峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

よそう 子供を殴るのは

2007年04月18日 | 暮らし
長崎市の伊藤市長が凶弾に倒れるという衝撃的なニュースに接し、暗い気持ちでいます。
伊藤市長の死を悼み、ご冥福を祈ると共に、残されたご家族に対し、お悔やみ申し上げます。

報道によると、この事件について安倍首相は「捜査当局において厳正に捜査が行われ、真相が究明されることを望む」とのコメントを発表しました。いかにも安倍首相らしいコメントです。
また、塩崎官房長官は「理由のいかんを問わず、公職にある者に対する暴力は誠に卑劣な行為であり、絶対に許せないものだ」とのコメントを出しました。
公職にない者に対する暴力は、どうなのだろうかと私のようなひねくれ者は思ってしまいます。
そんなことはともかく、マイクを向けられた者のほとんどが塩崎官房長官同様「暴力は許せない」(土山秀夫元長崎大学長)と語っています。
しかし、ひねくれ者の私は思うのです「暴力は絶対に許さない」と口にする彼らが自ら暴力を振るったことはないのだろうかと。

「体罰は絶対にいけない」と言いながら、先生は子供に暴力をふるい続けてきました。
「しつけ」と称し、親は子供に暴力をふるい続けています。
夫は妻に、やみくもに暴力をふるい続けてきました。
そして、地球上で戦争という名の暴力がふるわれ続けています。

私は、保護司として何人かの少年少女・青年と接してきました。暴力団組員だったという青年もいましたし、現在、暴力団組員の若頭という青年もいます。
彼らの生育歴には共通するものがあります。それは、幼い頃に暴力をふるわれたという事実です。

今回の事件の容疑者の罪が憎まれなければならないのは言うまでもありません。また、法の下で、その罪は厳正に裁かれ、罰を受けなければなりません
ただ、それとは別に私は容疑者の育った環境を思います。

彼が赤ん坊の頃、家庭に愛はあふれるほど満ちていたのでしょうか。
彼が幼児の頃、家庭に笑顔が絶えることはなかったのでしょうか。
彼が少年の頃、家庭で学校で、彼の気持ちはどれだけ大切にされたのでしょうか。
彼が思春期の頃、家庭で学校で、侮【あなど】られ、軽【かろ】んじられることはなかったのでしょうか。
彼が大人になって、社会は彼を孤立化させ、自暴自棄にさせることはなかったのでしょうか。

私は思うのです。いかなる暴力も、絶対に許されるべきではないと。
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