東京・町田市の都立高校1年の女子生徒が自宅で刺殺されるという事件に、またかと暗澹【あんたん】たる気持ちでいました。
ところが、この事件で、同じ高校に通う同学年の16歳の少年が殺人容疑で逮捕されたと知り、いっそうその思いを募【つの】らせています。
それにしても、やはり気になるのは学校長のことばです。
少年は高校入学後、無遅刻無欠席で、ワンダーフォーゲル部の活動に熱心に取り組む「まじめな生徒」だった。(11月13日付長崎新聞)
最近の少年による事件に関して、判で押したように繰り返される学校長のことばです。
「まじめ」って、なんでしょう。「まじめ」という言葉を辞書で引くと「本気であること。真剣であること。また、そのさま」「誠意のこもっていること。誠実であること。また、そのさま」とあります。
「まじめ」そうに見える人は、本当に「まじめ」なんでしょうか。ちょっと見たところ「まじめ」そうに見えない人が実はとても「まじめ」だったりすることはよくあることです。
でも、学校は、やれスカートが短いだの、髪が長いだのとちょっと見の「まじめ」さばかりを強制します。社会は、ちょっと見の「まじめ」さを要求します。
「まじめ」な子供は悪いことなんかするはずがないのに、その「まじめ」な子供が人を殺したりするから世間の人たちは驚くのでしょうか。
ちょっと見たところ「まじめ」そうにしている子供たちは、私の少ない経験で言えば、弱い子供たちです。幼い頃からずっと、親や、塾の先生や、ピアノの先生や、学校の先生などに逆らえずに生きてきた子供たちです。
そういう「まじめ」を強要されてきたような子供たちが思春期にさしかかったとき、いくつかの要因が重なれば彼らが重大な犯行に及ぶかもしれないということを想像するのはそんなに難しいことではないように思います。
ところで、テレビというのは出演者の本音が透けて見える不思議なメディアです。だから、本音と建前を使い分けるようなタレントは、お茶の間の支持を得られません。
逆に、本音と建前を使い分けるような政治屋はテレビを嫌うようです。
ポスト小泉の1人といわれている福田元官房長官は、差し出されたマイクに向かって「ホントの話は、こんなマイク使って言わない」と吐き捨てるように言いました。ということは、彼が官房長官時代にマイクに向かって話していたことはウソばっかりだったということになります。
小泉さんは、それがないことだけでお茶の間の支持を得ているところがあります。
「お笑いブーム」がブームでなくなりました。レイザーラモンHGさん、今、我が家で最も受けているタレントの1人です。
何故、お笑いの人たちが愛されるのでしょう。それは、おそらく彼らが「まじめ」だからなのだろうと思われます。
タモリさんや、たけしさん、紳助さん、おすぎさんやピーコさんまでもが毎日のようにテレビに登場するのには訳があります。彼らは裏表のない「まじめ」な人たちなのです。
人が「まじめ」であるのは、きっと望ましいことなのでしょう。しかし、その「まじめ」がねじれてしまったところに私たちの不幸があります。
ところが、この事件で、同じ高校に通う同学年の16歳の少年が殺人容疑で逮捕されたと知り、いっそうその思いを募【つの】らせています。
それにしても、やはり気になるのは学校長のことばです。
少年は高校入学後、無遅刻無欠席で、ワンダーフォーゲル部の活動に熱心に取り組む「まじめな生徒」だった。(11月13日付長崎新聞)
最近の少年による事件に関して、判で押したように繰り返される学校長のことばです。
「まじめ」って、なんでしょう。「まじめ」という言葉を辞書で引くと「本気であること。真剣であること。また、そのさま」「誠意のこもっていること。誠実であること。また、そのさま」とあります。
「まじめ」そうに見える人は、本当に「まじめ」なんでしょうか。ちょっと見たところ「まじめ」そうに見えない人が実はとても「まじめ」だったりすることはよくあることです。
でも、学校は、やれスカートが短いだの、髪が長いだのとちょっと見の「まじめ」さばかりを強制します。社会は、ちょっと見の「まじめ」さを要求します。
「まじめ」な子供は悪いことなんかするはずがないのに、その「まじめ」な子供が人を殺したりするから世間の人たちは驚くのでしょうか。
ちょっと見たところ「まじめ」そうにしている子供たちは、私の少ない経験で言えば、弱い子供たちです。幼い頃からずっと、親や、塾の先生や、ピアノの先生や、学校の先生などに逆らえずに生きてきた子供たちです。
そういう「まじめ」を強要されてきたような子供たちが思春期にさしかかったとき、いくつかの要因が重なれば彼らが重大な犯行に及ぶかもしれないということを想像するのはそんなに難しいことではないように思います。
ところで、テレビというのは出演者の本音が透けて見える不思議なメディアです。だから、本音と建前を使い分けるようなタレントは、お茶の間の支持を得られません。
逆に、本音と建前を使い分けるような政治屋はテレビを嫌うようです。
ポスト小泉の1人といわれている福田元官房長官は、差し出されたマイクに向かって「ホントの話は、こんなマイク使って言わない」と吐き捨てるように言いました。ということは、彼が官房長官時代にマイクに向かって話していたことはウソばっかりだったということになります。
小泉さんは、それがないことだけでお茶の間の支持を得ているところがあります。
「お笑いブーム」がブームでなくなりました。レイザーラモンHGさん、今、我が家で最も受けているタレントの1人です。
何故、お笑いの人たちが愛されるのでしょう。それは、おそらく彼らが「まじめ」だからなのだろうと思われます。
タモリさんや、たけしさん、紳助さん、おすぎさんやピーコさんまでもが毎日のようにテレビに登場するのには訳があります。彼らは裏表のない「まじめ」な人たちなのです。
人が「まじめ」であるのは、きっと望ましいことなのでしょう。しかし、その「まじめ」がねじれてしまったところに私たちの不幸があります。