峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

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「いない いない ばあ」を読もうね

2010年07月17日 | 父親と子
今月の13日で天使が生まれて8ヶ月が経った。
こちらに来た当初、女房どのや私に抱っこされるのを嫌がっていた。しかし、2日経ち、3日経ちするうちに次第に慣れてきて、「おいで!」と手を差し伸べると自ら身体を預けてくれるようになった。また、こちらがおどけた仕草をしてみせたりすると声を立てて笑ってくれるようにまでなった。

天使のお母さんである絵理子さんとそうしたように、天使とも繰り返し絵本を楽しんだ。
「いない いない ばあ」「しろくまちゃんのほっとけーき」「こぐまちゃんのみずあそび」などなど、どれも絵理子さんと遊んだおなじみの絵本だ。
「おすわり」をする天使と向かい合い、絵本を読み出すと、天使は、たとえば「いないいないばあ」の「にゃあにゃ」や「くまちゃん」に触ろうと手を伸ばす。「しろくまちゃんのほっとけーき」では出来立てのホットケーキに私が手を伸ばし口に運ぶ真似をすると、天使もホットケーキを取ろうと手を伸ばす。

傍に我が子の愛らしい様子に微笑む絵理子さんがいて、正面に一生懸命絵本に手を伸ばす天使がいる。
28年前、私の正面には目の前の天使と同じ年頃の絵理子さんがいて、やはり「にゃあにゃ」に手を伸ばし、出来立ての「ホットケーキ」に手を伸ばしていた。
あの幼かった絵理子さんは成長し、やがて結婚し、そして赤ちゃんを産んだ。その赤ちゃんが今、私の正面で瞳をキラキラ輝かせて絵本の世界に浸っている。

私の正面に「おすわり」して、絵本を楽しんでいる相手は代わったけれど、私はそのままだ。だが実際は、あれから28年が経過したのだから、やはり私はずいぶんと変わった。鏡をのぞけば頭髪は少なくなり、顔のしわも増えた。
けれども、天使を前にしている私は私が見えない。幼子と絵本を楽しむ気持ちは、今も、あの時となんら変わることはない。あのときのままの私が、母親になった絵理子さんを傍に、絵理子さんの娘と絵本を楽しんでいる。なんだか不思議な気分だ。

天使は、絵理子さんのお腹にいる頃から絵本を楽しんできている。私の天使への最初のプレゼントも絵本だった。
これからも彼女の成長に合わせ、絵本のプレゼントを続けようと考えている。きっと、天使も母親の絵理子さんのように本を友だちにすることのできる人に成長するだろう。それは私の密かな楽しみであり喜びだ。

絵理子さんは15日、28回目の誕生日を迎えた。親知らずの抜歯後の痛みは、もう大丈夫かい。
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