5月27日、平戸に住んでいた従兄である正剛さんの訃報が入った。享年81歳であった。従兄といっても、彼とはずいぶん歳が離れていた。したがって、子供の頃に遊んだ記憶もない。長じて、精々、冠婚葬祭の折に二言三言ことばを交わす程度の間柄であった。
正剛さんは父の姉の子にあたる。父は末っ子で上に6人の姉がおり、確か、正剛さんの母親は長姉ということから従兄といっても20歳近くの年の差があった。今とは異なり、戦前・戦中から戦後間も無くにかけてはこのような関係もそう珍しいことではなかったようだ。
5月30日・土曜日、小雨の中、午前11時から神道の様式による葬儀が営まれた。母の葬儀の時からの付き合いになる正剛さんの長男の正博さんが立派に喪主を務めた。
正剛さんには正博さんを含め3人の子供と6人の孫がいた。そのことをこの度初めて知った。意外ということではなかったが、そう近い間柄では決してなかった従兄が、きちんと家庭を営んでいたことにある種の感慨が湧いた。
正剛さんは、父方先祖伝来の平戸に根を張り、先祖の墓を守ってくれていた。
また、母が平戸市に寄贈した父の生家であり、その昔、東アジアの英雄と言われる鄭成功(ていせいこう)の生家跡地でもある場所に「鄭成功記念館」を建立するために尽力し、それに関連して平戸市と台湾との交流促進にも大いに貢献したと聞く。
晩年は施設に入所していたそうだが、とうとう顔を出さずじまいとなった。
ほとんど話をする機会もない縁の薄い従兄ではあったが、ただ一言、わたしの結婚式の披露宴の席で彼が私にそれこそ面と向かって語ってくれた短い言葉を忘れない。「ゆうちゃん、」
Aさんの時と同様、涙がとめどなく溢れた。
昨日、町から6月分の広報等が届けられた。広報の後方のページに毎回「佐々俳句会」のみなさんの俳句が掲載されているのだが、その中にAさんのものを見つけた。
喜びも悲しみも連れ花の散る
お二人のご冥福を祈る。