峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

なんとかなるさ

2011年10月20日 | 町内会長

佐々町の名物にと佐々栄町通り商店街のみなさんが意気込む大綱引き大会が先の日曜日に開催された。試合は、1チーム25名編成の町内会対抗形式で行われる。

現在、佐々町には32の町内会があるが世帯数の多い町内会でも25名の選手を揃えるのは年々難しくなってきている。今回エントリーしてきたのはわずかに13チームだった。
私たち西町町内会は世帯数・人口とも中程度の町内会だが、ともかくもエントリーは済ませていた。ただし、最終的な選手集めは敬老祝賀会を終えてからと考えていた。
すべてをぎりぎりのところで間に合わせている。「なんとかしようと思えば、なんとかなる」これは町内会運営から得た私の人生訓の1つだ。ところがだ、そこで突然、体の変調をきたすことになる。

選手集めは気合と集中力が必要だ。
いつもは、小学生の塾がない曜日の夕方5時から7時くらいの間に一気に各戸を回る。心身ともに健康で気力が充実していないと、とてもではないがやれない。

今回は、各戸を回れる日が大会3日前の木曜日しかなかった。そこにかけていた。だが、あいにくその日に体調が最悪という事態に陥ってしまった。
そこで、木曜日、歯科医院から帰宅した後、副会長と若手の中心的存在にと期待を寄せているI君に状況を説明し、選手を取りまとめてくれるようメールを送った。
その後、体育部長の所へ出向き、これまでの経緯を説明し、仮にI君が渋るようだったら出場を辞退する旨伝えた。

体育部長は、班長の中から振り分ける形で役目に就いていただいている。事前の打ち合わせ会等には出てもらっているが、選手集めは、どこに誰が住んでいるかを知っていなければならないし、人間関係が築かれていなければ難しい。誰でもができる役目ではない。
帰宅し、大会主催者に電話を入れ、事情を話し、メンバー表の提出を待ってもらった。

I君からすぐに返信があった。すでに若手の数人には声をかけているし、夜勤の関係で土曜日の夕方でないと回れないが自分の行ける所は回っておく。大丈夫だと思うというような趣旨のものだった。私は、とたんに元気が湧き上がってくるのを感じた。
I君は、来年40歳を迎える立派な家庭人であり、社会人である。普通は失礼だが、「頼もしいな。さすがに私が見込んだ男だ。土曜は私も回るよ。元気が出てきたよ。」と折り返しメールした。

昨今、企業では年上も年下も関係ないとばかりに実力主義が幅を利かせているという。しかし、町内会では肩書きなんて関係ない。子供は大人を敬い、大人は子供を慈しむ。また、後輩は先輩に敬意を払い、先輩は後輩の信頼を得られるよう努める、というような長幼の序こそ大切にすべきだと考える。

土曜日の夕方4時から、I君と2人で町内会の隅から隅までを回った。
そして大綱引き大会当日、遠慮してあえて声をかけなかった人など含め27名の方々が集まってくださった。実に嬉しかった。町内会長冥利【みょうり】に尽きる思いだった。

なんとかなるさ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする