峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

酌【く】み交わす

2005年08月29日 | 町内会長
2,3日前からずいぶんと過ごしやすくなりました。いつも季節は、突然訪れます。

昨日は、午後2時から三柱神社秋季例大祭(おくんち)の実施打合せ会に出席しました。
神体が御輿【みこし】に乗って御旅所まで出かけ、再び神社に戻って来るまでの神幸【しんこう】に関係する16の町内会の会長と宮総代、それに宮司【ぐうじ】さま他、関係者37人が集まりました。みなさん古老、長老の方々ばかりです。
1時間ほど説明、質疑応答、その他があり、その後夕方5時頃まで懇親会でした。

西町の神社総代の松本さんと向かい合わせに座りました。先日のナイターソフト参加について話をした後、今年の神社への寄付や神幸について相談をしました。

私の隣に座られたのは、新町という町内会の会長に最近なられた十時【ととき】さんです。十時さんは、私の中学時代の恩師です。奥様は、絵本の「読み聞かせ」の仲間であり、保護司の仲間でもあります。
十時さんは、よく奥様を車で送り迎えされます。その折ご挨拶すると、「最近、いろいろと頑張っているようだね」と必ず誉めてくださいます。それに娘たちの最近の将棋についてお訊ねくださいます。「先生」って、ありがたいなぁ~と思います。

時を経【へ】て、異なる立場で再びご縁を持つ出会いが増えています。年を取るというのは、そういうことなのでしょうか。

私が小学校の高学年の頃、お隣に父の同僚の作元さんという方が住んでおられました。後に女房どのが口石小学校に勤務していた頃の校長先生でした。
今、作元さんは民生児童委員として頑張っておられます。定例会では私の隣の席です。研修旅行では毎回同じ部屋です。過日、ハンセン病療養所・国立療養所菊地恵楓園【きくちけいふうえん】を訪問した夜、作元さん含め同室の4人で酒を飲みながら深夜まで偏見や差別について語り合いました。
その中のお1人に月岡さんがいらっしゃいました。月岡さんは絵理子さんの中学時代の校長先生で、奥様は、やはり、私の中学時代の恩師です。

松本さん、十時さんとしばらく話をした後、一昨夜お世話になった浜迎【はまむかえ】、水道【すいどう】、土手迎【どてむかえ】、四ツ井樋【よついび】の各町内会長・宮総代のみなさん方の席へお礼に伺いました。
再び、10月のおくんちでもお世話になります。水道町内会に御旅所があり、そこでお神楽【かぐら】の奉納【ほうのう】など、にぎやかに夕祭が行われます。

しかし、お祭りも楽しいばかりではないようです。いろいろお話を伺っていると、傍【はた】からは見えないものが見えてきます。
一昨日のお祭りもいろいろと問題があるのを知りました。おくんちについても、老朽化【ろうきゅうか】した御旅所の「平成の改修」問題から、しめ元(おくんちの当番)の時の人手不足の問題など、いろいろと悩ましい問題を抱えておられました。

新しくことを興【おこ】すには情熱・エネルギーが必要ですが、伝統を継承【けいしょう】していくのも大変なことだと知りました。
手を取り合って、いい物を創り出し、力を合わせて、いいものを残していこうと比較的、歳の近い水道町内会長・福田さんと話をし、固い握手を交わしました
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