峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

「私」の中の善意と悪意

2008年09月12日 | 暮らし
昨日、今日とくるみさんの学友2人がコメントを寄せてくれた。思いがけないことで驚くと同時に嬉しかった。
彼女らのあふれる善意を感じる。

有紀さんが出場していた頃の全国中学生選抜将棋選手権大会で出会った伊緒ちゃん、早紀ちゃん、真子ちゃんとはHPの掲示板を通して心を通わせることができた。もう、3,4年になる。
今や、伊緒ちゃんは若手を代表する押しも押されもせぬ女流プロ棋士、早紀ちゃんと真子ちゃんは高校3年生だ。

さて、ほぼ毎日訪問させていただいている「渡辺明ブログ」のコメント欄がこの9月8日で閉じられた。
ある時、コメント欄に渡辺竜王を誹謗【ひぼう】するものが寄せられた。それを契機に悪意に満ちた批判の応酬が続き、ついに閉じられたのだ。

やがて、渡辺竜王自身によって「自分が小さい事は気にしない性分ならば良かったのですが、残念ながらその逆でして」とコメント欄閉鎖の理由が述べられた。
「大胆にして繊細」偉大な勝負師を形容するのにしばしば用いられる言葉だが、繊細でなく、どうして竜王になれよう。

私たちは、ここでも1つ豊かなものを失ってしまった。私たちは、重大な過ちを犯し続けている。
もっとも、その重大さに気付き、うろたえ、悔いているのは原因を作った彼かもしれない。

それでは彼は、悪意だけの人間なのだろうか。否、誰もが悪意と善意を内包している。案外、彼は普段、善意の人なのかもしれない。
今回、彼の中の悪意を引っ張り出したのはまがうことなく「匿名」である「私」なのだ。

ややもすれば、ネット社会は「私」の中の悪意がスッと表に出やすい環境にある。それを抑制し、「私」の中の善意を引っ張り出すために「私」は、どう在ればいいのだろう。
コメント
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