「ウリノメイガ」の婚礼ダンスは迷惑です^^;
ふと気が付けば「お盆」であります。ご注文いただいた「丸茄子」をお届けし、買掛金の盆前払いを済ませ、不足の出荷資材を調達して家に帰り着いたら、オッカーと長男『ポン太郎君』が仏間に「盆飾り」をしておりました。ナスやキュウリに箸を刺し、牛や馬をかたどった飾りをする地域もあるようですが、我が在所では、仏壇の前に吊るす。赤い「ホオズキ(鬼灯)」は提灯かい?「ナス」は牛、「キュウリ」は馬と相場は決まっているけれど、「長ささぎ」そして、何故か「掛けそうめん」なるものも仏壇の前に吊るす。「三途の川」でも表しているものやら誰もその理由を知らないが、この辺りの風習でありますよ^^; 以前は、「ススキ」も飾っていたから、仏壇と仏間の間の「結界」かしらなんて勝手に想像しております。
走り続けて1ヶ月半…我が家の「夏秋キュウリ」も終盤を迎えたようであります。(本当は、もう少し持って欲しいのだけれど。)少しばかり経営が安定して来たことが災いしているのか、今年は疲れが抜けないのでありますよ。一年、また一年と歳を重ねていることが原因かも知れませんが、低レベルの収益に満足してしまっているのかも^^;
昔は盆踊りもあったけ…
子どもの頃に、お袋の職場の広場に櫓を組んで、従業員やその家族が「盆踊り」を楽しんでいた。高畠町では「青竹ちょうちん祭り」…こちらは、30年以上踊り手として参加して来ました。賑やかさとは裏腹に、元来「盆踊り」は死者を供養するための行事と改めて言われるとピンと来ませんなぁ。先祖供養…「ご先祖様があって、今の自分がある。そのつながりに感謝し、大切にしなければならない。」なんて、親父に説教されたことがあるような記憶もあるけれど、今では「自分が居るから仏様で居られる。子孫が居なければ、墓仕舞い、永代供養で終わってしまう世の中よ。」などと不遜なことを口走る『おやじぃ』でありますよ。
さて、娯楽の無い時代にあっては、先祖供養、村社会の結束、そして性的な開放空間としての意味合いもあったと言われる「盆踊り」でありますが、今年も各地で、新型コロナの影響で中止、小規模開催となっておりますようで…それでもやっていること、やらされていることが、それぞれ矛盾をはらんでいる。山形市では、山寺立石寺でパラリンピックの採火式…採火された火は、某所で一般公開されるんだとか…行動自粛と言いながら、来てくださいと言わんばかりの有様であります。
少しばかり「踊らされたかなぁ?(仕事し過ぎかなぁ)」そして、「踊り疲れたかなぁ?(仕事に飽きたかなぁ)」…自ら踊り(仕事)を楽しまなければ!もう、お願いだけのコロナ対策では如何ともしがたいような状況に、「自らの命は自ら守りましょう。」というお手上げ宣言。「踊らされる」のはもう御免、自らの意思で踊りを楽しまなければ、ご先祖様もさぞや心配するだろう(笑)