いているのか、花がふたつ咲いた。

枝の周辺には、薄紅の蕾がたわわにつけている・・。

毎年、四月の初め、この椿が満開となり、付近の花梨も花が咲く。

この花梨は、若芽を少し付け、やがて小さな提灯花のような可憐なピンク色した花が咲く。

紫木蓮も蕾を膨らませて、やがては華麗な彩りを見せてくれる。

私は、この季節が年が深まるにつれて、一層いとおしく感じる今日この頃の心境です。

主庭の白梅が、微風を受けて、花が少しづつ散っています・・。
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白梅に小鳥たちが・・♪

2005-03-17 16:35:02 | 小庭の情景を眺めながら
早朝、満開の白梅に小鳥たちが、花の蜜を吸いにやってきます。

昼過ぎに霧雨が降り、静寂な庭になります。

三時過ぎに霧雨がやんで後、微風となり、花びらが少し地上に舞い降り、黒土の上に白っぽい絨毯を敷き、始めました・・。

少し経つと、小鳥たちがやって来て、花の蜜に忙しそうに吸っています。

花びらは、満開時の八割がた、まだ枝にたわわに残っています・・。
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蕨(わらび)によせて・・。

2005-03-16 10:28:33 | 食べ物、お酒
近くの公園で蕨を見かけると、春が訪れたか、とため息をし、安堵する。
冬の寒さを通り抜けて、けなげな若芽を見ると、生命力の力ずよさにしばし感動を覚える。

今朝の読売新聞の《四季》に長谷川櫂・氏がこの蕨について、綴られている。

石ばしる 垂水(たるみ)の上の さわらびの
萌え出づる春に なりにけるかも     志貴皇子(しきのみこ)

『万葉集』からの歌が紹介されていた。

岩を走り落ちる水のほとりにいち早く萌え出た早蕨(さわらび)。
春の到来の喜びが歌となってほとばしり出たかのような勢いが、一首のすみずみまでゆきわたる、と解説している。

私は、同じ作者が『新古今集』に綴った方が感覚的に好きである。

岩そそぐ たるみのうへの 早蕨(さわらび)の
もえ出づる春に 成りにけるかな      志貴皇子

ともあれ、佃煮風、或いは湯がいた上、鰹節をほんのちょっとのせて、ご飯の上にのせて良いし、お酒の付け出しにも良い。
歯ごたえ、味わいに喜びを感じられるひとときです《笑い》。
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病院の待合室で・・。

2005-03-15 17:20:27 | 定年後の思い
襟足の近くが少しかぶれてきたので、街の中の皮膚科の病院に行った。
受付で初診のアンケート用紙を書きながら、受付嬢に話しかけた。
『XX学園、今日は卒業式かしら。先程、羽織袴の方を見かけたので・・』
『そうらしいですね』と答えた。

待合室に入ると、二十名以上いた。
その中で中年の男性が一人きりで、後は女性と幼児の五人だった。
私は、女性の人口密度が高いなぁ、と直感しました《笑い》

その中で、空いている席に座り、雑誌を読んでいたら、二十五歳前後の綺麗な女性が私の横に座ってきた。
他にも空席が有りましたが・・。
高価な香水がほのかに匂って来ました。
そぉと横を見ると、薄めのピンクのツー・ピースを着こなし、網状の黒の靴下で足を組んでいました。
ちょっと、色っぽい人です。
私はラフな格好をしていましたので、少し気後れしそうでした《笑い》


前方を視ると、若い母親が乳児を抱いて、四歳前後の女の子を連れていました。
よく視ると、香川京子を若くしたような顔立ちで、少し見惚れました《笑い》
私の好きな黒髪で、大きな瞳で乳児をあやしていました。
気品があり、清楚な色気を感じまして、好感が持て感じの良い若奥様です。

私の名前が呼ばれ、残念ながら、この奥様と、サヨナラです《笑い》

私は最近も、運勢に強いと思いながら、診察室に入りました。
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【サラ川】傑作選を読んで・・。

2005-03-14 15:21:07 | 読書、小説・随筆
第一生命が募ったサラリーマン川柳は、まさに人生の縮図です。

哀しみ、笑い、怒り、涙ありで、ときたま読んだりして、現役を引退今でも励まされる事が有ります。

数多い『サラ川』の中でも、私の定年一年前に購入した本より、勝手に選定させて頂きます。

    《情》の句~世のなさけが身にしみる?! より

             私の勝手な選定川柳


手をふって 出かける父に また来てね   出張員

手際よく 何でもこなし 仕事増え    川島五貫

上役の 給与生み出す バートたち    捨て人

現代人 水を汚して 水を買う     益子

ハミングで 年齢ばれちゃう カバー曲   ハミング仕上げ


こうした巧い川柳に出会うと、
このブログを私が日頃に日記を綴っているのが、
いやに成る程、巧すぎますね♪
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パソコンのファイルの大掃除

2005-03-13 15:05:48 | 定年後の思い
朝の十時過ぎ、このサイトで皆様のHPを検索していたら、急にレスポンス(応答)が遅くなり、このサイトは日曜日だから、込み合っているから、処理能力の関係で遅くなっている、と思った。

しばらくしても相変わらずであったので、おかしいと思い直し、終了させて電源を落とした。

再度、立ち上げて、このサイトに検索しても、相変わらず遅い。

他のインターネットの検索もしても、遅いので、加入しているプロバイダの運営元に問い合わせた。
『レスポンスが遅いので、何か保守点検か、何か行っていますか』と問い合わせた。
特に行なっていない、とのこと。

あと考えられるのは後は、自分のパソコンのファイルしかない、と思いファイルの大掃除をした。

常時、ノートンのセキュリティのソフトで保護をしているが、この際に徹底的におこなった。

セキュリティ・スキャンし、ウイルスのファイルの検出を行なった。

二時間ばかり要した後、ウイルスは発見されなかったので、再度立ち上げた・・。

結果として、通常通りとなったが、不可解である。

この二時間、映画雑誌を見ていて、楽しめたので、まあ良いかと思った《笑い》
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『青い眼の人形』への誤解。

2005-03-12 13:18:22 | 音 楽
童謡の歌のひとつとして、『青い眼を人形』が有りますが、私は二十歳頃まで誤解していた。


  青い眼の人形    
           作詞・野口雨情


♪青い眼をした お人形は
 アメリカ生まれの セルロイド

 日本の港へ ついたとき
 一杯涙を うかべてた

 「私は言葉が
  わからない
  迷い子になったら
  なんとしょう」

 やさしい日本の嬢ちゃんよ
 仲良く遊んでやっとくれ
 仲良く遊んでやっとくれ


小学校の二年か三年だったので、昭和27,28年の頃と思います・・。

ラジオから聴こえる歌を聴いていたら、
進駐軍が日本人に対し、白人ではあるが仲良くしてほしい、と敗戦後に作られ宣伝工作の歌だと、
思い込んでいた。
『ちぇ、進駐軍は、巧いことを言って、誤魔化している』と私は直感した。

幼い頃の私は、屈折の多い多感な子供でした。


詩は、野口雨情が大正10年12月、童謡雑誌「金の船」に発表。
大正リべリズムの下、「国際愛を歌った」と雨情は語っている。
尚、雨情は、キューピーから思いついたのは、青い眼の人形である。
従って、アメリカ生まれのセルロイドは、キューピー人形のことである。

おもちゃのキューピー人形、青い眼の人形は、アメリカから親善使節として、日本の子ども達にたくさん送られてきたが、第二次大戦により焼かれる運命を迎えた。

私の子供の時に思い込んだのと、全くの反対でした《笑い、そして涙》♪
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団塊の世代の才女から・・最終回

2005-03-11 11:12:45 | 時事【団塊の世代】
《読了後のささやかなメッセージ》

私は昭和19年9月生まれなので、ちょっぴり団塊の世代より上の世代ですが、大学二年で中退し、好きな分野をさまよい、昭和45年4月(1970年)にサラリーマンをスタートした次第です。
従って、同じ頃に入社した人々は、団塊の世代の人達で、何となく交遊を深めた時でした。

私の兄弟は、兄ふたりで、妹は昭和22年1月、その下の妹は23年10月、そして家内は24年12月生まれと、私は団塊の世代の時代の空気は知っているつもりです・・。

堺屋太一・氏の書かれた
【終身雇用、年功序列をはじめとして、先輩世代が作り上げた組織や制度の中で人生を送ってきた、ということです。
大企業に入社してモーレツに働いて管理職になり、交際費を使ってゴルフと宴会に明け暮れる。
郊外に一戸建てを買い、子どもは二人つくって一流大学に入れる。
これが団塊世代の描いた《ジャパニーズ・ドリーム》でした】

私は、日本経済の基盤を先達の世代が造り、我々はバトンタッチを受けた、と度々綴ってきました。
そして、団塊の世代は、最初で最後の物心とも幸福な世代、と断定してきました。


さて、山根基世・女史の今回のエッセイでしたが、女性から視た社会を取り巻いてきた環境を機敏にとらえている、の一言です。

女史が昭和46年4月にNHKに入社し、『社会通念』、『組織の壁』、『男社会の壁』を改めて的確にこの時代を表現しています。

女性の多くは『専業主婦』になった・・家内の場合も、何のわだかりもなく、結婚すれば家庭に入る・・といったような社会通念があったわけです。

この頃の女性が結婚をし、男社会の組織の中で、仕事に邁進する事は、いかに大変かを改めて教示してくれました。


『民主主義』を唱える時は、小さな声で恥らいながら・・・私は、日本における民主主義は憲法と同様に、借り物、だと思考しています。
このような事は、日本人の多くの人々が内面で、玉手箱のようにしまっている、と私は解釈しています。


何はともあれ、この女史のくもりない洞察力ある視線に、私は益々惚れこみました。

NHKには数多くの女性はいますが、この人のような方の後進者はいるのかしら、余計な心配をしました。

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団塊の世代の才女から・・。その⑤

2005-03-11 09:37:01 | 時事【団塊の世代】
団塊世代のもう一つの特徴、私が感じるところでは、同世代仲が良いということ。

私など、初対面でも団塊と聞くだけで嬉しくて、すぐ仲良くなってしまうことが多い。

同世代を生きた懐かしさは団塊だけのものではないかもしれないが。

盛んに同窓会を開いたり、同期生で集まったりするのも団塊だ。

もちろん男女一緒、そこが楽しいのでもある。

毎年わが出身高校では、東京に出てきている卒業生全学年上は九十代から下は二十代までが集まる同窓会を続けている。

ところが、このところ団塊世代の出席率が極端に低くなっている。

少し上の世代の解説によると、ちょうど定年前後というのは、人それぞれ境遇が違ってきて男性は複雑な心理状態らしい。

上の世代でもその時期、出席が悪くなったと言う。

「故郷の高校」の同窓会なのだから、そんな時こそ見栄など張らず出てきて憂さ晴らしすればよいと思うのだが、男心はそうもいかないらしい。

「大丈夫よ、もう少し経って誰もみんなが卒業になれば、また自然に集まるようになるわよ」とのこと。

お楽しみはそれからで、そうなると男女一緒に飲んだり旅行に出かけたり、人生の馥郁たる時間が待っているらしい。
待ち遠しいではないか、リタイアー。


ま、正直に言えば、この年になればお互い古女房や古亭主の傍が、「一番楽」という面もないではない。

夫婦が心通わせることが老後の幸せにつながるとも承知している。

さはさりながら、さりながら・・それだけでは人生味気ない。


定年後の私の夢は、沖縄、福岡、京都等々、食べ物のおいしい町の市場の傍でマンスリーマンションなど借りて、市場で買ってきた新鮮な素材で料理を作り、「港港の男達」と毎夜宴会を開くこと(別に女でもいいのだが)。

とはいってもただの飲み食いだけでは芸がないので、「XXX勉強会」なんてちょっとカッコつけて。

幸い、現役の間は日本中を歩いて人脈には事欠かない。

俳句、町起し、読書、朗読・・勉強会のタイトルは何だっていい。

年取れば衰えていく能力の多い中で、食べ物の味や言葉の味わいへの感性だけは深まっていくような気がしている。


老後の「宴会つき勉強会」は、きっと生きることの「滋味」を教えてくれるに違いない。
                         
                         (昭和二十三年 生まれ)
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団塊の世代の才女から・・。その④

2005-03-11 08:07:46 | 時事【団塊の世代】
何をやっても「女性初」という冠がついたのは私たちより一つ上の世代。

私たちは女性初ではないぶん、楽なもあったが、逆に実質的な力を求められた。

それでいて、均等法以降の女性達ほどのチャンスは、まだなかった。

それは団塊女性だけが生きた現実だ。

どの時代にもその時代の難しさがある。

だから私たちは、私たちが体験した仕事の上の難しさや喜びを、ちゃんと伝えて行こうよ。

過去への恨む節ではなく、次に続く世代がより良い一歩を踏み出せるように。

ほら、私たちが子供時代から信じてきた「誰もが自分らしく幸せな人生を全うできる世の中」を実現する「民主主義」のために。

「定年後の世直し」っていうのも格好いいじゃないですか・・ホラネ、ほっとくとやっぱり話はこの方面に来てしまう。
                          「続く」
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団塊の世代の才女から・・。その③

2005-03-10 18:21:24 | 時事【団塊の世代】
当然学校時代には男女差別なんて、この世にあるとも思わなかった。

親も教師も少なくとも私には女らしくしろなどとは一度も言ったことはないし、女故の不自由さなど感じたこともなかった。

しかし一歩社会に出ると様子がまるで違った。
まず「社会通念」というものの厄介さに辟易した。
次にお決まりの組織の壁、男社会の壁。

団塊女性の多くは、家庭に入って専業主婦になったという。

あたりを見渡しても組織に所属し、いわゆるサラリーマンとして定年まで勤め上げた団塊女性はごく少なく、これまで横の連携は意外とすくなかった。

定年を機に一つ「組織を生きた女の体験」をみんなで語り合おうじゃありませんか。

現役の間は、まだ生々しい傷があって口にできなかったような体験や、現役ではイロイロ支障があって言えなかった事実など、「今だから話せる事実」を語り、それを後輩に伝えていくことは、大切なことではないかと思うのだ。
                         
                         「続く」
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団塊の世代の才女から・・。その②

2005-03-10 17:23:28 | 時事【団塊の世代】
団塊というのは、どうも「エエカッコし」のところがあるように思える。

端から見ると建前にしか思えないようなきれい事を並び立てるのである。
本人は柔軟なつもりだが、結構「べき論」を唱える石頭だったりする。
それもこれも戦後民主主義教育の賜と申しましょうか。

「民主主義ほどステキなものはない」と、ほとんど疑いの余地なく思い込んでいるから、つい「差別はイカン」とか「平等な社会を」とか当たり前のことを口走り、周囲から軽蔑されたり嫌われたりする。

正義感が強いのだが、その青臭さを恥じている。

だから「民主主義」を唱える時は小さな声で恥らいながら、控えめに言うようにしている。
だが本当はなぜ恥じるのか、自分でもよく分らない。

ともかくそれでも、口にせずにはいられない。

これはもう密かな「病」というほかない。

多かれ少なかれわが団塊にはそういう輩が多いのではないだろうか。

                    ☆読みやすくする為、原文より改行が多い
                        「続く」
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団塊の世代の才女から・・。その①

2005-03-10 16:57:53 | 時事【団塊の世代】
NHKのアナウンサーの山根基世・女史がいるが、この人の書かれたエッセイには何時も感心している。

初めてのエッセイ『であいの旅』(毎日新聞社・刊 1988年)、『歩きながら』(文化出版局・刊 1989年)と発売されたのを読んだが、文章自体は素人であるが、内容は良質で人の心をうち、感動させる力を持った人である。

家内にも勧めて、NHKも中味のある方もいらしゃる、と家内も褒めてた。

その前後から、この人のテレビ出演はできうる限り見るようにしている。

『基世ちゃん、出ているよ』と家内に言ったりしてきた。


『文藝春秋』の今月号で、団塊1085万人の「これから」、と題して、
サブ・タイトル「我らが世代、我らの時代」で、著名人8人の中で、女性一人として書かれていた。

内容が良いので、あえて転記させて頂きます。
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ヤンママの微笑み・・。

2005-03-09 15:29:40 | 定年後の思い
昨日の十時過ぎ、お米を買いに行くことにした。

お米に関しては、十年前頃、家内とデパートでに買物に行った時、店内で『秋田こまち』の宣伝隊と出会った。

『羅生門』の映画で京マチ子が扮したような衣装で、秋田美人の高校生ぐらいの乙女を農協の五十ぐらいの叔父さんが引率していた。
色白の可愛い乙女だった。

家内に、『これから我が家でも、秋田こまちに銘柄変更をしたら・・』と私は言った。

『あら、家はコシヒカリの魚沼産に決まっていますから・・』と家内は言い、私の意見を退けた。


定年後の最近は、日本海側の秋田、山形、新潟、富山の産地であったならば、余り銘柄を問わなくなった。

本日の朝、お米の在庫が少なくなった上、家内の言う底値(そこね)であったので、
『どうせ買うなら、十キロ、買おうよ』と私は家内に言った。

『貴方、いつも五キロ、お願いしていますが、貴方はちょっと重かったなぁ、とおしゃつていますよ』と家内は言った。

『買物車で行って来るよ』と私は言った。
私としては、旅行の際、旅行バックの車付きを引っ張っていたから、気にしなかった。

住宅街の歩道を陽射しを浴びながら、私は買物車を引き摺って歩いた。

前方の自転車が見えた。
良く視ると、女の子の乳児を前に乗せ、ヤングママの女性だった。

ヤンママは、色白で大きな瞳を輝かせ、私は思わず見惚れた・・。

私は少し徐行したので、ヤンママは私に会釈して、微笑んだ。

私の買物車を見て、更に微笑んで、乳児は私に手を振った・・。

『女の人って、子供を産むと一層綺麗になるし、自信も持つし、だから輝いているのかなぁ・・』と内心思った。

『だけど、稀に見る美人だなぁ、最近の女優さん顔負けだょ、俺って、運が強いのかなぁ』と呟いた・・。


家に帰って、家内に話した。

『ところで、ヤンママって、XXちゃん、知っている?』と家内に問いかけた。

『ヤングママの事でしょう』と家内は言った。

『知ってたの・・スーパーに行く途中、綺麗なヤンママに出あったょ』と私は言った。

『あら、そうですか。良かったですね』と家内は言った。

簡単にかわされたが、私は満足でした《笑い》

『だけど、女って、四、五十歳の人の魅力には、かなわないなよぁ・・色肌がにじんでくるし・・』と余計なことを考えた。

極楽とんぼの楽しい一日でした・・。
『今夜、夢の中で、多分、出てくるんじゃないかなぁ・・』と思った。
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