峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

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2007年07月20日 | 家族
お昼過ぎ、絵理子さんから大学職員採用の内定の通知があった旨、電話がありました。

大学卒業後、高校生の頃からの憧れであった旅行会社に就職し、思う存分仕事をしていた絵理子さんでしたが、彼女が何より楽しみにしているのは、結婚して子供を産み、育てることでした。
この春、学生時代からの恋人である梅田さんが大学院を卒業し、就職が決まり、結婚のことを具体的に考え始めたとき、その仕事を続けるのが無理なことは明白でした。それほど過酷【かこく】な勤務状況だったのです。

そこで、若い2人で話し合ったのでしょう。絵理子さんは、スパッと会社を辞める決心をし、昨年のお盆を過ぎた頃だったでしょうか、会社に退職の意思を伝えました。有難いことに、会社側からは希望する地への転勤等の打診を受けたそうですが、少しの悔いも残すことのないほど仕事に情熱を傾けた日々が、彼女に何の未練も残させなかったようでした。結局、昨年の12月いっぱいで退職し、今年の1月まで仕事の引継ぎをし、新たなステップを踏むことになりました。

ただし、今年の正月に帰ってきたときは、本人も私たち夫婦も、彼らは自然と結婚に向かうのだろうと漠然【ばくぜん】と思っていただけで、具体的には何一つ決まっているわけではありませんでした。
そんな中、絵理子さんの就業【しゅうぎょう】に対する意欲は強いものがありました。自立した一人の社会人であるためには、女性であっても職業を持つべきだと、かねがね子供たちに話してきましたが、それが彼女の胸の中に根付いていたのかもしれません。
梅田さんの勤務地が福岡県になるだろうということもあり、空港に惹かれるというので、挑戦してごらんと話したものでした。

それが3月の帰省の際、国公立大学法人等職員採用試験を受けるに変っていました。本人なりにいろいろ考えた末での結論だったようです。
ところが、第一次試験の期日が5月20日というではありませんか。いかにも準備不足は否めません。また、第一次試験の受験者数を聞いたところ、なんと4,600名を超えるといいいます。それに対し、九州地区の採用予定数は全部で75です。実に60倍強の狭き門です。
それが、あれよあれよと選考を潜【くぐ】り抜け、17日の最終面接にまで残っていたのでした。
本人は、第一次試験はともかく、第二次試験の最初の集団討論後から「失敗した」「みなさん、すごい方ばかり」とまったく自信が無かったようでしたが、幸運にもきょう、内定の通知をもらうことになったのでした。

17日の最終面接が終わった後、2・3日のうちに連絡があると聞いていたので、昨日・きょうと、女房どのと2人、気をもんで待っていましたが、嬉しい報せにホッとしました。

それにしても、我が家の娘たちはいずれ劣らぬ強運の持ち主ぞろいです。
コメント (5)
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