峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

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何が幸いで何が災いか 

2010年07月15日 | 民生児童委員

結局、雨のため世界文化遺産である厳島神社を含め、周辺の散策をあきらめざるを得なかった。

降り続く雨により高速道が全面通行禁止になっているらしい。
当初、佐々到着予定は夕方7時20分だった。だが、誰かの「明日の仕事に間に合えばいいさ」との言葉にみんな腹を括【くく】った様子で、特別な日を楽しもうという空気になった。

宮島口から一般道を通り、広島造幣局に向かった。
造幣局の見学を終えた後、岩国の錦帯橋【きんたいきょう】を目指した。そこで昼食をとることにしていたが案の定大渋滞で正午を過ぎ、1時を過ぎてもまだ着かない。ついには、空腹に耐え切れなくなり、お土産に求めていた「もみじまんじゅう」の袋の封を切る者も表れる。

2時間遅れの昼食はひときわ美味かった。
錦帯橋を何度か訪れているが、そこにいつもの晴れがましいような表情はなく、まるでおびえきった子猫のようであった。
いつもは橋の下には河原が川幅の三分の二ほど広がっていて、そこに観光バスや一般の車がとめられているのだが、この日ばかりは川幅一杯を濁流が占めていた。

錦帯橋を午後3時半に発った。
国道2号線のくねくねした山道をバスは走る。
途中、忽然【こつぜん】と表れた異様な光景に目を奪われた。とにかく気味が悪いほどの外観の異様さなのだ。しかし、瞬時にして遠い記憶がよみがえった。「いろり山賊」という食事処だ。
40年近く前、訪れたことがある。「山賊むすび」というとてつもない大きなむすびが出てきたのをかすかに覚えている。

「いろり山賊」を始め、高速道を通れないことで、本当に久しぶりに2号線沿道の懐かしい風景を目にすることができた。何が幸いで、何が災【わざわ】いか分かったもんじゃない。

昼過ぎから雨は上がっていた。辺りが暗くなった頃、ようやく小月インターから高速に乗ることができた。関門海峡を渡ると九州自動車道だ。
車中で、お土産の「もみじまんじゅう」を分けて食べたり、コンビニで求めた夜食のおにぎりを分け合ったりしているうちに自然と連帯感が強まったような気がした。

佐々町に着いたのは日付が変わろうとする頃だった。

コメント
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