「お礼参り」などと言うと、最近は業界の方が出所後にお祝いを兼ねて
仕返しをされることに多く使われるようですが、やはり、合格祈願をし
大願成就の暁には、本来の語源である、神様への御礼を申し上げること
を欠かさないでいただきたい。
我が在所の受験の神様である「亀岡文殊堂」をご紹介して参りましたが、
お陰様というのか、本人の努力の成果であるのか(ほぼ、あり得ない)
我が家の息子も、滑り止めの滑り止めに滑ったにも関わらず、志望校の
中では、最も難易度の高い方の大学に合格するという離れ業をやって
のけました。
日頃から「人間は、出身大学が重要なのではなく、学んだ学問を如何に
お世話になった社会に還元していくかが重要なのだ。」などと、
ちと、親父らしい小言を言いつつも、難易度・偏差値というものも
気にならない訳でもない。(所詮、世俗の人間ですから…。)
まぁ、遠方の神様にすがった方々も近在の神様・仏様に願をかけた方々
も、感謝の気持ちだけは忘れていただきたくない。
確かに「困った時の神頼み」とは言いますが、神と言わずとも先生や
友人、家族に感謝する心を持つこと。『神』とは、『かがみ』であり
我が身の写し身である。
努力は当然であるが、身の回りの事柄に素直に感謝する心は、忘れたく
ないものだと思うようになりました。(かなり、オヤジが入り始めました。)