さて、『阿羅漢』の称号が、「無学位」であるならば、世界各国の
名誉学位の数のみをひけらかし、残り少なき人生を、ただただ、己
への御仏の加護と信じ、人心をたぶらかす名誉会長は、所詮、餓鬼
道にて、己の行いを検証すべきである。
検証した結果、何ら過ち無き人生であったと思うならば、これは又、
人の性であり、生き神として祀り賜うべき者にもあらず。
我が受験の神様を尊ぶ者たちよ、
学生とは、『 学びに生きる者 』ならず、
『人としての生き方を学ぶ者』を学生という。
現世における結果や因果は、所詮、現世のものであり、
六道の世を渡りしなかで、その意味合いもまた変転するものである。
「受験の神様」を崇める人々よ、神は何も応えない。
神は何も与えない。
また、過去を振り返り、因業を悔やんでもならない。
『沈黙の神々』は、何も応えてはくれない。
その扉を開け放つ者は、貴方以外にありはしないのだ。
これが、受験の神様が与え賜うた結論である。