1964年の東京オリンピック・ボクシング金メダリスト・桜井孝雄さんが亡くなられた。
オリンピックのボクシング競技で金メダルを手にした日本人選手は、後にも先にも桜井さんの外いない。
桜井さんを直接存じ上げるものではないが、齋藤さんというある私の先輩を通して桜井さんに関してこんな思い出がある。
2003年、長崎県で全国高校総体が開催される直前、尊敬する大先輩であり、今でも何かとお引き立ていただいている齋藤さんから1本のお電話をいただいた。
ご友人の桜井さんのご子息が小浜で開かれる高校総体のボクシング競技に出場なさるそうで、その応援に桜井さんが行かれることになられた。ところが宿がとれない。そこで、長崎県在住の私に何とかならないかとのお話だった。
桜井さんは中大、齋藤さんは日大と大学は異なるが、お二人は、東京オリンピック強化策の一環として行われた1962年11月のメキシコ・ハワイ遠征、また1964年3月に行われたオーストラリア・ニュージーランド遠征をそれぞれバンタム級、フェザー級の日本代表として共にするという間柄でいらっしゃった。
日本大学ボクシング部は、昨年、創部八十周年を迎えたが、その記念誌に寄せられた齋藤さんの現役時代のお話と共に、オーストラリア・ニュージーランド遠征中に香港空港で撮影された日本代表選手団の写真が掲載されている。
みなこの年の全日本チャンピオンというそうそうたるメンバーだ。
各クラスの代表に混じり、桜井さんと齋藤さんの凛々しいお顔がある。
ちなみに、長崎ゆめ総体に千葉県代表で出場した桜井さんのご子息・大祐君は、フェザー級で1、2回戦を勝ち上がったものの残念ながら3回戦で敗退した。
不世出のボクサー、桜井孝雄選手の早い死を悼むと共に、ご冥福を祈る。
オリンピックのボクシング競技で金メダルを手にした日本人選手は、後にも先にも桜井さんの外いない。
桜井さんを直接存じ上げるものではないが、齋藤さんというある私の先輩を通して桜井さんに関してこんな思い出がある。
2003年、長崎県で全国高校総体が開催される直前、尊敬する大先輩であり、今でも何かとお引き立ていただいている齋藤さんから1本のお電話をいただいた。
ご友人の桜井さんのご子息が小浜で開かれる高校総体のボクシング競技に出場なさるそうで、その応援に桜井さんが行かれることになられた。ところが宿がとれない。そこで、長崎県在住の私に何とかならないかとのお話だった。
桜井さんは中大、齋藤さんは日大と大学は異なるが、お二人は、東京オリンピック強化策の一環として行われた1962年11月のメキシコ・ハワイ遠征、また1964年3月に行われたオーストラリア・ニュージーランド遠征をそれぞれバンタム級、フェザー級の日本代表として共にするという間柄でいらっしゃった。
日本大学ボクシング部は、昨年、創部八十周年を迎えたが、その記念誌に寄せられた齋藤さんの現役時代のお話と共に、オーストラリア・ニュージーランド遠征中に香港空港で撮影された日本代表選手団の写真が掲載されている。
みなこの年の全日本チャンピオンというそうそうたるメンバーだ。
各クラスの代表に混じり、桜井さんと齋藤さんの凛々しいお顔がある。
ちなみに、長崎ゆめ総体に千葉県代表で出場した桜井さんのご子息・大祐君は、フェザー級で1、2回戦を勝ち上がったものの残念ながら3回戦で敗退した。
不世出のボクサー、桜井孝雄選手の早い死を悼むと共に、ご冥福を祈る。