先日のゴールデンウイークを、いつもは離れて暮らす子供たちや孫たちと共に過ごした。
現在、大阪に住む三女は、コロナが一段落したところで、待ってましたとばかりに海外旅行に出かけたため不参加。今回の旅行の目的地はニュージーランド。いつものように気ままな一人旅とのことだった。
その三女を除き、福岡の長女家族と広島の次女家族が久しぶりに顔を揃えた。ただ、中学校に勤める次女のところの婿どのは、ゴールデンウイーク中も部活の指導があることから来るのが叶わなかった。
長女の婿どのが娘や姪っ子たちと楽しそうに遊んでいるのを見るに付け、ワークライフバランスやジェンダー平等が叫ばれる昨今、教員という職業がいかに遅れているのかを改めて思った。
それは単に、今働いている教員が気の毒だというだけの問題ではない。そんなブラック的な職場に好んで飛び込んでくる人間がどれ程いるだろうか。時流に敏感だったり、新しい生き方を模索している若者は、そんな職場を見向きもしないだろう。由々しき問題だと思うが、一向に改善の兆しは見えない。
もっとも、当のご本人の婿どのは、ブラック的なことを嫌がったり愚痴ったりすることはない。
朝早く出勤し、夜遅く帰って来、土日・祝祭日には部活の指導に出かけているが、休みの日にはキッチンに立ち、家族のために料理を作ったり、子供と遊んだりして、彼なりに家族との時間を大切にし、楽しんでいるようだ。
話がそれてしまった。
我が家の子供たちは3人共、高校入学と同時に家を出た。
それは、子供を自立させてやるのが親として最も重要な務めと考えていた私が仕向けたことだった。
娘たちは、その後、大学・大学院、就職、結婚(三女は未婚)と人生を歩み、再び彼女らと同じ屋根の下で暮らすことはなかった。
だからこそ、年に何回か会う際、婿どのも含め私たちは濃密な時間を過ごす。2人の婿どのは、長女・次女それぞれの大学時代の同級生で、私たち夫婦とも彼らの学生時代からの付き合いになる。何でも話し合える気心の知れた仲だ。
今回も、1日目の夜は持ち寄ったビールやワインなどを飲みながら、明け方4時まで色々と語り合った。さすがに、2日目の夜は日付が変わる頃まででお開きにはしたが。
今回の話題の中心は、長女家族の三人姉妹の長女・彩理さんのことだった。
彩理さんは現在中学2年生。多感な時期だ。部活のこと、勉強のこと、今、夢中になっていること、進路のことなど、彼女とも色々話した。
そうした上で、彼女の気持ちや考えを最大限尊重するという共通理解を持つに至った。
当たり前だが、子供は決して親の所有物ではない。子供には、誰にも邪魔されず自由に己の人生を歩む権利がある。
その他、近くの山や川で遊んだり、ゲームをしたりと、この上なく楽しい3日間をプレゼントしてくれた私たち夫婦の家族は、また夏に会おうねとの言葉を残し、それぞれが今、暮らす場所へと帰って行った。