峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

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今こそ つながろう

2010年03月02日 | 暮らし
数日前になるが、NHKテレビ『歴史秘話ヒストリア』「たった一人のあなたへ“蟹工船”小林多喜二のメッセージ」を見た。

目の前にある不条理や矛盾を放っておくことはできない。多喜二は、それを変えることができるものが文学と信じ創作に意欲を燃やした。
しかし、時あたかも日本が戦争への道をまっしぐらに突き進む中、厳しい弾圧を受けた多喜二は、わずか29歳という若さでその生命を断ち切られてしまう。

小林多喜二が命を賭【と】して伝えたかったもの、それは人間一人ひとりの尊厳と、つながりあうことの大切さであり、同時に、それを断ち切ろうとするものへの怒りだった。

昨年、その多喜二の代表作「蟹工船」がベストセラーになった。今年に入っても売れ続け、150万部を超えるロングセラーになっているという。このことは、いったい何を意味するのだろう。

バンクーバーオリンピック選手村入村式で、スケートボード・ハーフパイプ国母選手の彼流の制服の着こなしが物議をかもした。マスメディアはそれを面白がって届けた。ある番組で、道行く人たちにそのことを問うていた。それを聞いていて違和感を覚えた。国母選手と同世代の若者に限って厳しい意見を寄せていた。

また、佐世保市の今年の成人式で、多少やんちゃの過ぎた新成人数人の行動が広く取り上げられ、世間の顰蹙【ひんしゅく】を買うという出来事があった。その日その会場で佐世保市長は、ひと暴れして席に着いた彼らを厳しくたしなめた。ところが、その時やんちゃが過ぎた若者と同じ仲間の新成人から拍手が起きた。彼らは、式後のインタビューに、せっかくの成人式が台無しになったと異口同音に応えた。
同じ側に立つべき若者が同じ若者をたたく。

若者が孤立化している。いや、孤立化させられている。若者たちのつながりが何ものかによって断ち切られている。
彼らがケータイを手放せないのには訳がある。たえず、メールで相手が仲間であることを確認しておかずにはいられない。さもないと、孤立している現実に直面させられる。しかし、言葉で表すことができるのは思っていることのほんの一部にしか過ぎない。それを補うべく彼らは絵文字を駆使する。ほんの少しの行き違いが孤立している現実を浮かび上がらせることを彼らは恐れている。

孤立化させられているのは、なにも若者に限ったことではない。社会の、いたるところで人々が孤立化させられ、無気力化させられ、目の前にある不条理や矛盾に怒りの声さえあげられずにいる。ただ、ささくれ立った心が弱い者へ牙をむくだけだ。

多喜二が命を賭して伝えたかったもの、それは人間一人ひとりの尊厳と、つながりあうことの大切さであり、それを断ち切ろうとするものへの怒りだった。
その多喜二の本が時を経て今、再び売れているという。
希望は、ある。
コメント
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