6月28日土曜日、絵理子さんと研二くんの結婚式とその披露宴が三谷様ご夫妻のご媒酌により北九州市小倉のアーフェリーク迎賓館で執り行われた。
この日、絵理子さんと研二君の結婚を祝福してくださるため、それぞれの職場の上司・同僚のみなさん、それに小学・中学・高校の同級生、また2人が出会った大学のサークルの先輩・友人のみなさんなど2人にとってとても大切な人たちが駆け付けてくださった。
それに加えて、それぞれの出身地である山口と長崎から祖母とおじ・おば、さらには兄弟姉妹たちも集ってくれた。
絵理子さんと研二くんは「出会いと感謝」をテーマに式・披露宴を演出してみなさんの祝福に応えた。
あの興奮と感動をどう表せばいいのだろう。
人前式、チャペルに入りきれないほどの多くのみなさんに見守られ、温かい祝福の拍手の中、バージンロードを絵理子さんと私は腕を組み歩いた。
やがて、私は絵理子さんの手をとり、待ち受ける研二くんの方へ送り出す。壇上に並んで立った2人は、三谷さんご夫妻が読み上げられた夫婦約束の3か条をみなさんの前で誓い、キャンドルをリレーしてみなさんとの出会いを感謝した。
ホールでの微笑ましいセレモニーが続いた後、みなさんと共に主会場へと移動したが、テーブルに着くや否や絵理子さんの職場の上司である田中さんにご挨拶をいただき恐縮した。
研二くんの職場の上司と田中さんが祝辞を述べてくださった。媒酌人の三谷さんからは2人の紹介をしていただく。
大きなスクリーンには2人のこれまでが映し出され、会場は喚声と笑い声に包まれる。2人が卒業を記念して世界遺産を巡る旅行に出かけていたのを始めて知った。もっとも、2人のことで知っていることなんてほとんどないのだし、それでいいのだ。
合間を縫い、みなさんに感謝の気持ちを伝えたくてテーブルを回った。絵理子さんがお世話になっているみなさんだけでなく、研二くんの職場のみなさんや友人のみなさんたちとも親しくお話をすることができた。
みなさんとお話をさせていただいて、絵理子さんがみなさんに愛され、信頼されているのだと分かった。
宴半ば、「何をするにも私の意志を尊重し、それを全力で応援してくれるお父さん。マイペースで頼りない私を、いつも陰でサポートしてくれるお母さん」と、私と女房どのに対する思いを読み上げるくだりで絵理子さんは、それまでのこぼれるような笑顔から一転、涙、涙、涙の顔に。隣の研二くんを見ると彼も肩をゆすらせ泣いている。可憐な2人の姿に、私も込み上げてくるものを禁じえなかった。後で聞いたら女房どのも泣いていたそうだ。
「私は、よく周りの人にいつも笑顔だねと言っていただくけれど、自然に笑顔を絶やさずにいられるのは、お父さん・お母さんがつくった家庭で育ったからだと思います」「私も、自分の子供がいつも笑顔でいられるような温かく、明るい家庭をつくります」絵理子さんは、そう続けた。
手紙を読み終えた絵理子さんを、私はそっと抱きしめた。
宴も終盤にさしかかったころ、プールサイドで風船を放つ段になり、不思議なことが起った。それまで絶え間なく降り続いていた小雨が、そのときだけピタリと止んだのだ。
みなで声をそろえカウントダウンし、風船を夜空に一斉に放った。色とりどりの風船は、参加者すべての者の善意と希望を乗せ空高く舞い上がっていった。
最後は2人がパティシエに扮してロビーでケーキを振る舞い、出会いの喜びと感謝にあふれた宴はお開きとなった。
興奮していて時間の感覚が麻痺していたが、みなさんを送り出したところでホテルのチェックインの時間が気になり、時計を見ると午後9時半過ぎだった。人前式が始まったのが午後3時半だったので6時間もの長い時間をみなさんと過ごしたことになる。
最後の最後まで三谷さんご夫妻が残ってくださっていた。三谷さんの奥様は、この日も、何度となく涙を流してくださっていた。私の顔をご覧になられるたび涙を流していらっしゃると女房どのが言った。
奥様が、いい子育てをなさりたいとおっしゃった。きっと、三谷家から素敵な若者が育つにちがいない。ご両親と接し、そう思った。
しばらくお話をさせていただいた後、お2人は小雨の中、帰途につかれた。プールサイドを肩を並べてお帰りになられるお2人をお見送りしながら、優しい人たちとの出会いを嬉しく感じていた。
特別な方から祝電をいただいた。将棋のタイトル保持者・深浦康市王位からのものだ。
過日、女房どのと出かけた折、あるところで深浦さんの奥様のお姉さんとばったりお会いすることがあった。女房どのがお姉さんと懇意【こんい】にさせていただいている。
その際、深浦さんが絵理子さんの結婚のことをご存知で、気にかけていただいているというお姉さんのお話があった。ありがたくお願いさせていただいていた。
深浦さん、ありがとうございました。
絵理子さんと研二くんは明日、パリに向けて新婚旅行に発つ。
この日、絵理子さんと研二君の結婚を祝福してくださるため、それぞれの職場の上司・同僚のみなさん、それに小学・中学・高校の同級生、また2人が出会った大学のサークルの先輩・友人のみなさんなど2人にとってとても大切な人たちが駆け付けてくださった。
それに加えて、それぞれの出身地である山口と長崎から祖母とおじ・おば、さらには兄弟姉妹たちも集ってくれた。
絵理子さんと研二くんは「出会いと感謝」をテーマに式・披露宴を演出してみなさんの祝福に応えた。
あの興奮と感動をどう表せばいいのだろう。
人前式、チャペルに入りきれないほどの多くのみなさんに見守られ、温かい祝福の拍手の中、バージンロードを絵理子さんと私は腕を組み歩いた。
やがて、私は絵理子さんの手をとり、待ち受ける研二くんの方へ送り出す。壇上に並んで立った2人は、三谷さんご夫妻が読み上げられた夫婦約束の3か条をみなさんの前で誓い、キャンドルをリレーしてみなさんとの出会いを感謝した。
ホールでの微笑ましいセレモニーが続いた後、みなさんと共に主会場へと移動したが、テーブルに着くや否や絵理子さんの職場の上司である田中さんにご挨拶をいただき恐縮した。
研二くんの職場の上司と田中さんが祝辞を述べてくださった。媒酌人の三谷さんからは2人の紹介をしていただく。
大きなスクリーンには2人のこれまでが映し出され、会場は喚声と笑い声に包まれる。2人が卒業を記念して世界遺産を巡る旅行に出かけていたのを始めて知った。もっとも、2人のことで知っていることなんてほとんどないのだし、それでいいのだ。
合間を縫い、みなさんに感謝の気持ちを伝えたくてテーブルを回った。絵理子さんがお世話になっているみなさんだけでなく、研二くんの職場のみなさんや友人のみなさんたちとも親しくお話をすることができた。
みなさんとお話をさせていただいて、絵理子さんがみなさんに愛され、信頼されているのだと分かった。
宴半ば、「何をするにも私の意志を尊重し、それを全力で応援してくれるお父さん。マイペースで頼りない私を、いつも陰でサポートしてくれるお母さん」と、私と女房どのに対する思いを読み上げるくだりで絵理子さんは、それまでのこぼれるような笑顔から一転、涙、涙、涙の顔に。隣の研二くんを見ると彼も肩をゆすらせ泣いている。可憐な2人の姿に、私も込み上げてくるものを禁じえなかった。後で聞いたら女房どのも泣いていたそうだ。
「私は、よく周りの人にいつも笑顔だねと言っていただくけれど、自然に笑顔を絶やさずにいられるのは、お父さん・お母さんがつくった家庭で育ったからだと思います」「私も、自分の子供がいつも笑顔でいられるような温かく、明るい家庭をつくります」絵理子さんは、そう続けた。
手紙を読み終えた絵理子さんを、私はそっと抱きしめた。
宴も終盤にさしかかったころ、プールサイドで風船を放つ段になり、不思議なことが起った。それまで絶え間なく降り続いていた小雨が、そのときだけピタリと止んだのだ。
みなで声をそろえカウントダウンし、風船を夜空に一斉に放った。色とりどりの風船は、参加者すべての者の善意と希望を乗せ空高く舞い上がっていった。
最後は2人がパティシエに扮してロビーでケーキを振る舞い、出会いの喜びと感謝にあふれた宴はお開きとなった。
興奮していて時間の感覚が麻痺していたが、みなさんを送り出したところでホテルのチェックインの時間が気になり、時計を見ると午後9時半過ぎだった。人前式が始まったのが午後3時半だったので6時間もの長い時間をみなさんと過ごしたことになる。
最後の最後まで三谷さんご夫妻が残ってくださっていた。三谷さんの奥様は、この日も、何度となく涙を流してくださっていた。私の顔をご覧になられるたび涙を流していらっしゃると女房どのが言った。
奥様が、いい子育てをなさりたいとおっしゃった。きっと、三谷家から素敵な若者が育つにちがいない。ご両親と接し、そう思った。
しばらくお話をさせていただいた後、お2人は小雨の中、帰途につかれた。プールサイドを肩を並べてお帰りになられるお2人をお見送りしながら、優しい人たちとの出会いを嬉しく感じていた。
特別な方から祝電をいただいた。将棋のタイトル保持者・深浦康市王位からのものだ。
過日、女房どのと出かけた折、あるところで深浦さんの奥様のお姉さんとばったりお会いすることがあった。女房どのがお姉さんと懇意【こんい】にさせていただいている。
その際、深浦さんが絵理子さんの結婚のことをご存知で、気にかけていただいているというお姉さんのお話があった。ありがたくお願いさせていただいていた。
深浦さん、ありがとうございました。
絵理子さんと研二くんは明日、パリに向けて新婚旅行に発つ。
研二さんと絵里子さんの結婚式と披露宴のご様子を、ブログからリアルに知ることができました。
峰野さんと奥様の子育てがいかに確かなものであったかをご出席のみなさんに十分おわかりいただけたものと思います。
主賓をお願いした三谷さんの奥様の涙は峰野さんの涙からのもらい泣きだったのでしょうか。たぶん峰野さんの涙はひときわ大粒の涙だったに違いありません。
多くのみなさんに祝福されて結婚されたお二人のご多幸をお祈りします。
あらためて、ぶな太さんとの出会いを感謝しております。
このような感動的な結婚式・披露宴に、列席者全員が幸せな気持ちになられたことでしょう。私も幸せ気分を堪能させていただきました。
心から、おめでとうございます。
娘のいない夫には、腕を組んでバージンンロードを歩く事はありません。峰野さんは感動のウオークがまだまだ待ってますね。
千間丸さんとの出会いも、宝物となりました。
ご主人には申し訳ありませんが、娘と歩くバージンロード、どうお伝えしたらいいか、適切な言葉を見つけられないほど感動的なものでした。
有紀さん、そしてくるみさんにはどんな出会いが待っているのでしょう。そして、ご子息にも。
出会いを大切に、感謝をしつつ。