夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

日本文化の伝統美を感じ深める『色の歳時記 ~目で遊ぶ日本の色~』・・。

2023-04-03 07:45:11 | 喜寿の頃からの思い
私より5歳若い家内と2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた戸建て住んでいる。

一昨日は5月初旬のような陽射しの中、
いつものように私は、ひとりで近くの公園を散策して、

常緑樹の新芽、落葉樹の芽吹き、幼葉などを眺めながら、
季節のうつろいに深く心をよせたりした・・。


☆今回、掲載した写真のすべては、本以外は、一昨日の散策で撮った☆


やがて帰宅後、居間のソファに座りながら、

その日の心情に応じた本を開いたりしている・・。

たまたま本棚の片隅のある本を抜き取ったったりした。

『色の歳時記 ~目で遊ぶ日本の色~』(朝日新聞社)という本であるが、
私が本屋で昭和62年(1987年)の晩秋の頃、
偶然に目にとまり、数ページ捲(めく)ったりして、瞬時に魅了され本であった。



巻頭詩として、『色の息遣い』と題されて、
詩人の谷川俊太郎氏が、『色』、『白』、『黒』、『赤』、『青』、『黄』、
『緑』、『茶』と詩を寄せられ、
写真家の山崎博氏が、この詩に託(たく)した思いの写真が掲載されている。

そして、詩人の大岡信氏が、『詩歌にみる日本の色』と題されて、
古来からの昨今までの歌人、俳人の詠まれた句に心を託して、
綴られている。

本題の『色の歳時記』としては、
春には抽象水墨画家・篠田桃紅、随筆家・岡部伊都子、造形作家・多田美波、
夏には英文学者・外山滋比古、随筆家・白州正子、女優・村松英子、
秋には俳人・金子兜太、歌人・前 登志夫、歌人・馬場あき子、
冬には詩人・吉原幸子、作家・高橋 治、作家・丸山健二、
各氏が『私の好きな色』の命題のもとで、随筆が投稿されている。

そして、これらの随筆の横には、季節感あふれる美麗な情景の写真が
幾重にも掲載されている。




或いは『日本の伝統色』と題し
伝統色名解説として福田邦夫、素材にあらわれた日本の色の解説される岡村吉右衛門、
この両氏に寄る日本古来からの色合い、色彩の詳細な区分けはもとより、
江戸時代の染見本帳、狂言の衣装、江戸末期の朱塗りの薬箪笥、
縄文時代の壺、黒塗りに朱色の蒔絵をほどこした室町期の酒器、
江戸時代のいなせな火消しの装束など、ほぼ余すことなく百点前後に及び、
紹介されているのである。

『色の文化史』に於いては、
京都国立博物館・切畑 健氏が、歴史を彩る色として、
奈良時代以降から江戸時代を正倉院御物の三彩磁鉢、
西本願寺の雁の間の襖絵として名高い金碧障壁画など十二点を掲載しながら、
具現的に解説されている。

この後は、『色彩の百科』と題され、暮らしに役立てたい色彩の知識、としたの中で、
女子美術大学助教授・近江源太郎氏が『色のイメージと意味』として、
『赤』、『ピンク』、『オレンジ』、『茶』、『黄』、『緑』、『青』、『紫』などを、
現代の人々の心情に重ねながら、さりげなく特色を綴られている。


『配色の基礎知識』としては、日本色彩研究所・企画管理室部長の福田邦夫氏により、
《配色の形式は文化によってきまる》、
《情に棹(さお)させば流される》
などと明示しながら綴られれば、私は思わず微笑みながら読んでしまう。


最後の特集として、『和菓子』、『和紙』、『組紐』、『染』、『織』が提示されて、
掲載された写真を見ながら、解説文を読んだりすると、
それぞれのほのかな匂いも感じられるようである。




そして最後のページに『誕生色』と題されたページが、
さりげなく掲載されて折、私は読みながら、思わず襟を正してしまう。

北越の染めと織物の街・十日町の織物工業共同組合が、
情緒豊かな日本の伝統色を参考にとして、十二ヶ月の色を選定していたのである。

無断であるが、この記事を転載させて頂く。

《・・『誕生色』と命名して現代の暮らしに相応しい《きもの》づくりを行っている。
『誕生石』にもあやかって興味深い試みである。


1月
おもいくれない『想紅』

初春の寒椿の深い紅。
雪の中で強く咲き誇っている姿に華やぎ。


2月
こいまちつぼみ『恋待蕾』

浅い春に土を割る蕗のとう。
若芽のソフトな黄緑が春を告げる。


3月
ゆめよいざくら『夢宵桜』

春のおぼろ、山桜の可憐な色。
桜、それは心躍る春の盛りを彩る。


4月
はなまいこえだ『花舞小枝』

春風に揺れる花を支える小枝。
土筆(つくし)もまた息吹いている。


5月
はつこいあざみ『初恋薊』

風薫る季節の薊の深い紫。
5月の野には菖蒲も咲き、目をなごます。


六月
あこがれかずら『憧葛』

さみだれが葛を濡らして輝く緑。
蓬、青梅・・緑たちの競演がいま。


7月
さきそめこふじ『咲初小藤』

夏近し、紫露草のうすい紫。
きらきらと夏の光の中で、緑の中で。


8月
ゆめみひるがお『夢見昼顔』

夏の涼しさに朝顔、昼顔。
庭に野に夏には欠かせない風物の彩り。


9月
こいじいざよい『恋路十六夜』

月冴えるころ朝露に身を洗う山葡萄の深い紺。
十六夜の色にも似て。


10月
おもわれしおん『想紫苑』

風立ちて、目もあやに秋の七草。
野に咲き乱れる桔梗と紫苑の色。


11月
こいそめもみじ『恋染紅葉』

秋の野の残り陽に照る紅葉の赤。
心にしみ入るぬくもりのかたち。


12月
わすれなすみれ『勿忘菫』

淡雪のほのかな思い。
菫が咲き、小雪が舞う季(とき)の色。やすらぎの感覚。 ・・》

注)記事の原文より、あえて改行を多くした。



私はこうした美しい言葉、綴りに接すると、

その季節に思いを馳せながら、その地の風土を想い、
心にひびき、香り、そして匂いまで伝わったくる。

日本風土の古来からの人々の営みの積み重ねの日常生活から、
さりげなくただよってくる色あいの結晶は、
まぎれない日本文化のそれぞれの伝統美でもある。



この本は、昭和58年(1983年)に発刊されているので、
稀なほど優れた執筆陣でありながら、
現在は無念ながら故人となられた人が多いのである。

こうした遺(のこ)された随筆などを、改めて読んだりすると、
日本風土と文化に限りなく愛惜されているので、
日本文化を愛する人たちへの遺書のひとつかしら、
とも思ったりしている。

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ブログの投稿文、ここ18年間の中、私が綴れなかったことは・・。

2023-04-02 07:14:42 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
過ぎし2004年の秋、民間会社を定年退職した後、
多々の理由で年金生活を始めたりした。

そしてこの当時、ネットの世界は私は殆ど無知な癖に、
この当時にIBMなどからホームページ作成素材のソフトを買い求めて、
漠然としながら『ホームページ』を立ち上げようと思ったりした。

自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いのことなどを
出来うる限り随筆風の散文を綴り、公開しょうと思案したりしていた。

しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、
無名の私が開設・運営した所で果たして、と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。


この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。



ブログの世界は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれの御方が自由に、私生活の出来事から、政治、外交、軍事、経済、社会などの分野まで表現でき、
日本でも2002年(平成14年)の頃から急速に普及し、
誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来してきた・・。

この少し前の時代は、もとより各専門知識のある有識者が、雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人の身は、せめて新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
何よりも掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。

こうした結果として、私は自在に私の生活のことから、政治、経済、社会などに専門知識がない私でも、
私なりの思いを発露できる上、何よりブログはホームページより手軽に開設、運営できると感じ、
ブログに加入しょうと決意した。

そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後は、
2つばかりの10万人ぐらい加入していた小さなブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入した。

この間、まもなく他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり中断したが、
やがて2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。    

このような軌跡で、ブログの世界を知って丸18年が過ぎて、早や19年生となっている。
結果的には、パソコンの故障、国内旅行、入院などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。



こうした根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)として残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。

恥ずかしながら数多くの駄文を綴ってきたが、
ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。



こうした中で、60代の投稿文の内容は、やはり幼年期~現役サラリーマン時代の想いでが多く、
或いは年金生活を過ごす実情を脚色もせず、ありのまま数多くの投稿文を綴ってきたりした。

そして70代になると、無念ながら自身の体力の衰えを実感した為か、
健康、病気、介護、葬儀、家計などを学んだことに、
私の思いを前後に加味した投稿文に変貌した内容となり、
まるで餡子(あんこ)の入った『お饅頭(まんじゅう)』のような投稿文となり、
独り微苦笑する時もある。                                   

最近、反省をして、初心に帰れと、随筆風の投稿文に帰路したりしている。




こうした中で、私の投稿文は、日々に感じたこと、思考したことなど、
あふれる思いを綴ってきたので、
ときには社会問題も綴ったりしてきた。

或いは政治にも疎(うと)い私でも、余りにも心の節度が欠けた時の政治家には、
いたたまれず投稿文に認(したた)めたことがあったりした。

国際主要国は、歴史観、それぞれ国益に基づいて言動をされるが、
過ぎし年に民主党政権下の時、鳩山首相が、
いずれも欠如して、園児のようなふるまいだ、と非難文を投稿したりした。


或いは管首相の時代となったが、党内の権力闘争で、
唐突な言動が多く、もとより肝要な閣僚の方たちに戸惑いをさせたりし、

私は無力ながら非難文を3通ぐらい書き、発信したりしてきた。

しかしながら、うすぎたない文章は、
私の人格を問われるので避け、たとえ痛烈な内容であっても、

義務教育で習った日本文を認(したた)めてきた。
            

こうした中で、私が体験してきたことは、
コメント上で私は卑劣なコメントを幾たびも受けたりしてきた。


この時、私はこれには、困ったなぁ、と感じたりした。

私は大学中退の身であるが、書き込みをされた方は、たとえ大学、大学院などを卒業されても、
心の貧しい人と思っている。
          
このようにネットの世界は、なんでもありの不思議な世界である。
            



人誰しも、この人生航路を歩み中で、光と影を有しているが、

つたない私でも光と影があり、特に暗く影のことも、私自身、家庭、或いは生家の事柄に関しも、
このサイトにためらいながら、マイナスと称される影も私は描写してきた。
          
しかしながら私は、どうしても表現できないこともあったりした。
このことは私の人格さえも問題視されることであり、感情と理性の間を往還しながら、
ためらいながらも結果としては、綴れなかったことがある。

たとえば、皇室の問題であり、平成の時代に於いて、
天皇陛下、皇后陛下には限りなく敬愛を深めているが、

肝要の皇太子殿下、妃殿下のご夫妻の言動に、ときおり憂(うれ)いを感じたりしてきた。

或いは私の勤めた音楽業界のあるレコード会社に35年近くの中で、秘めたる事柄は数多くあるが、
守秘義務もないが、退職後の丸20近い今でも、心の礼節として綴れない。

やはり社会人として、遅ればせながら25歳で中途入社できた時から、
何かと上司、先輩、同僚、後輩、知人のたゆまぬ激励と支援の中で、定年退職時まで、
奮闘できたことであり、今でも感謝している。

このような思いで、もとより社員と経営者、株主の結晶である会社にも感謝しているので、
秘めたる悪しきことは、心の礼節としてできない。

そして格差の問題は歴然として、この世の中に各分野に露呈している現実があるが、
特に生活保護の難題は、綴れないのである。

或いは社会を震撼させる卑劣な悪質な犯行する方は、もとより非国民の言動あり、
たとえ日本は法治国家であっても、性善説を捨てて性悪説の基で、
法務大臣の特例で、絞首刑が妥当と思っている。
          
このようなことを思いを秘めているが、こうしたことを綿密に投稿文で綴れば、
もとより私の人格さえも問題視されることであり、小心者の私は書けないでいる。
            


こうして私はブログを殆ど毎日投稿してきたが、11年半前の頃から、

何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
                    
しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省することが多く、苦笑している。 

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3月の桜月に別れを告げて、新たな4月は清浄明潔の月を迎えて・・。

2023-04-01 07:32:42 | 喜寿の頃からの思い
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、私より5歳若い家内と2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた戸建て住んでいる。

こうした中、今朝、ぼんやりと3月のカレンダーを切り剥がしながら、
『弥生(やよい)』の3月と明記されていたが、

私の住む地域は 『桜月(さくらづき)』だった、と微笑んだりした。

古来より2月は梅の花が咲き、3月は桃、やがて桜の花が咲いてきたので、
3月は『桜月(さくらづき)』、『桃色(ももづき)』と称せられ、
寒い冬を耐えて過ごしてきて、暖かな春の訪(おとず)れに、
数多くの人々が悦(よろこ)び感じて過ごす時節である。
       
私の住む地域は、3月14日に染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が咲き始めたと宣言され、
まもなく大島桜(オオシマザクラ)、山桜(ヤマザクラ)など、多彩な桜花に、
少年のように高揚しながら、遊歩道、公園などを歩き廻った
りしてきた・・。















このように多彩な桜花に見惚(みと)れて、過ごしてきた・・。


こうした中で、欅(ケヤキ)、クヌギ、コナラ、モミジ、ツツジなど雑木は、
木の芽時(このめどき)と称せられる芽吹きに、めぐり逢えたりした。

私は幼年期に農家の児として育った為か、
木の芽時(このめどき)から幼いあまたの葉を広げて、萌黄(もえぎ)色に染められる、
こうした季節のうつろいを眺めるのが、この世で最も好きな情景のひとつとなっている。

そして私は、見惚(みと)れながらも、何よりも愛惜を感じながら、
ときおり天上の両親、祖父などを思い浮かべたりして、何かと励まされてきた。
       


過ぎ去りし3月は、初旬には日本中の女の子をそれぞれのご家庭で慶(よろこ)び祝う『桃の節句』、
下旬の初めには新たなる旅立つの『卒業式』などが祝賀され、
こうした中で働いて下さる新たなる社会人が不安と希望を秘めてスタートされる時節でもある。

そして社会の中核である働いて下さる諸兄諸姉も、再就職や人事異動などで、
新たなる職場に配属され、戸惑いながらも意欲充分な志(こころざし)で、勤務される時期でもある。

私はこうした時節は、定年後に多々の理由で年金生活を始めて、早や11年生になった今、
それぞれの人々の人生の門出に、微笑ましく感じて、
3月は『桜月(さくらづき)』だったと感じ深めていたのである。
         



新たな『卯月(うづき)』の4月のカレンダーを見ながら、

卯月と命名されたのは旧暦で、現在より40日ばかり遅い初夏に近い時節で、
里に多い落葉樹のウツギの樹から名付けられた、と古人から伝えられているので、
少しばかり私は戸惑っている。

4月は世の中は新年度の始まるが多い中、小学生の入学するピカピカの一年生、
新たに中学、高校、大学を入学されたり、或いは進級される方が数多い・・

そして企業に於いては、緊張感の中で新社会人となり、『入社式』が数多くの会社で実施されている。

私はこの4月の時節は、近くの公園、野川の遊歩道を散策したりとすると、
木の芽時(このめどき)と称せられる雑木のモミジ、コナラ、クヌギ、欅(ケヤキ)等の時節が終わり、
幼いあまたの葉を広げて、新緑に時節に向っている。


      



そして常緑樹も新芽を伸ばしている。

                 
こうした情景を思い馳せると、『清浄明潔』という言葉を重ねたりした・・。

古人からの伝えとして、樹木は芽吹き、幼い葉を広げて、草花は花を咲かせ、
春の明るい陽射しの光につつまれて、清らかに生きている万物に恵みの時、と私は解釈している・・。
       

こうした思いを深めると、4月は『清浄明潔』の月だ、と高齢者の78歳の私でも、
心の中で呟(つぶや)いたりしている。

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